第8話 西の開幕
ターナーの抜けた穴は、結局埋められていない。
そもそも埋められるほど、小さな穴ではないのだ。
どうにか繕うことを模索しているが、やはり無理である。
あとは奇跡的に早期に、復活してくれることを祈るしかない。
「そんな呑気なことを言ってはいられないでしょうに」
セイバーはしっかりと独自に動いている。
「というわけで治療を頼みたいんだけど」
「目は難しい」
「……肩よりも?」
「肩よりも」
世の中そう簡単にはいかないのである。
思えば上杉を復活させたと言っても、その最高のスピードは戻らなかった。
さらに言えば出力を重視する筋肉に比べると、眼球は精密機械だ。
それに現在の状態から、どこまで回復するかも問題なのだ。
ある程度肉体の自動回復が進んでからでないと、どこまでを調整していいか分からない。
メガネの度が強すぎても問題なのと、同じ理由である。
二ヶ月ほどは様子を見て、それから治療方針を考えなくてはいけない。
iPS細胞と言っても、万能ではないのだ。
名前は万能細胞とまで呼ばれるのに。
セイバーにとってそれは、時間と手間はかかるが、絶望するようなことではないと分かった。
去年の直史の様子を知っていれば、ごく普通の怪我である。
瑞希とも会って話したが、あのワールドシリーズ最終戦、直史は肉体の限界にまでは達していなくても、生命の限界には近づいていた。
肉体の限界と生命の限界、それがどう違うのか。
そもそもそう表現したのが瑞希なので、セイバーが一言で理解するのは無理であった。
だが瑞希は、言葉を扱うプロである。
セイバーの優秀な頭脳は、ちゃんと彼女の言いたいことを理解したのだ。
「超能力物とかで、限界まで超能力を使うと鼻血を出したりするでしょ? ああいうものです」
すごく分かりやすい説明であった。
開幕戦の相手はオークランドである。
地元開幕は次のクリーブランドとの対戦となる。
弱小オークランドに対して、わざわざ向こうのフランチャイズに行ってやらなければいけない。
このあたりはMLBが、巨大すぎて一度決めた予定をなかなか変えられないところである。
当然ながら開幕戦の先発は直史。
弱いオークランドであるが、今年も選手の入れ替えは多い。
とは言ってもオープン戦の対決で、おおよそ相手の手の内は知れている。
またアウェイでの対戦というのは、こちらが先攻を取れるのだから、悪いことだけではない。
ターナーが離脱していることで、アナハイムは三番にウィリアムズという選手を入れている。
長打力はあるのだが、やや打率は低くてゴロを打たされることがある。
普段は五番か六番を打っているのだが、三番としてはあまり向いていないバッティングスタイルなのではなかろうか。
そうは言ってもならば、シュタイナーを三番に持ってくればいいとでもいうのか。
優れたバッターは出来るだけ集中して運用すべきであるので、それでもいいとは思うのだが。
ターナーはサード部門で、シルバースラッガー賞にも選ばれていた。
彼が抜けたことによって、アナハイムはどれぐらい得点力が落ちるのか。
ただ直史としては、この開幕戦は落とすわけにはいかないと思っている。
開幕戦は、162試合の中のただの一試合ではない。
その年のチームの行方を見通す、最初の一歩なのだ。
一番打者のアレクは、ケースバッティングを得意としている。
だが同時に、直感的でもある。
この試合は、絶対に落としてはいけない。
開幕戦であるからというのもあるが、直史が先発し、ターナーが抜けた試合であるからだ。
直史の不敗神話は、レギュラーシーズンではまだ続いている。
これが途切れてしまうことは、単純に一つ黒星を喫するよりも、よほど大きな問題となる。
強い相手ではない。
しかし負けられない試合だ。
試合前、グラウンドに星条旗が広がる。
セレモニーの間も、直史や樋口は特になんの感慨もない。
ここでMLBがまた始まったんだな、などと感動していれば、それは無駄な力みにつながる。
淡々と時間が過ぎて、試合が始まるのを待つ。
こういった派手な演出は、まさにアメリカならではのものだ。
国家的なイベントなのだと、示すためのものである。
だがそう思うと、アマチュアの全国大会を一試合残らず放映する、日本の甲子園の異常さが分かる。
アメリカのスポーツでも、大学のトーナメントなどは、本当に人気があったりするのだが。
実は日本のプロ野球も、昔は六大学野球よりも人気がなかったというのは、よく言われていることである。
つまり、こういうことだ。
