第9話 低下

 メンバーが抜けるというのは、本当に大変なことなのだ。

 ターナーの打撃力の代わりは、まだ全く見つかっていない。

 また本人の回復も見通しが立っていない。

 ただそれでも開幕は、11-0と圧勝した。

 これは打撃力がどうこうではなく、オークランドが戦意を喪失したからと言えるだろう。


 オークランドの戦意を喪失させるのと、味方の自信を与えるために、開幕戦は圧勝する必要があった。

 その生贄に選ばれたオークランドは、本当に気の毒ではあったが。

 魔王の生贄になりたがっている信者は、意外と多かったりするかもしれない。

 だがその悦楽に身を浸せば、もうそれはメジャーリーガーではない。

 どれだけ相手が強大であろうと、挑戦を忘れた時に人はそこで終わる。

 精神論のようだが、事実でもある。


 オークランドとの四連戦、まずは一勝した。

 それも徹底的に、打線陣を叩き潰すピッチングであった。

 単純にパワーで抑えるだけなら、ピッチャーがそれ以下であればなんとかなる。

 だが直史は、三振をわずかに四つしか奪わなかった。

 打たせることによって逆に、相手に色々と考えさせた。

 考えないバッターはすぐに行き詰るが、考えすぎることも逆に、悪いことになる。

 オークランドの打線は、完全に機能不全に陥っていた。


 直史としては、そんな思惑をそのまま話すわけにはいかない。 

 彼はあくまでも頭脳派なのだ。

 オカルトじみたパワーを持っているが、それはあくまでも追い込まれた時に発動する奥の手のようなもの。

 そんなものは使わず、まずは一勝を上げた。

 試合後のインタビューでも、狙いを正直に明かすわけにもいかない。

 ただこれで、リリーフ陣に負担をかけずに、済んだことは確かである。


 そしてもう一つ、球数を少なくした理由はある。

 それは登板間隔を、さらに縮めるため。

 直史は今日、92マイルまでのボールしか投げていない。

 また変化球も、あまり大きく変化するものは多用していない。

 中四日で投げて、他のピッチャーの負担を小さくするのだ。

 それぐらいはやらないと、おそらく今年はポストシーズンに進めないだろう。




 第二戦、アナハイムは再び、初回に先取点を取った。

 アレクが出塁し、樋口が進塁させて、シュタイナーが犠牲フライを打つ。

 もはや犠牲フライの王様とも言うべきシュタイナーは、昨年も犠飛の数はリーグで一位であった。

 アレクと樋口という、走力に優れたバッターが、前のバッターとして二人もいる。

 ただ去年までは打線の軸となっていた、ターナーが今年はいない。


 アナハイムの二番手はボーエン。

 FAで移籍してきた、サウスポーである。

 チーム力の差があって、勝ち星などが目立った年は少ない。

 だが安定感だけではなく、勝負するところでしっかりと、バッターを打ち取ることが出来る。

 投げるのはツーシーム、シンカー、チェンジアップ。

 基本的にそれらの全てが、利き腕側に変化するボールを使う。


 サウスポーであるから、左バッターには背中から現れて、それでまたも懐に入るように変化する。

 右バッターには一度ゾーンに入ったように見えて、そこから外に逃げていく。

 左バッターに対しては、かなりの制圧力を持っている。

 だからと言って右バッターが苦手なわけでもなく、引っ張られてホームランを打たれることは少ない。

 直史としてはそのピッチングスタイルを、さらに進化させる道が見えている。

 自分からどうこう言うことはないが、樋口ならばそのストロングポイントを、さらに伸ばすことが出来るだろう。


 だがベンチから見ていると、心配になるのはそちらではない。

 初回に先制したものの、下位打線では上手くチャンスが作れない。

 そしてアレクを先頭としないイニングでは、得点力は落ちる。

 どうにかまた、内野ゴロからのダブルプレイ崩れの間に、一点を追加。

 しかしボーエンも完全に、相手を抑えているわけではない。


 日程的に今日は、ボーエンを少ない球数で抑えたい。

 直史と一緒に、ここは中四日で使う予定なのだ。

 なので適切なのは、90球まででリリーフにつなぐこと。

