第一章 (5)

「ラッキーセブンも両校無得点、伝統の文明戦は四対四のまま八回の表を迎えます——」 

 事務所のテレビから流れる音声が一輝の耳に入った。遅めの昼食は午後三時を回っていて、賄いのうな重は確かに特上のようだった。

 うな重のランクは蒲焼きの量による。産地は別に明記する決まりだ。『美なぎ』は一流の老舗だけあって、全品国内産にこだわっていた。

「それなら、賄いのうな重は特上だ——」面接での社長の軽口が耳に蘇る。真に受けるようなことではない。それでも彼は他のスタッフの賄いが気になっていた。

 厨房で「藤原君だよね、はい」と渡されたのも気がかりの種になった。もし周りが並や上だったら気まずいから、確認して安心したくなったのだ。しかし、こんなことを直接訊くわけにもいかない。そこで一輝は、誰かが食事を始めるのを見計らって、さっと横目で確かめることにした。

 先に休憩に入った和泉はすでに食べ終え、コーヒーを飲みながらスマホゲームに興じていた。陸上部の顧問になって、女子部員を育成するゲームにはまっているという。藤色の髪をしたキャラクターがお気に入りらしく、おやつに目がないからすぐ成績が下がる、といって笑っていた。

 もう一人休憩に入ったスタッフがいたが、タバコを吸いながら食べるといって屋上に行っている。一輝は飲み放題のお茶を啜りながら、今日のうちに確かめることはできなさそうだなと思った。

 壁の時計がボーン、と音を立てた。午後三時三十分、休憩時間の半分が過ぎた。ぼんやりしていると、廊下から話し声が聞こえてきた。それがだんだん大きくなり、ドアが開いた。二人の男が入ってきた。頭一つ分くらいの身長差があった。

 小柄なほうは中本といった。一輝が焼き台を捜している時、善さんに訊けと教えてくれた男だ。大柄なほうはまだ話していない。年齢は四十過ぎか。どちらも襟に『花菱 美なぎ』と刺繍の入った白衣を着ていた。

「おう、お疲れさん。仕事はどうだ?」中本が和泉を見つけ、話しかけた。

「お疲れ様です」和泉が顔を上げた。「忙しいですね。足手まといになってないか心配です」

「いや、覚えが早くて助かってるよ。飯は足りたか?」

「ごちそうさまでした。本当においしいです。特上より盛ってあったんじゃないですか?」

「力仕事もあったしな。お替りしたかったらいってくれ」

「もう大満足です」和泉は目尻を下げた。

「イツキくん、だったね」中本が声をかけてきた。

「あっ、はい」油断していた。声が上ずる。「ごちそうさまでした」

「どうだった?」

 一輝は迷った。話の流れからすると、食事のことを訊かれていそうではあった。迷うのは、仕事はどうだ、と最初に話しかけていたからだ。おいしかったです、と答えて、仕事のことだといわれるのは避けたい。

「すごく、よかったです」そういって、一輝は口角を上げた。あとは流れだ。

「それはよかった。いつでもお替り自由だから、遠慮はいらんぞ」中本は笑顔を倍にして返してきた。

 ありがとうございます、といいながら、一輝は社長の調子良さに振り回されていた自分を嘲笑わらった。

「おおっ」大柄な男がテレビに目を向けていった。「九回で同点だよ。延長あるんだっけ?」

「ダイゴ、ちゃんと応援してるか? お前んとこだぞ」中本が口を尖らせる。

「してますよ。勝ってほしいです」

「ぜんさん見に行ってるんだってな」大柄な男がいった。

 善さん——聞こえてきた名前に一輝は反応した。あの女の子の部屋にいた人だ。きっとここの従業員なのだろう。

「木田先生の娘さんも一緒だってさ」中本が大柄な男を見上げるようにしていった。

「あかねが二人で行くっていってましたね」

 ——あかねって子が木田先生の娘さん、あの女の子がそうなのか。するとあの部屋に住んでいるのは木田あかね。善さんとはたぶん付き合っている。ただ、先生と呼ばれる人の娘が住み込みで働くか? 一輝は思考を整理したが、まだ引っかかる部分があった。

「あー、ツーアウトだ」和泉を挟むようにして、二人は椅子に腰を下ろした。ゲームに没頭していた和泉だったが、これでテレビを見ないわけにいかなくなった。

「——この回もポンポンとアウト二つ。文政大の先発飯島、初回に四点を失いましたが、二回以降は二塁を踏ませないピッチングを続けています——」

 一輝はそれなりに野球には詳しかった。父親の九司が社会人野球で投手をしていた影響もあって、小学生の時は地域のチームに所属していた。中学からは見るだけになったが、プロアマ問わず、球場によく足を運んだ。ただ、自分が入れなかった大学の試合をこうして見るのは、あまり気持ちが乗るものではなかった。

「打ったー! 高々と上がった、レフトポール際、飛距離は十分か——」

「おおっ」大柄な男が立ち上がり、中本は前のめりになった。一輝も思わず腰を浮かせた。映像では、打球の行方はわからなかった。



   

  

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エロティック・ホステス 檀密 @fujiwara7

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