甲子園を経験していれば、MLBのオープニングにはすぐに慣れる。
三年間で五回しかチャンスがない青春の輝きとは、価値が違うのであるから。
アレクもまたケースバッティングをするプレイヤーであっても、プレッシャーを感じることはない。
なんとしてでも先制し、負けの可能性を小さくしなければいけない。
その重要性は分かっているのだが、アレクはどうしても楽しんでしまう。
楽しむというのは大切なことだ。
プレイボールで野球は始まるのだから。
そしてアレクは先頭打者の役割を放棄して、初球から打っていった。
あっさりとライト前にヒットを放ち、ノーアウトのランナーとなる。
やれやれとため息をついた樋口は、ゆっくりとバッターボックスに入る。
樋口のデータも去年一年で、あちらも充分に取っているだろう。
基本的に読みで打つため、初球攻撃は少ない。
ましてや俊足のアレクがランナーなのである。
ファーストストライクを取りにいこう。
(と考えるよな)
甘く入ったストレートを、樋口は弾き返した。
長打になるな、と思ったその予想はやや外れた。
レフトスタンドに、そのまま入ってしまったからだ。
(開幕戦で第一号ホームランは、白石がやりそうなことだけどな)
そう思いながらも、淡々とベースを駆ける樋口であった。
二点が入った。
さらに追加点とまではいかなかったが、今年は随分と樋口も気合が入っているな、と呑気に考える直史である。
だがここからは、自分の仕事である。
最近は不人気のオークランドであるが、開幕戦で相手がアナハイム。
直史のピッチングを見るためだけに、観客は全ての席を埋めてくれた。
地元のチームではなく、相手のチームを応援してしまう。
それは今のネットで全ての試合が見られる環境では、普通にありうることなのだ。
直史としては、あくまでも普通に投げるつもりである。
普通に、つまりは球数を減らして、完封を狙うのだ。
あとは注文をつけるとしたら、外野フライも打たせてはいけない。
全て内野ゴロを打たせる。
たまたま内野の間を抜けていくなら、それはそれで仕方がない。
だが点はやらない。
直史がマウンドに登ると、大歓声が上がる。
地元でもないのに、よくも応援してくれるものだと思うが、赤い帽子をかぶった観客の数はかなり多い。
オークランドがちょっと可哀想になるが、そこは弱いチームが悪い。
弱くてもファンをやめないのは、某甲子園を本拠地にしているチームのファンぐらいであるのだ。
いや本当に、80年代後半から暗黒期、某高校の野球部の方が強いとまで言われたこともあるが、それでも人気は衰えなかった。
またMLBの関係者が、高校野球の甲子園を訪れると、その熱気に驚くというのはよく聞く。
裏でどれだけの金が動いていようと、熱量だけは金では買えない。
開幕戦の青空の下、直史はピッチングを開始する。
一回の裏、オークランドの攻撃は五球で終わった。
別に無理に、記録更新などを狙っているわけではない。
ただ去年のサイ・ヤング賞投手を相手に、普通に打ってきたのだ。
それはそれで間違いではないのだと、直史も樋口も分かっている。
ゴロを三回打たせた。
カーブを見せ球にして、左右のバッターの懐に飛び込む球を投げる。
それで打ち取れなかったら、スプリットを使う。
去年まではそれほど使っていなかったボールだ。
沈む球なら、スルーの方が空振りを取れる。
だが空振りを取らないために、スプリットを使うのだ。
強い変化球を、あえて使わないスタイル。
それによって三人を五球で終わらせた。
MLBの最少完投数。
それを更新しようなどとは、直史は思っていない。
ずっとそれを狙っていけば、いずれは達成するのかもしれない。
だがそんなあからさまなピッチングのコンビネーションを使っていたら、いずれは狙いを見透かされて、狙い球を絞られる。
狙い球を絞らせないのが、直史のピッチングスタイルなのだ。
二回の表、アナハイムは下位打線からランナーが出て、上位のアレクに回ってくる。
だがここでの打球は、外野の守備範囲内のフライとなった。
二回の裏、直史のピッチングスタイルは変わらない。
この試合最初の三振を奪って、八球でチェンジ。
まだ自分の最少球数を更新するペースではある。
三回の表は、樋口が外野の頭を越える長打で、まだまだアナハイムの打線の勢いが止まらない。
三塁まで進むと、もはやお約束とさえ言える、芸術的なシュタイナーの外野フライでタッチアップ。
一点を追加して、3-0となる。
そろそろオークランドとしては、敗北が見えてくる。
まだ序盤で、たったの三点差なのだが。