 その球数で、どれだけ抑えきることが出来るか。


 今日もまた勝てそうだな、と樋口は見通している。

 先取点を取ったことにより、オークランドの士気が下がっている。

 正直なところターナーが帰ってくるまで、どうやって得点を維持していけばいいのか。

 一番重要なところであったが、オークランドの士気の低下で、守備の精度が下がっている。

 一歩の踏み出しがわずかに鈍いし、安全策ばかり取ってくる。

 なのでこの試合も、おそらくは勝てるだろう。


 重要なのは、明日以降の試合だ。

 特にオークランドとの対戦の後の、クリーブランドとの試合だ。

 ア・リーグ西地区のチームの多くは、アナハイム相手にトラウマが出来ている。

 選手の流動性が高いMLBにおいても、まさかスタメンの半分もが入れ替わったりすることは少ない。

 問題なのは彼らが、そのトラウマが誰に対するトラウマか、気づいてしまわないことだ。

 アナハイムは打線の軸を失っている。

 そしてピッチャーの戦力も、やや落ちているのだ。


 七回までを投げて、ボーエンは一失点に抑えた。

 これをちょうど90球で達成したのだから、頑張ったのはむしろ樋口であったかもしれない。

 もっともボーエンは、あまり樋口の組み立てに素直に頷くことがなかった。

 なので樋口としては、純粋にボーエンの技術を評価するしかない。


 ただもしも自分に任せてくれていたら、無失点に抑えられていたという自信がある。

 球種などを比べても、ボーエンにはまだコンビネーションの可能性がある。

 アナハイムの追加点は、わずかに一点。

 つまり一点差で、八回の攻防に入っていくことになる。




 一点差を守りきる。

 これこそまさに、リリーフの醍醐味と言えるであろう。

 キャッチャー樋口はため息をつくでもなく、八回を負かされたルークと話をする。

 二点以上の差があれば、マクヘイルでも良かっただろう。

 だが一点差でマクヘイルは辛い。


 アナハイムのリリーフ陣は、今年でマクヘイルとクローザーのピアースも契約が切れる。

 そして直史もいなくなるとなれば、来年の投手陣の弱体化は避けられない。

 ワールドチャンピオンを狙っていける戦力なのは今年まで。

 そのはずがターナーの離脱で、一気にピンチである。


 樋口としては、特に心配はしていない。

 自分の契約は、五年契約だ。

 それにトレード拒否権が揃っている。ただしマイナーへの降格はある。

 直史と同じパターンである。もっとも樋口をマイナーに降ろすことなど誰も出来ないであろうが。


 とりあえず今年、ワールドチャンピオンを狙うはずであった。

 それからターナーとの契約を長期にしたため、二年ほどはチーム編成に時間をかけ、また強くなるのを狙うはずであったのだ。

 ターナーの離脱で、一気にその狙いが消えたと言ってもいい。

 だがそれでも、直史のラストイヤーに、ワールドシリーズまで持っていかなければいけない。

 そう思う程度には、樋口は直史を、相棒として認めている。


 このオークランドとの四連戦、初戦はまさに快勝であった。

 勢いだけで四連勝、といきたかったのは確かである。

 だが初回の先取点はともかく、その後のつながらない打線。

 なんとか一点は取れたが、オークランドも分かってきているのではないか。

 ターナーが抜けて、試行回数が少ない今、アナハイムの得点力は落ちているのだということを。

 

 直史が完全に心を折ったので、守備にもキレがなく第一戦は大勝した。

 しかしこの第二戦で、早くも攻撃力の低下が露呈している。

 樋口としても第三戦のレナードまでは、どうにか勝とうと思っていた。

 だが第四戦のガーネットは、ちょっと無理かなと思っていたのだ。

 それでも三勝一敗であれば、上々のスタート。

 負けグセのついているオークランドからなら、スウィープも期待できると思ったのだが。


 シーズンの序盤のスタートダッシュで、どれだけ貯金を増やせるか。

 またはターナーがどれだけ早く復帰できるか。

 後者はそもそも、復帰できるかどうかが怪しい。

 復帰できたとしても、元通りの力を発揮できるのか。

(下から出てくるバッターにも期待しないといけないかな)

