第10話 地元開幕

 アナハイムの不調は第四戦も続いた。

 チーム全体と言うよりは、打線の不調が大きかったが。

 先発のガーネットは、六回を投げて三失点。

 いわゆるクオリティスタートで、最低限の責任は果たしたと言えよう。

 だがそこからのリリーフが、上手くいかなかった。

 交代の時点でアナハイムは、一点のビハインド。

 そんな状況であったが、首脳陣は勝ちパターンのマクヘイルを投入したのだ。


 それはここまでの三戦、マクヘイルに出番がなかったからとも言える。

 直史とボーエンは七回以降までは投げたし、ガーネットの試合は同点であった。

 ここでどうにかリリーフ陣が抑えて、残りの3イニングで逆転する。

 その予定であったのだが、普段とは違うパターンでの登板で、マクヘイルも調子が出なかった。


 アナハイムは二点を取ったが、オークランドからは三点を取られる。

 マクヘイルが二点を取られた時点で、ルークとピアースは温存に走ったのだ。

 結果的に4-6で敗戦。

 昨年西地区最下位であったオークランドに対して、まさかの二勝二敗というスタートである。


 第二戦と第三戦は、上手く打線のつながらない不運があった。

 だが第四戦は、それなりに点も取れたのだ。

 それでも敗北したのは、やはり継投の失敗による。

 ビハインド展開で、マクヘイルの調子が上がらなかったというのもあるだろうか。

 アナハイムとしては珍しく、常にリードされる展開であった。


 そしてアナハイムは、やっとフランチャイズでの開幕を迎える。

 ホームゲーム緒戦の相手は、クリーブランド。

 昨年はア・リーグ中地区二位のチームである。

 爆発的に飛躍したミネソタの影響で、その影はすっかりと薄くなってしまった。

 だがその前年も二位という、安定したチーム作りをしている。


 しかしこの三連戦、初戦の先発はリッチモンド。

 去年も先発が抜けた時に、九試合ローテの谷間で投げている。

 最も長く投げたのでも6イニング。

 五勝二敗とそれほど悪い結果ではない。

 ただそれは去年の、圧倒的な打線の援護があった上での話。


 九試合のうち、五試合がクオリティスタート。

 普段は先発ではないのだから、これでも充分なのかもしれない。

 しかし今のアナハイムは、得点力が相当に落ちている。

 クリーブランドから果たして何点取れるか。

 あとはリッチモンドが、どれだけ上手く組み立てられるか。

 リードしていく樋口としては、また大変な試合になりそうである。




 開幕カードのオークランドを相手に、二勝二敗。

 去年の勝敗は圧倒的で、なんと18勝1敗という完全なカモにしていた。

 それが既に二敗している。

 どれだけチーム力が低下しているのか、という話である。

 だがこれも、おかしなことはあるのだ。

 四試合におけつ総得点を見れば、アナハイムは19得点なのに対し、オークランドは10点。

 直史の投げたあの試合に、アナハイムの得点が集中しすぎていたのである。


 不思議と言うか、もっと極端に言えば不気味なものである。

 直史は昔から、打線の援護が薄いピッチャーであった。

 敵が強ければ強いほど、当たり前のように打線の援護は少なくなる。

 だがそれを上回る制圧力で、相手を完封してきたのだ。

 味方の得点も敵の得点も低下させる、絶対的なグラウンドの支配者。

 それが去年のワールドシリーズあたりから、逆転している。


 去年のワールドシリーズ四試合。

 完投した試合ばかりではないが、直史の投げた試合において、得点は合計で19点。

 大してメトロズに取られたのは、わずかに五点。そのうち一点はリリーフが打たれたものである。

 明らかに直史は、援護を多く受けていた。

 しかし最終戦だけは、よりにもよってわずかに二点の援護。

 相手が武史であったということもあるが、あまりにも偏りが大きすぎる。


 検証されたことがあるが、ワールドシリーズ七試合全体で見ると、アナハイムが26点なのに対し、メトロズは16点。

 アナハイムは勝つ時は大勝しているのだが、メトロズに僅差で四試合負けたのだ。

 得点の偏りが、あまりにも大きい。

 短期決戦だからそういうこともあるのだが、これはあまりにもひどい話である。

 ハマれば快勝するが、接戦では負けるチーム。

 それは絶対にワールドシリーズに勝つことは出来ないだろう。


 ベンチに座りながら、直史はそんな情報を確認していた。

 そしてクリーブランドの選手がいるベンチの中も見通している。

 他地区のチームとの対戦が、あまりないのがMLBだ。

 それでも同じ地区の中であっても、日本よりはよほど長い距離を移動している。

 同じリーグでも他の地区であれば、対戦するのは年に六試合か七試合。