ただ三回の裏、オークランドはようやく、内野ゴロと三振以外のアウトとなった。
内野のファールグラウンドでのフライ。
しっかりとキャッチしてもらって、これでまたスリーアウト。
この回は七球を投げている。
奇妙などよめきが、スタジアムに伝わっていく。
四回の裏、直史は七球を投げた。
打てそうな球であったのに、手元で曲がる。
またストレートと思って打ちにいけば、内野フライになってしまった。
アナハイムの打線は、下位打線でソロホームランが出る。
これで4-0と、さらに勝利へと近づいていく。
もっとも直史が投げると知ってから、誰もが分かっていたはずだ。
一点取れば勝てるのだと。
ざわめきがやむことはないが、それはとても静かなものであった。
声を殺して、この投球芸術を堪能する。
内野ゴロばかりを打たせる、まさに異能の支配。
グラウンド上は、直史の支配下にある。
ただどうしても、こういったピッチングには運の要素が絡む。
ワンナウトから、内野を抜けていく打球があった。
その瞬間、スタンドからは失望も溜息が漏れる。
フランチャイズであるのに、打線を全く気にされないオークランドは、全くもって気の毒であった。
パーフェクトが途切れてしまった。
だがまだここから、狙っていける記録はある。
(ダブルプレイを狙ってくるはずだ)
オークランドベンチとしては、当然ながらそう考える。
ランナーを消してしまうのは、ゴロを打たせてダブルプレイがいい。
その意図がある程度分かっているのだから、対処のしようはある。
そう思っていたのだが、直史はストレートとスルーを組み合わせて、三振を奪った。
ダブルプレイを狙っていると思われるのは、分かっているのだ。
続くバッターを内野ゴロにしとめて、このイニングは10球を投げた。
この試合で初めての、二桁の球数であった。
下位打線でランナーがたまる。
オークランドは既に、先発のピッチャーは交代している。
これは負け戦になる。
いや最初から、それはおおよそ分かっていたのだが。
全自動勝利獲得マシーン。
直史の機能は、つまるところそれに集約されている。
下位打線のたまったランナーを、アレクの今シーズン初ホームランが、一気に返した。
もうこれで、点差は八点とまでなっている。
普通の試合であれば、そろそろリリーフに任せてもいい試合だ。
しかしこれは普通の試合ではないし、何より直史が疲れていない。
このペースでいけば、70球以内で試合を終わらせることになる。
70球以内だ。
またこいつはおかしなことをしているな、というチーム名との畏怖の視線はどうでもいい。
「このペースだと、68球前後か」
「そこまで球数を考えることはないだろう」
樋口が重要と考えるのは、いかに消耗なく一試合を投げきるかで、直史もそれは同じ考えである。
「ただ、どうやったら58球なんかで完投が出来るのかなと思ってな」
「ああ、それはな」
樋口としても、これよりも少ない球数で終わらせるというのが、どうにも想像しにくい。
「戦中の試合だったらしいし、少し選手層が薄くなってたんじゃないかな」
「それにしても58球はなあ」
それだけしか投げないのであれば、中三日もあれば完全に回復する。
いや中二日でもいいぐらいだ。
とりあえずこの試合は、どれだけ少ない球数で終わらせることが出来るか、その検証である。
もっとも単純に球数だけを気にするのであれば、もっと裏技と言うか、危険度の高い手段がある。
それは申告敬遠で、ランナーを一人置くこと。
そうすれば牽制、またはダブルプレイで、アウトが取れる。
だがかつての記録は、そんな申告敬遠などはなかったのだ。
ならばデッドボールでランナーを一人出すということでも、その機会は増えるのか。
さすがに微妙なところである。
パーフェクトが途切れたところで、一度スタジアムのスタンドの雰囲気は弛緩した。
それは観客だけではなく、選手でさえもそうであった。
だからこそ直史は、三振でバッターを打ち取ったのだ。
集中力を欠いた守備では、何が起こるか分からない。
まして今の三遊間は、去年までのものとは違うのだ。
二度目のヒットは、内野安打であった。
ショートが追いついたものの、わずかに一塁への送球は間に合わなかった。
ただここで容赦なく、バッテリーはダブルプレイを取りにいった。
そしてそれは成功した。
70球を切れるかどうか、微妙なところだ。
だがスタンドはかすかなざわめきをもって、それを見守っている。
MLBには色々な記録があって、その中には既に直史が更新したものもある。