 高校野球や大学野球と違って、選ばれた者の世界がプロ野球である。

 その豊富な素質の選手たちが、どのようにして突出して出てくるか。

 樋口としてはそのあたりは、さすがにコーチ陣に期待するしかない。

(それにまだ補強は出来るはずだし)

 トレードデッドラインまでのトレード、もしくは契約が開幕に間に合わなかった選手。

 どうにか打線は強化していかないといけない。


 ルークが八回を抑え、そして九回の表にはアナハイムは下位打線のホームランで一点追加。

 わずかに楽になった状態で、ピアースの投入が出来る。

 そして一点も与えることなく、アナハイムの勝利が確定。

 これにて開幕から二連勝となったのであった。




 直史は自分の試合に集中すればよかったし、樋口が来たときにはもうアナハイムは、かなり戦力が整っていた。

 なのでよほど彼我のピッチャーに戦力差がなければ、全ての試合を勝つつもりで戦えば良かったのだ。

 だがターナー一人が抜けて、またショートの守備もやや不安定。

 首脳陣は当然ながら、拾う試合と捨てる試合を、区別していかなければいけない。


 樋口としても、それは同じであった。

 MLBのキャッチャーには、本来そこまでの現場指揮権は求められていない。

 グラウンド上の第二の監督、それは日本の場合である。

 MLBのキャッチャーは、重要ではあるがポジションの中の一つだ。

 それでも昔に比べると、打てるキャッチャーは減ってきているのだが。


 開幕四連戦、第三戦の先発はレナード。

 去年は20勝4敗と、まさに無双とも言える勝ち星を誇っていた。

 だが実際にところは、打線も優れていたために、それに援護されていたということが大きい。

 防御率やWHIPの値からも、確かに優れたピッチャーではあるのだが、スターンバックやヴィエラには劣る段階のピッチャーだ。

 樋口から見ても、ターナーのいないこの打線では、援護が至らないかもしれないと思っている。

 単純に、ターナーを抜いて代わりのバッターを入れたら、というシミュレーションはコンピューターで出来る。

 だがそれが実際の結果とかけ離れたものになるのは、当然のことではある。


 ただこの三戦目までは、どうにか勝っておきたい。

 敵にも味方にも、まだアナハイムは強いと思わせておきたい。

 勢いさえあれば、序盤はどうにかなるだろう。

 その序盤の貯金で、シーズンの中盤ぐらいまでは大きく勝ち越していきたいのだ。

 直史を中四日で使うという、無茶なスケジュール。

 まさか中四日で使うピッチャーに、完投を望むのだ。

 しかしそれも不可能ではないと、樋口は分かっている。

 それでもある程度の疲労は、直史に蓄積していくだろう。

 

 NPB二年目の直史は、試しに中四日でスケジュールを組んでいた。

 そしてそれで、27勝をしていた。

 しかしあの年は、九月にあの忌まわしい事件があった。

 直史は20日以上離脱していたが、その時点で既にレックスは、優勝は決まったようなものであったのだ。

 だが直史がいなくても、レックスには武史がいて、金原に佐竹、そして豊田から利根、鴨池へとつないでいく絶対のリリーフ体制が整っていた。


 あとは地味に、星がイニングを稼いでくれてもいた。

 しかし今のアナハイムは、もしも直史が抜けたとしたら、完全に先発が崩壊する。

(抜けなくても、なかなか難しい状況なんだけどな)