 確実にポストシーズンに進出するためには、同じ地区のチームからしっかりと勝ち星を稼がなければいけないのだ。


 オークランドにせめて二勝二敗であったのが、まだしも良かったと言えるだろう。

 昨年も地区最下位であったチームに負け越していれば、ショックは大きかったと思うのだ。

 ただオークランドはドラフトの上位指名を、この数年続けている。

 上位で指名された選手がしっかりと育っていけば、近いうちに一気に化けるかもしれない。

 最初にセイバー・メトリクスを本格的に取り入れたオークランドは、それで成績を伸ばした。

 もっともセイバー・メトリクスで作られたチームは、ポストシーズンまでは進むことが出来ても、ワールドチャンピオンになるのは難しい。

 そうも言われたりしているのだが。




 クリーブランドとの試合が始まる。

 リッチモンドは初回から連打を浴びて、二点を失った。

 だがノーアウトでランナー二人を出した状態からは、取れるところでしっかりとアウトを取っていった。

 いい立ち上がりではないが、そもそも立ち上がりの感覚をつかむのが、リッチモンドの課題であろう。

 大きく貯金を作らなくてもいい。それは直史の役割だ。

 ローテを守って10勝10敗してくれれば、それで充分すぎるのだ。

 ただ勝ち星をつけたり、あるいは負け星をつけないためには、打線の援護が必ず必要になる。

 アナハイムは一回の裏、無得点に終わる。

 元々開幕戦はしっかりと勝っていた打線だが、中軸の核が抜けると、こんなことになるのか。

 あるいはそれ以上に、打線の他の選手が、気にしすぎという気もしてくる。


 ターナーとの契約をもう一年待つべきではなかったか、と直史は思う。

 今年が直史のラストイヤーであるのだから、ワールドチャンピオンを狙えるのは今年がしばらくは最後のチャンスになったはずなのだ。

 あと一年待って、その代わりに今年は少しピッチャーを補強すれば。

 だがそれは直史から見ればの話であって、アナハイムは直史との契約延長を考えていたのだ。


 今年一年だけ、と直史が意思を示した時には、丁度いいFA選手は市場にいなかった。

 だからこそ使える金で、確実にターナーを囲い込んだというのが順番なのだ。

 大型契約は長期間、優秀な選手を安定的に使える。

 だがこうやってその主力選手が離脱すると、どうしても戦力が一気にダウンしてしまう。

 野球はまだ打線が九人と、ピッチャーが10人前後の主力となっているから、まだマシである。

 しかしこれがプレイする人数の少ないNBAであったりすると、新人が入っただけで一気にチームが強くなったり、主力が一人抜けただけで、一気に弱くなったりする。

 直史に30勝してもらえば、残りの132試合を五割の勝率で勝っても、96勝。

 まずポストシーズンには進める勝率になるであろう。


 地元開幕のため、席は全て埋まっている。

 もっともさらなる争奪戦が起こったのは、明日の直史が投げる予定の試合であったのだが。

 年間パスもよく売れて、収益自体は上がっているのがアナハイムだ。

 やはりスター選手がいると、チームも人気になると、経営者のモートンは考えている。

 基本的に選手人事まではGMが決めることが多い。

 ただしモートンは金を出す時には、しっかりと口も出してくる。

 直史がいなくなっても、しばらくはターナーで客を呼べる。

 そう思ったのだろうし、実際に直史がいなくなった後、金を呼べる戦力は保持しておきたかっただろう。

 だが順番を間違えた。


 結局のところ直史とのコミュニケーションを、セイバーに任せていたのが失敗であったのだ。

 ただ直史加入以前のアナハイムを考えれば、一人のピッチャーの力がどれだけ重要なのか、分かっていても当然だと思う。

 代わりにならない選手というのは、確かにいるものなのだ。

(樋口の負担が大きすぎるな)

 ケースバッティングの鬼である樋口であるが、この数試合は出塁を最優先している。

 得点圏打率や決勝打を打つのに飛びぬけている彼であるが、今はそこまでリソースが回らないのだろう。

(明日は俺が組み立てるか)

 直史の外付けメモリとしての役割は、お休みしてもらおう。


 試合は初回以降、ほぼ互角の展開であった。

 すると初回の点差が、そのまま響いてくる。

 終盤にリードして入ることが出来れば、アナハイムが有利。

 だが今日も六回までに、リッチモンドは四点を取られていた。

 アナハイムは三点を取っていて、一点のビハインド。


 明日は完投が前提の直史の登板となっている。

 だからここで勝ちパターンのリリーフを投入していってもいい。

 だがここでアナハイム首脳陣は、若手のリリーフを使っていく。

 シーズン序盤であるから、まだ負けになってもいいとでも思っているのか。

(この試合に負けたら借金が一つだけどな)