様々な分析がなされる現代において、そういった極端な記録が更新されることは、かなり難しくなっている。
薬物を使わない今、薬物時代の記録をどうするか、それは何度も話されたことである。
だがバッティングに関するダーティレコードは、大介がほとんど塗り替えてしまった。
日本人らしく、汚いものは綺麗にしたのである。
ただピッチャーの記録はどうであるのか。
そもそもステロイドに代表されるような薬物に関しては、単純に筋力を増強させると言うよりは、動体視力に関わる目の筋肉の収縮が大きいのだとも言われている。
あとは肉体の回復なども、ステロイド系の薬物は使われる。
こういった治療には、当然ながら合法的なお墨付きが出るのだ。
直史の記録は、そんな薬物では何の役にも立たないものだ。
必要なものはむしろ、ドーピングと言うよりはさらに過激な、麻薬が必要になるだろう。
もちろん経験したことのない直史であるが、コカインの高揚感などはひょっとしたら、あの状態に肉体を持っていくのに、必要なものなのかもしれない。
コカインには感覚の拡大を感じさせるような、そういう効果もあると言われている。
またヘロインは、酩酊状態にも似た、また別の状態を脳に感じさせるらしいが。
直史はそんなものは必要としない。
脳内麻薬というのは実際、人間が脳で分泌するものだ。
おそらくこれを自在に操れば、ピッチングは新たな領域に達する。
しかし脳内麻薬は本来、危機的状況や多幸感によってもたらされる。
この辺りは脳内麻薬が、多幸感をもたらすと言ったほうが適当だろうか。
こんな作用を脳に何度も受けていて、健康でいられるはずもない。
またこれによって受けた刺激は、外的要因によってもたらすことも出来る。
ステージで多幸感を得るミュージシャンなどが、麻薬に手を出すこと。
それはあの多幸感を、簡単に経験するために必要とするのかもしれない。
とにかく集中して、そしてデータから分析し、コンビネーションを考える。
危険な領域に達することなく、それでどうにかなるのだ。
ならない化け物相手には、もっと工夫していく。
具体的には大介相手であるが。
レギュラーシーズン中であれば、ナックルで統計的に勝ってもいい。
上手く相手の打順調整をすれば、こちらがどう点を取るかで、一点ぐらいは失ってもいいのだ。
だが大介と対戦するのは、リーグが違いインターリーグでも当たらない今年は、ワールドシリーズだけとなる。
最終戦にまでもつれこめば、切り札のように限界を超えなければいけない。
しかしこの限界の超え方にも、程度というものは存在するのだと思う。
去年のあの最後の対決。
途中まででも既に、直史はかなり消耗していた。
上手くそれを調整し、最後の打席の対決に、さらに深く潜っていたらどうだったろうか。
そうは言ってもあの最後の一球、直史は完全に全てを把握していた状態から、一気に大介の気配で世界を切り裂かれたのだが。
いや、あれは逆に、大介が全ての支配下にあった直史の世界から、強制的に自分だけを切り離したと言うべきか。
他の人間には、どうせ分からない領域であり、境地である。
ただどうにか言語化すれば、もっと自分でも理解しやすいと思う。
試合は進んでいく。
直史はフォアボールのランナーを出さない。
そして終盤にもなれば、上手くボール球で空振りも取っていく。
やはり今のMLBでは、球数のレコードは塗り替えられそうにない。
かつては四割台がいた、MLBのバッター。
大介がやってくるまで、半世紀以上もそんなバッターは現れなかった。
ただ直史も、シーズンに何度もパーフェクトを達成するという、非常識なことをしている。
上杉でさえ年間に、二度以上のパーフェクトをしたことはない。
武史も去年は、二度のパーフェクトを達成していた。
なんでそんなことが出来るのか、と直史は何度も問われる。
そして返す答えは、最終的には運である。
今日の試合にしても、内野を抜けていったヒットと内野安打は、少しだけ打球の方向が違えば、アウトになっていたのだ。
フォアボールを出さないというのは直史の技術であるが、あとは野手の頑張りによる。
ノーラン・ライアンは七度のノーヒットノーランを達成しているが、パーフェクトは達成していない。
コントロールに課題があったからだ。
グレッグ・マダックスはマダックスは達成しているが、ノーヒットノーランなどはない。
ある程度は敬遠して、試合全体の勝利を目指すのがスタイルであった。
直史のやっていることは、マダックスに近いように思える。