 樋口はとにかく、敵も味方も錯覚しておいてほしいと願っている。

 その錯覚が続く間が、どうにかポストシーズンへの道筋は見えているからだ。

 だがこの試合、初回の先制にアナハイムは失敗する。

 野球は当然ながら、先取点を取ったほうが、圧倒的に勝率が高くなるゲームだ。

 この一回の裏、オークランドを封じ込める。

 間違いなくこれは、重要なことであった。




 ポストシーズンへの道筋は、まさに幻のようであるらしい。

 レナードのピッチングは悪いものではなく、一回の裏から失点するということなどはなかった。

 だが序盤に先制するという、アナハイムの必勝パターンが崩れたところで、この試合の行方は分からなくなっていた。

 樋口としてはとりあえず、レナードの負担を少なくするコンビネーションを考えるだけである。


 キャッチャーである自分と、バッターである自分を切り離して考えること出来るのが、樋口の打撃成績の所以である。

 だが今日の試合に限っては、バッティングに集中できたのは第一打席のみ。

 第二打席以降は、相手の打線を封じることに、集中力が削がれている。

 アナハイムはシュタイナーのソロホームランと、下位打線をアレクのヒットで返して、二点を取った。

 しかしオークランドも六回までに、二点を取っている。


 レナードの防御率から言うと、まさに比例したような得点だ。

 オークランドはそれほどバッティングに優れた選手はいないのに、二点も取られたと言うべきか。

 運が悪かったのもある。エラーがらみで一点を取られてはいるのだ。

 それを別にすれば、今日のレナードのピッチングは、及第点と言っていいだろう。


 ベンチに戻った樋口は、首脳陣から呼ばれる。

 六回を投げたのだから、ここでピッチャーは交代であろう。

 マクヘイル、ルーク、ピアースという順番で投げるのか。

 だがそれは勝ちパターンの継投であって、現在の状況は同点だ。

 これが追加点を取っていける確信があるのなら、勝ちパターンのリリーフを出してもいいだろう。

 ただ首脳陣がどう考えるにせよ、直史はベンチに座って、見物しているのみである。


 NPBと違って先発のピッチャーは、ほぼ全てチームと帯同するのがMLB。

 だからといって直史ぐらいに先発に特化していれば、他の役割で突然に使われることもない。

 MLBはちょっと負けが込んだりしても、先発のローテをいじることはまずない。

 ピッチャーの管理は厳密に行われているのだ。


 もどかしさはある。

 なんとか勝ち星を増やすために、自分の登板数は増やさなければいけない。

 しかし今日は、自分の出番は絶対にない。

 エースをそんな使い方をするようでは、そもそも先がないと考えるのがMLBだ。

 この試合、勝ちにいくのか、それとも捨てるのか。

 首脳陣の出した結論は、試験であるらしかった。


 去年の九月からメジャーデビューしていた若手ピッチャー。

 オープン戦でもそこそこの実績を残していたが、それにこの舞台を任せたのである。

 これをリードする樋口は大変だろうな、と直史は他人事である。

 実際にここで、直史が出来ることは極めて少ない。

 下手な助言をしても、それを聞かないのがメジャーリーガー。

 樋口の場合は有無を言わさぬ実力で、言うことをきかせてきた。

 しかし現段階では、そんな暇はないであろう。


 オープン戦でも樋口と組んで、何度も投げているはずである。

 だがそのありがたみを、本当に理解しているのか。

 直史が考えるに、樋口は知っている中で、一番総合的に優れたキャッチャーだ。

 その中でもどこに本領を発揮するかと言うと、やはりリードであろう。

 読みを外すことは、バッティングで相手を読むことにもつながる。

 だからあれだけの打率を維持できているのだと考えれば、素直にリードに従うべきなのであろうが。


 もっともMLBの場合でも、コントロールが抜群というわけではない。

 MLBでは日本の野球で使うようなコントロールは、むしろコマンドと言われている。

 コントロールは主に、しっかりとゾーンに投げられるかどうかということ。

