第5話 変わっていくヒーロー
六月に入って最初の月曜日。
いつも通りだと思っていたところに聞かされた話は、予想もしていなかった大事件だった。来たときにお店に雲居先輩がいない、つまり何でも屋の仕事に出ているのは珍しいことではなかったから、そうじゃなかったことに本当に驚いてしまった。
「───という訳で、太陽は実家にいるんだ」
「そうなんですね」
あまり広くないお店が、宙さんだけだと聞くとなんだか急に広くなったように感じられる。宙さん、お店も何でも屋も一人で大丈夫なんだろうか。
「お客さんにも何人かに聞かれてな。海も聞かれると思うけど、その内戻ると言ってくれればいいから」
「分かりました。そういえば、雲居先輩が戻るのはいつなんですか?」
「二週間だから……来週の日曜日だな」
「二週間?!」
二日か三日ぐらいかなと思ったのに、それはまた随分と長い。
僕がそう思うぐらいだから、雲居先輩にとってはきっと一ヶ月、いやもしかしたらそれ以上に感じるくらい長いものなんじゃないかと思う。
「ちょうどいいペナルティが思いつかなくて、苦し紛れの案だったんだけど。でも、思いの外効いてたみたいで良かったよ」
「そりゃあそうですよ……」
自分がやりたくてやっていることを禁止されることもそうだし、それを宙さんから言われることもそうだし、その間実家に戻されてしまうことも全部ショックだったと思う。ペナルティと言うよりは罰と言ったほうが正しいんじゃないだろうか。雲居先輩に対して的確すぎて、とても苦し紛れの案とは思えない。
「そういうところなんですよね」
「? 何か言ったか?」
「いえ、何でもないです」
前々から思っていたのだけど、宙さんは鈍いところがあると思う。普段はどちらかと言えば察せられるほうなのに、どうしてなんだろう。
「そういう訳だから、できればなるべく来てもらえると助かるんだけど……」
「あ、はい。水曜日以外は大丈夫です。雲居先輩の代わりにはなれないと思いますけれど、手伝えることならなんでも言ってください」
言われなくても基本的に来られるように午後の時間は空けてあるし、そうできるようにカリキュラムも組んである。でも水曜日だけはどうしても駄目で、そこは申し訳ないと思う。一人だけだと何でも屋の仕事があるときにはお店を閉めなければいけないし、雑務だって滞ってしまうだろうし、少しでも助けになれるといいんだけど。
「……」
「宙さん?」
「───いや。海も何かあったらちゃんと言ってくれな?」
どこか腑に落ちていないような表情で宙さんが言う。なんだろう。
「えっと、大丈夫ですよ」
「そうか? 無理してないか?」
「え?」
……あれ? なんだか話の風向きが変わってる?