球速や球種、そしてグラウンドボールピッチャーなど、そして何より球数の節約が、似ているところだろう。
だがノーヒットノーランや、パーフェクトを自然と達成している。
あくまでそれは結果だとしか言わないが、重要な決戦においては、何度もパーフェクトを達成しているのだ。
表に表れている事象ははっきりとしている。
そこから何かを読み取ることが出来るのか。
単純に考えれば、球種やコントロールによる、バッターの打球のコントロールだ。
それが全て思い通りにいけば、全てのバッターを内野ゴロでアウトにすることも出来るだろう。
だが実際のところ、直史はそんなことは到達点ではないと考えている。
フライを打たせたり、三振を取ったり。
そういったことも混ぜていかなければ、相手はとにかくゴロを打たせられることだけを、注意していくことになるのだから。
九回の表が終わる。
11-0と既に、試合の行方は完全に見えている。
なんならこの楽な場面で、リリーフに経験を積ませてもいいのではないか。
直史はそんなことを考えたりもしているが、アナハイムのFMであるブライアンは、ちゃんと空気を読んでいた。
直史の完封により、この試合は決着させる。
それは確定事項である。
あと期待されるのは、いったい何球で、完封できるかということだ。
直史のこれまでの記録は、72球。
よりにもよってそれは、MLBのレギュラーシーズンデビュー戦。
そしてデビュー戦にしてパーフェクトゲーム。
華々しすぎる試合であった。
別にそこまで目立たなくてもいいのだ。
去年のレギュラーシーズンは、32勝し31完封をした。
六回もパーフェクトゲームを達成したが、ポストシーズンの最後の最後で負けてしまった。
圧倒的なピッチングを見せて、怪物といわれようと、江川は甲子園で優勝していない。
それどころか三年の春まで、出場すら出来なかったのだ。
重要なのは、最後のマウンドで勝利すること。
もちろん逆に、サヨナラ勝利でも問題はない。
己の記録はあくまでも、最終決戦で勝つための過程。
それを忘れてしまっては、優勝には届かない。
(まあ大介との勝負にこだわっていた時点で、負けていたとも言えるんだけどな)
譲れないのはそこだけであった。
それ以外は全て、譲っても良かったのだ。
そして結果的に、ワールドチャンピオンには届かなかった。
直史が悪いと言えるような人間は、誰もいなかった。
大介と勝負したのさえ、もしもあそこで申告敬遠でも出ていれば、完全にしらけた試合になっていただろう。
もっとも大介との勝負に、全ての力を残していた直史だ。
下手をすればそこで気が抜けて、シュミットに打たれていたかもしれない。
九回の裏、オークランドの最後の攻撃。
先頭打者は三振に倒れ、次の打者は内野ゴロ。
せめて粘って、おかしな数字を消してしまいたいだろうか。
だがそれは直史が許さない。
カーブから始まった組み立ては、二球でツーストライクとバッターを追い込んだ。
ならばあとは危険を排除するため、三振を狙っていけばいい。
最後に選んだ球種はストレート。
高めにわずかに外れたボールであったが、バッターはそれを見逃した。
そして審判の判定はストライク。
今のはストライクであったか、というバッターの視線はあったが、そう判断されても仕方がない程度ではあった。
樋口が上から抑え込むように、ボールをキャッチしたのも判定を左右したのだろう。
九回66球4奪三振。
スコアは11-0とアナハイムの圧勝。
だがそんなことはどうでもよく、とにかく球数が少なすぎる。
「これだけやって66球か」
「どうやっても60球を切るのは無理だと思うけどな」
直史と樋口は、気軽にそんなことを話し合う。
そもそも70球を切るピッチングなど、常識的に考えてありえない。
81球未満という条件の「サトー」をさらに上回る、いや下回るのか。
とにかくあまりにも偉業と言うよりは異形すぎるピッチングで、言葉もない選手や記者、そして関係者である。
ターナーの離脱にショートの変更。
アナハイムは今季、圧倒的に不利な条件が揃っている。
だからこそ開幕戦は、圧倒的に勝つ必要があった。
単なるパーフェクトよりも恐ろしい。
そんな記録を、刻みつける必要があったのだ。
「狙って出来るもんじゃないんだなあ」
なぜか残念そうに直史は言って、樋口はその背中をポンポンと叩いたのであった。
魔王は今年も魔王であるらしい。
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