 日本のピッチャーと違ってアメリカでは、肩が強いからといって、必ずピッチャーをやるわけではない。

 それだけ成人しないピッチャーに、無茶な球数を投げさせないからであるが。

 毎試合投げられるわけではないので、選手のほうも野手を選んだりする。

 もっとも子供の頃であれば、普通に複数ポジションを守ったりはするが。


 まだ無理だろうな、と直史は分かっていた。

 いくら樋口のリードが優れていようと、コントロールが逆球になったりするのなら、コンビネーションも意味がない。

 そんなアバウトなコントロールさえ込みで、樋口は配球を考えないといけない。

 大変なことであるが、それが樋口の仕事なのである。

「あ」

 甘く浮いたボールを、完全に捉えられた。

 ボールはスタンドに入り、そこそこいるオークランドのファンは、大歓声を上げた。

 昨年は開幕から10連勝したアナハイム。

 だが今年は三戦目にして、早くも黒星がついたのであった。




 敗戦試合、しかも接戦ともなると、見ている方も苛立つ限りである。

 特にそれが、自分が出場できない試合であれば、だが。

「くそっ!」

 テレビを消したが、リモコンを投げつける先は、柔らかなソファであった。

 その程度の自制心は、まだちゃんと機能している。


 アナハイムの誰もが認める主砲ターナーは、現在東海岸にいる。

 治療のために、ボストンに来ているのだ。

 マサチューセッツ総合病院。

 上杉の治療も行った、脳神経については世界でもトップクラスの病院である。


 ターナーの左目は、まだ経過観察の段階にある。

 自然治癒でどこまで回復するか分かってからでないと、治療の方針も立てられないのだ。

 約二週間は、何も手が出せない。

 そしてわずかでも手が出せるとしても、二ヶ月は下手に触らない方がいい。

 今年から大型契約を結び、昨年手が届かなかったチャンピオンリングを、獲得するつもりであった。

 だがターナーが抜けたことで、打線のつながりが極端に弱くなってしまった。


 第一戦は11点も取ったものの、その後の二試合では二点ずつ。

 ターナーの目から見ると、樋口に負担がかかっているのが明らかなのだ。

 ターナーが後ろにいるのなら、樋口はもっと自由自在に、最善手を打っていけた。

 だがターナーがいないとなると、意識的に長打を狙っていかなければいけない。


 それは違うと、ターナーはアドバイスしたい。

 ただそう言うためには、自分が打線の中にいないといけないだろう。

 だからやはり、樋口の判断自体は間違っていないのだ。

 しかしこれだけ点差の少ない試合が続くと、キャッチャーとしての負担も大きいはずだ。


 さっさと治療を開始してくれと、当初は言ったものである。

 だがひとしきりわめかせてから、治療には時間がかかることを、丁寧に教えてくれたのが医師である。

 もっとも専門的な言葉が分からずに、翻訳するように説明してくれたのがセイバーであった。

 アナハイムのフロント陣の一人が、わざわざ同行してきた、というわけではない。

 この病院にはスターンバックも世話になっていたらしい。

 彼女の個人的な伝手で、選手たちの治療を頼んでいる。

 なんでもそれは、ボストンの球団のスタッフにいた頃からの伝手であるらしい。


 ターナーもスターンバックについては、どうしたのか心配はしていたのだ。

 ワールドチャンピオンを共に目指したチームメイトは、ビジネスライクな関係ではない。

 本来ならFAとなって、一番大型契約を結べたであろうというタイミング。

 そこで故障してしまったのは、気の毒以外の何者でもない。


 ピッチャーとバッターは、ポジションを争うこともない。

 なので純粋に、心配することが出来る。

 直史が圧倒的なピッチングをしたものの、スターンバックも大きな役割を果たしたのだ。

 今は近くのマンションを借りて、定期的に経過観察に訪れている。


 トミージョンは現在では、復帰の確立が極めて高い手術だ。

 スターンバックはまだ20代で、回復もそこそこ早いだろうと思われている。

 だがそれでも、もう一度投げられるのかどうか。

 そして彼が今、どういう契約の状態にあるのか、ターナーは知らされていない。