 それは明日、直史が取り戻すとしても。

 

 リリーフ陣が二点取られた。

 アナハイムは二点を取り返した。

 つまり点差は変わらないまま、ゲームセットである。

(三連敗か)

 それでも首脳陣に、大きな焦りの色は見えない。

 余裕があるとも取れるが、そろそろ必死になっていかなければいけないのではないか。

(まあ狼狽しているところを、他に見せるわけにもいかないか)

 だが選手を奮い立たせるためには、何か前向きな姿勢を見せるべきだろう。




 直史のピッチングには、味方を奮い立たせる感情はあまり乗っていない。

 だが俺は一点もやらないから、なんとか一点を取ってくれ、という意思は見える。

 状態を完全に停滞させて、無失点に抑える。

 そんなピッチングを安定して行うから、間違いなくエースとは言える。

 だが基本的には打たせて取るタイプなので、味方の野手も攻撃よりは首尾に頭がいく。

 開幕戦はあくまで例外であるのだ。


 試合前のミーティング、直史は基本的に自分が組み立てると宣言する。

 対して樋口は、首を振る。

「バッティングに専念させたいのか? だけど二点もあれば充分だろ」

 樋口としてもキャッチャーとしての負担が、大きくなっていることは分かっている。

 だが直史が投げるならば、任せるのは序盤だけでいい。

「初回に二点取って、それで終わらせよう」

 樋口もたいがい、いい根性をしている。


 試合開始時間、ベンチに直史が姿を現すと、それに対して祈るように手を組む人間が多数。

 ナオフミストがこの試合、スタンドに多く集まっている。

 アナハイムのファンではなく、直史のファン。いや、信者。

 そして同時に伝道師まで務める、強烈なアメリカの崇拝者たちである。


 ネットをあまり見ないし、特に英語のページは今でもあまり見ない直史である。

 現在では自動翻訳もかなりの精度となっているが、直史が見るのはあくまでも、正しいデータであるのだ。

 よって自分の信奉者のことなど、特に意識していない。

 重要なのは、目の前の試合に勝つことだけだ。

(さて……)