「そんなことはないですよ。大丈夫です」
「ならいいんだけど……海はいつも自分の意見とか要求とか言わないだろう?」
今なら良いチャンスなんじゃないかと思ったんだけど、と宙さんが続ける。
それは思いがけない言葉だった。そうやって気を遣ってもらえるのは申し訳ない気持ちもあるけれど、嬉しい気持ちもある。
……だけど困った、とも思う。そうやって促されても言いたいことなんてなんにも無い。ほんの少し、一つだけ無いわけではないけれど、それは自分が言うことじゃない。から、無いのと同じで。だから困ってしまう。
「特に無いです。本当です。大丈夫です」
「……。そうか」
頷いてはくれたけれど、明らかに納得がいっていない様子だ。……確かに今の返事の仕方は逆に怪しかったかもしれない。でも無いものは無いし絞り出せるものじゃない。無いわけではないことを言うのは───ううん、やっぱり無理だ。言えないし、言うべきじゃない。
心配してもらえるのはありがたいことだと思う。だけど僕だって役に立ちたいのに、まるですり替えられるようにそんなことを言われてしまうのはなんだか。
……。
なんだか、少し。納得できないものを感じる。
「宙さん!」
声を出したら思ったよりも強く出てしまってびっくりした。言われた宙さんもびっくりしたように見える。
「どうしたんだ、やっぱりなんかあったのか?」
「無いです。無いですけれど、」
首を横に振る。そうじゃない。
「けど?」
「僕だって仕事をするためにここに来てるんですからそんな気を遣わないでください。来てるからには役に立ちたいんだし無理をしてるなんてそんな訳はないんです。気を遣ってくれるのは嬉しいことですけれどそれより遠慮せずにこうしてほしいああしてほしいと言ってくれたほうがもっと嬉しいんです。雲居先輩の代わりなんて到底無理なことは分かってますけれど今は土生先輩も来られない時期なんですし宙さん一人じゃ大変じゃないですか。宙さんこそちゃんと─── 」
目を丸くした宙さんが目に入って、咄嗟に手で口を抑えた。だけど出した言葉は引っ込められない。
納得できないとは思ったけれど、言い過ぎてしまった気がする。多分、いやきっとそうだ。宙さんは僕のことを考えて言ってくれているのに、こんな言い方をしてしまって気分を害させてしまったのではないだろうか。大変なときに、余計な問題を増やしてしまったんじゃ───
「なんだ、ちゃんとあるんじゃないか」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。ある、って?
「言いたいこと言ったじゃないか。……思っていたのとは方向性が違ったけれど。」
笑っている。僕の失礼な言い方に怒ってなんかいなかった。それどころかちゃんと汲み取ってくれていて───。
そうだ。この人は本当に優しい。それも前から分かっていたことだった。今更、だった。
「気にしないで良いんだな?」
「はい」
「じゃあレジの仕事を……」
「えっ?!」
確かにこんなことを言うのなら、レジも苦手だからとかそんなことを言わずにやらなくてはいけない。そうじゃなければただの我儘だ。だけど今はレジのことなんて全く考えていなかったから急に言われても困るというか、いやでもそんなことを言ってはいけないのではないか。まずは自分でそれを示すべきなんじゃないか。
「えっと、はい、分かりま───
「冗談だよ」
「えっ」
意を決して頷きかけたところだった。驚いて顔を上げると、笑っている宙さんの顔が見える。
「時間がなくて郵便局に行けない人の依頼があるんだ。代わりに頼まれてくれるか?」
「あ……はい!」
良かった。嬉しい、と思った。
今までは明らかに僕向きだろうという仕事だけ割り振られていた。でも、今回はそうじゃない。
「荷物結構重たいけど大丈夫か?」
「えっ、ええとそれはその、頑張ります……」
力仕事は得意じゃない。雲居先輩みたいには到底できない。だけど時間をかけてもやればできることだったら、やらないといけないと思う。そうじゃなかったからきっと、気遣われていたんだと思うから。
「無理そうだったらレジ番と交代するからな」
宛先はもう貼ってあるから窓口に持って行くだけで大丈夫。笑いながらそう言って渡してくれた荷物は確かに大きくて、少し重たい。だけどこれならできないことはない。時間はかかっても運べるはずだ。
「大丈夫そうです。では、行ってきますね」
しっかりと抱えて外に出る。
……郵便局に行って、荷物を出して。帰ったらレジにも入らないと、と思う。馴れ馴れしく名前を呼んでくる女子高生も駄菓子をいっぱい買う世間話好きなサラリーマンも色んなことを聞きたがるぐいぐいくるおばさんも、どう考えてもやっぱり苦手だしできればやりたくないとも思うけれど、だけどこれも「やればできる」ことだから慣れないといけない。慣れることができるかどうか分からない、ではなくて───
ああ、そうか。
不意に分かった気がして足が止まる。多分、きっと、意識の問題だったんだ。
早く済ませて店に帰ろう。落とさないように荷物を抱え直して、少しだけ早足で歩き出した。
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