 確かに彼のことも心配ではあるが、元から今年のアナハイムには、いないはずの戦力であったのだ。

 その意味では自分が復帰するのが、何よりもアナハイムにとって重要なことだと分かる。

 純粋に一人のバッターが抜けたというだけではなく、ターナーの長打力には、それ以上の意味があったのだ。

 早く治療して、一日でも早く復帰しなければ。

 早く、早く、早く。

 だがとにかく時間が経過しなければ、治療の方針も立てられない。

 どうにか治療して、復帰しなければ。

 そして今年も、ワールドシリーズを狙うのだ。


 ターナーの焦燥感は強い。

 そしてそれは当たり前のことである。

 打線の主軸が抜ければ、今のアナハイムは弱くなっても当然だ。

 それは三年前の、メトロズにも似たところがあるのだろう。

 大介の抜けたメトロズは、それなりに負けていた。

 ポストシーズンまでは充分に、進めるだけの勝ち星を上げていたが。


 翌年には117勝したメトロズであるが、大介が抜けなければ、前年にも記録を更新していたのではないか。

 そう言われることは多かったが、あの事件はこの数年のアメリカでは、一番の悲劇的な出来事として捉えられている。

 ターナーの復帰がどうなるのか。

 アナハイムの今年は、その一点にかかっている。




 スターンバックも現在、焦燥感の中にいる。

 去年のワールドシリーズ、もしもスターンバックが七回ぐらいまで、投げることが出来ていたら。

 あの試合に勝てていれば、直史が四試合も先発する必要はなかったのだ。

 FAとなったスターンバックに、すぐに声をかけてくる球団などなかった。

 少なくとも一年は、投げられないと分かっていたからだ。


 ワールドチャンピオンにも届かず、シャンパンファイトもなかった。

 即座にトミージョンをして、ようやくギプスは外れたところである。

 スプリングトレーニングから、既に開幕が始まる。

 だが完全に固定されていたスターンバックは、運動全体をかなり止められていた。

 他のトレーニングぐらい出来そうにも思えたが、わずかな衝撃も避けるべきであったのだ。


 稼動域が狭められた中、リハビリと共にトレーニング開始。

 唯一の救いと言えるのは、このリハビリなどの治療に関するものだけでなく、生活に関わるものまで含めて、アナハイムの球団が持ってくれたことである。

 元々故障自体は、去年のポストシーズンのことなので、手術まではアナハイムの契約に盛り込まれている。

 だがそこ以降は、スターンバックが自分でどうにかしなければいけないはずであった。

 しかしそこに、声をかけてきたのがセイバーである。

 まずは治療とリハビリに関することは、全てアナハイム球団が持つ。

 そしてマイナー契約をして、治療期間も含めて三年の契約。

 実際は七年契約なのだが、三年目に球団もスターンバックも、どちらもオプションとして契約を持っていた。

 格安ではあるが、とりあえず三年目まで、マイナーでもこれまでとほぼ同等の収入。

 スターンバックとすれば、ありがたいと考えるべきであった。


 ただ三年目までに復活しなければ、そこで契約は打ち切りもある。

 そして三年目までに復活したとしたら、四年目からはやや安めの、35歳までの契約となったのだ。

 足元を見られた、とは思えなくもない。

 だがこの契約よりもいい条件を、他の球団が持ってきたなら、この開幕までは待つ。

 そう言われて、そして完全な事故物件に、さすがに手を出す球団はいなかったのだ。


 丸々一年投げられない。

 そこからの復帰についても、どれだけ元通りに投げられるのか。

 下手な散財をしなければ、ここからの三年で、残りの人生を生きていくだけの収入は軽く得られる。

 そしてまた四年目以降には、ある程度高い年俸を獲得するチャンスがある。

 選ぶのはスターンバックだった。

 そしてセイバーは、いい買い物をした。

(来年だ)

 来年、必ずあの舞台に、自分は戻る。

 敗北したアナハイムの試合を見ながら、スターンバックは強く誓っていたのであった。

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