 ゆるゆるとしたピッチング練習をして、クリーブランドの打線を迎える。

 この一回の表の守備は、完全に直史が主導するのだ。

 外付け演算機を外した、本日の直史。

 樋口に求めるのは、キャッチングだけである。


 先頭打者に対して、ストレートから入った。

 高めのストレートを、空振りしている。

 球速は92マイルと、それほど速くはない。

 それなのに明らかに、振り遅れているのだ。


 スルーで空振りを取ったところに、パワーカーブを一閃。

 バッターはそのカーブを、完全に見失っていた。

 これはスイングも出来ずに、三球三振。

 直史の配球としては、随分と単純なものである。


 二番打者にはカーブから入る。

 これを見逃しのストライクとして、次に投げたのはチェンジアップ。

 低めのボール球だが、空振りしてストライクカウントが増える。

 そして三球目はストレート。

 ボールゾーンに外れた球を、空振りして三振した。


 ラッキーである。

 釣り球とはいえ手は抜いていなかったが、振ってくれるとは思わなかった。

 そして次は三番打者。

 懐にムービング系を投げて、まずはファールを打たせる。

 そこから今度はストレートで、またもファール。

 球速自体は94マイルなのだ。

 もちろん直史としては速い方であるが、それでもMLBにはこの程度のスピードのストレート、いくらでも投げるピッチャーはいる。

 しかし問題はコンビネーション。

 直史は三球目、スルーを投げた。

 これをバッターは空振りし、三球三振。

 三者連続の三球三振で、イマキュレートイニングである。




 直史は打たせて取るピッチャーだ。

 だが奪三振率も多いのは、コンビネーションで相手の虚を突くことが出来るからだ。

 しかし今の組み立ては、パワーピッチャーのそれに近い。

 実は奪三振率も、先発の中ではトップ3に入るほど高い。

 それでいて球数は少ないのだから、どう攻略したらいいのか、


 全ての打者を三球三振でアウトにすれば、球数は81球。

 直史としても充分に納得できる球数である。

 だがもちろん、そんなことは不可能だ。

 しかし普段は打たせてくる直史が、三振を奪いにきたのだ。

 パワーピッチャーに代わったわけではない。

 だが打たせる配球ではなく、打たせない配球である。

 まさか今日の試合は、このまま投げていくのか。


 ノーヒットノーランよりも珍しいなどと言われているが、武史は割りと達成している。

 上杉もクローザーで何度か達成している。

 元々直史も、ツーストライクまで追い詰めたなら、三振を狙うことは多かった。

 だがこんな形で相手の打線を、完全に封じてしまうとは。


 アナハイムは確かに大不調である。

 そんな状況でも、直史は安定している。

 いやもう、安定とかそういうレベルではない。

 試合を支配しているのだ。


 ベンチに戻ってグラブを外して、わずかに水分を補給する。

 当然のように、汗もかいていない。

 表情も変えずに、まるで試合が始まる前のよう。

 とてつもない静謐さの中に、直史はいる。


 それを見ていてアナハイム打線は、ああ、これは今日は一点でいいな、と肩の力を抜く。

 そしてそれが、結果的にはバッティングにも、いい影響を与えるのだ。

 一回の裏、アナハイムの先頭打者はアレク。

 今季は出塁を重視しているが、その割にはいまいち出塁率が上がってこない。

 ただ、直史のピッチングを見て、思い出したことがある。

 野球はもっとわがままに、楽しんでもいいものなのだと。


 元々クリーブランドは、直史と対戦するだろうこの試合、弱いピッチャーを当ててきている。

 つまりこれは、捨て試合なのだ。

 だが相手が捨ててくれている試合なら、それを利用しない手はないだろう。

 アレクはここしばらく封印していた、初球打ちを解禁した。

 打ったボールはフェンスを直撃。

 最近は長打の少なかったアレクに対して、クリーブランドは通常シフト。

 なのでボールを処理している間に、三塁にまで到達する。


 ノーアウト三塁。何が起こっても点が入る状況。

 そしてバッターボックスには、なんでも出来る樋口が入る。

(今日のバッティングの仕事は、この一打席だけでいいな)

 もちろん二打席目以降も、最底辺の仕事はこなさなければいけない。

 だがこの第一打席は、集中して長打を狙っていく。


 外野フライであっても、タッチアップでアレクは帰ってくることが出来る。

 一点取ってしまえば、あとはリードに集中したらいい。

(初球を狙われたら、次の打者にはボールから入りたくなるよな。でもそれをあえて強気で攻めるなら)

 アウトローに投げなければ、あとは初球は見逃す。

 内角に強気に投げ込んでくるか、外に弱気なピッチングを見せるか。

(来たな)

