造花

 私は部屋に造花を生けている。この一言には矛盾があるのは百も承知である。だが「花を生ける」という言葉があるならば、「造花を生ける」と言ったところで差し支えなかろう。造花はプラスチック製なので血が、いや水は通っていないし、彼らは呼吸も光合成もしない。そこに生命があるはずがない。逆に生けた本物の花に生命はあるのだろうか。昔、大学入試の評論か何かだっただろうか、生け花は死の技芸である、みたいな内容の文章を読んだことがある。本来の生から切り離されて、死んだ身体で美しいように設えられる、みたいな。

 でも結局それも見方次第だろう、と思うことがある。祖父が生前よく花を買っては剣山に挿し玄関に生け花を飾っていたので、そこにバイアスが生じているのは理解しているつもりだ。だが剪定されて生けられた花は芸術品として新たな生を得る。ならば、パソコンのモニターの隣に私が生けたこの造花にも、新たに生が宿っているはずだ。彼もまた、何らかの形でこの世に生を受けたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る