 脱力した状態から、一点集中でアウトローを打つ。

 打球はライト方向、広角に打っていった。

 外野が追いかけるが、その意味はない。

 スタンドに入って、樋口は今季第二号。

 初回からアナハイムは、二点を先制したのである。




 初回から直史相手に二点。

 分かっていたことだが、クリーブランドは頭を悩ませる。

 そんなところに後続が連打して、さらにもう一点。

 結局初回のアナハイムは、三点を先制したのだ。


 三点差ともなれば、直史も気楽に投げることが出来る。

 そして樋口も野手陣も、力を抜いて守ることが出来るのだ。

 いつもよりは少し、三振を狙っていくピッチングスタイル。

 緩急を上手く使って、カーブを空振りさせていく。


 初回はカーブでも比較的、スピードが出ていた。

 だが二回以降のスローカーブは、タイミングを取れない緩急差をつけている。

 空振りが多いところへ、小さな変化球を投げれば、それを打ちにきてしまう。

 ましてやそれが高めともなれば、絶好球に思えるだろう。

 実際はミートしてもゴロになる、絶妙な変化の度合い。

 そして遅いボールと組み合わせると、どうしても差し込まれてしまうのだ。


 イニングが進むにつれて、三振の割合が減っていく。

 しかし打球が上がらない。

 打っても打っても転がるばかり。

 直史としては、本来のピッチングに戻っているだけであるが。


 守備に集中すればいいだけのはずの打線も、ここまで安定していると、バッティングにも余裕が出る。

 肩の力を抜いて打てば、打てないピッチャーではないのだ。

 六回までを投げて五点というのは、微妙なところであろう。

 そしてここから敗戦処理のピッチャーを、さらに打っていくのがアナハイムである。


 ここしばらく、上手くつながらない打線が、しっかりと一点をもぎ取ることに成功している。

 野球は点の取り合いであるが、ホームランばかりを打つスポーツではないのだ。

 そもそもホームランは、なんでもかんでも打っていくと、むしろ打てないものなのだ。

 もちろんフルスイングをする必要は、現代のMLBの常識では当たり前のことだ。

 長打は正義、というものである。

 しかしヒットがつながって、アウトになってもランナーを進め、隙を見てホームを踏む。

 攻撃の時間が長く続いていると、あちらの守備も集中力が切れてくる。

 その間にアナハイムは、バッティングの調整を行っていくのだ。


 ポストシーズンはターナーのいる試合がほとんどであったので、ターナーのいることを基準とした戦術になっている。

 得点の期待値なども、ターナーあってこそのものだ。

 そのあたりの計算をしなおせば、さすがにもっと得点力は増すことは出来るだろう。

 だがこの試合に関しては、それよりも大事なことがあった。

 直史の奪三振が多く、クリーブランドを圧倒している。


 ただ三振を奪えばいいというものではない。

 球数も抑えた上で、決め球を使って三振を奪うのだ。

 タイミングを外したカーブやチェンジアップと共に、この日の空振りを取ったのが多いのはストレート。

 相手がスイングしても、わずかにチップしてミットに収まるというパターンが、何度もあった。


 三連敗していたアナハイムの雰囲気を、つまりマイナスであった空気を、完全に0に戻すピッチング。

 そこからは首脳陣の作戦がはまり、どんどんとプラスの戦意が積み重なっていく。

 負け犬根性が染み付く前に、どうにか敗北感の払拭に成功。

 結局アナハイムは、7-0と圧勝することになる。


 そしてこの試合、直史は少し奪三振が多めで、しかし直史らしいピッチングであった。

 九回27人に投げて、球数は89球の14奪三振。

 被安打、エラー、フォアボールなし。

 つまるところのパーフェクトゲームである。

 そして言うまでもなくマダックス。

 サトーにはちょっと届かなかった。




 スタンドからこれを見ていた観客は、試合が終わりに近づくにつれて、陶酔したような表情になっていった。

 外野のフェアグラウンドには、一本も打球が飛ばないというピッチング。

 極端に言ってしまえば、外野が三人いなくても、大丈夫な試合であったということか。

 もちろん実際にいなければ、なんとしてでも外野フライを打って、それがたやすくヒットになってしまうのだが。

 これでアナハイムは、三勝三敗と勝率を五分に戻す。

 いかにチーム状態が悪くても、エースは絶対に乱れない。


 ベンチの首脳陣としても、このピッチングは圧巻であった。

 直史は確かにパーフェクトを何度もやってしまうピッチャーであるが、打球はそれなりに内野の間を抜けてしまうことはあるのだ。

 しかし明らかにスタートダッシュに失敗し、それも借金が出来たところにそれを消す勝利。

 まさに今、絶対の勝利がほしいところで、絶対の勝利を約束したのだ。

 野手にしてもこの試合、三振が比較的多かった。

 ファールボールなら外野にまで飛んだものもあるが、あとはほとんどが内野へのゴロとフライ。

 そしてアウトの半分以上が、奪三振によるもの。

 試合を支配し、チームの空気を完全に変えてしまう。

 そしてクリーブランドには、致命的なトラウマを植えつけたであろう。


 今年は比較的、最初から他地区のチームとの対戦が多い。

 しかしその分、インターリーグはナ・リーグの西地区が相手である。

 ナ・リーグ西地区は、ア・リーグ東地区と並んで、強豪の多い地区だ。

 よりにもよってチームの戦力が微妙な年に、こういったカードが組まれるとは、いささか運も悪い。

 だがそれでも、今日も直史の言うことは変わらない。

「運が良かった」

 いや、あんた絶対に狙って、守備範囲に打たせることが出来てるよね。

 マスコミの記者からは、過去に何度も問われたことだ。

 しかし直史としては、本当にそんなコツのようなものはないとしか言いようがない。

 

 ただしずっと、より完璧に近いピッチングは追及し続けている。

 27球で試合を終わらせるということ。

 それはさすがに無理にしても、本当の究極のピッチングは、だいたい見えてきている。

 単純にパーフェクトをするというのではなく、もっと決定的なもの。

 たとえばこんなチーム状態であれば、相手の打線に翌日以降も続くような、決定的なトラウマを植えつけておきたい。


 去年もクリーブランド相手に、直史は二度投げている。

 しかしその二試合は、ごく普通のマダックスであった。

 だがこの試合は、誰一人として打てなかった。

 さらに言えば全てのバッターから、一度以上の三振を奪っている。

(これで明日の第三戦も、どうにか抑えてもらおうか)

 打線はこのところの不調を、どうにか克服してくれるだろうか。

 あまり考えすぎては、かえって打てなくなるのだ。

 まさに今日の直史のピッチングは、クリーブランドのバッターたちに刻み付けられたであろう。

 クリーブランドの悪夢は、この夜から始まるのかもしれない。

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