第3話 変わりたくないヒーロー



 時間の流れは速いな、としみじみと思う。いつだって気が付けば今が未来に、あっという間に今の時間になって、何もかもが変わってしまう。それはヒーローに選ばれた時からもそうだし、雲居先輩にトラブルがあって宙さんと出会った時からも、雲居先輩が卒業後に何でも屋を始めると聞いたときからも、僕が高校を卒業して大学に入ってからもそうだった。

 緊張しながら入学式に行ったのはついこないだのような気がするのに、あの時満開だった桜はもう葉桜になっているし、大学生活にもほんの少しだけど慣れてきたような気がする。新しい環境はやっぱり怖かったけれど、始めてみれば高校生活よりも団体行動をしないでいいことが分かって、精神的にも雲居先輩たちの手伝いをするのにもありがたかった。なるべく手伝いに行けるようにカリキュラムを組んで、そちらの方にもなるべく早く慣れるように努めて───それでも慣れそうになれないことが、ある。


「あっれ、今日は珍しい人がレジに入ってる」


「……いらっしゃいませ」


 お客さんがお店に入ってくるとどうしても身構えてしまう。ほんの少しでも笑ったほうが良いと宙さんに言われたけれどできた気もしない。いつまでもそんなことではいけないとは分かっているのだけど、なかなかそうはいかなくて、ついため息をつきそうになってしまう。


「宙さんや太陽君は?いないの?」


 常連らしい女子高生が二人の名前を気安く呼ぶことにも思うところが出てきてしまって、それも良くないなと思う。それは単に、二人がお互いを名前で呼ぶから名前の方が知られてしまっている、馴染みができてしまっているというだけの話なのだから。


「宙さんは銀行に行くついでに買い出しに出ていて、雲居先輩は……奥で勉強をしています」


 商品のバーコードを読む、という名目で顔を上げないまま返事をする。

 店の業務にも携わりたいという雲居先輩のたっての希望で、次に発注するものを考えるという宿題を宙さんから出されているのだ。勉強というと語弊があるけれど学んでいるのだから多分間違いでは無いと思う。今は多分、在庫の台帳とにらめっこをしている最中のはずだ。

 

「先輩?キミ後輩なんだ」


「え、あ」


「にしても勉強とか苦手なタイプだと思ってたから意外だったなー。じゃあ頑張ってって伝えといて!」


 説明した方がいいんだろうか、でもどうやって?

 考えている間に話が進んでしまって、慌てて頷くことしかできなかった。それと、ありがとうございましたも。


 ため息がこぼれる。本当に慣れる気がしない。それでも始めて入ったときは本当に酷くて、そう考えれば多少は良くなっているんだろう。そう思いたい。でもこれ以上は?例えば一年後、もう少しまともにコミュニケーションがとれるようになるのだろうか。少しずつでも変わっていけるのだろうか───


「……ズルい!」


 急にピシャン!という音が響いてびっくりして振り返る。すると奥に繋がる引き戸から、台帳とにらめっこしている筈の雲居先輩が顔を出していた。


「え?」


「前々から思ってたんだけど、やっぱりズルい!!」


 凄まじい勢いで食ってかかられているけれど、何がなのかがさっぱり分からない。一体何がなんだろう。雲居先輩は結論だけしか言わないことがしばしばある。それはとても雲居先輩らしくあるけれど、こういうときにはちょっと困る。ちゃんと言ってほしい。


「雲居先輩、何がで───


「それ!!!」


 雲居先輩はもう、半分ぐらい体をこちらに乗り出していた。声と同じくらいに勢い良く僕を指差して


「宙さんばっかりズルい!俺も名前で呼ばれたい!!」


 ……言われたのは、思いもしない言葉だった。




「だってさー、宙さんより俺のほうがずっっと付き合い長いじゃん?なのにさー」


「そう言われても……」


 雲居先輩はもうすっかり体をこちら側に出してしまっている。このタイミングで宙さんが帰ってきてしまったら酷く怒られてしまうんじゃないかと心配になるけれど、雲居先輩はちっとも気にしていないように見える。


「だからさー、俺のことも太陽って呼んでくれてもいいじゃん」


「……それはちょっと」


「なんでだよ宙さんのことは宙さんって呼んでるくせに」


 何でもなにもそれは宙さんが名字で呼ばれたがらないからであって、積極的にそうした訳じゃない───どちらかというとそれは雲居先輩の方だったでしょう。年上、それも10近く年が離れている相手に名前で呼んでいいかだなんて提案したことに本当に驚いたし、自分がそうするだなんて馴れ馴れしくて本当に気が引けた。引けたけれど、そうやって気を遣ったつもりの結果逆に気を遣わせてしまったのはあんまり思い出したくない思い出だし、だったらそうするより仕方が無いことじゃないか。

 ……それでも三年も経てば慣れるものなんだなぁ。なんて、ふと思う。


「宙さんは……そう呼んでほしいと言うからです」


「じゃあ俺だってそう呼んでほしいんだからそう呼んでくれよ」


 言葉に詰まる。それは全くの正論だ。

 雲居先輩にだって簡単に分かってしまう位に道理が通ってないのは自分でも分かっている。分かっているのだけどやっぱり難しい。

 最初からそう呼んで欲しいと言った宙さんとは違って雲居先輩はもうその呼び方で馴染んでしまったからだというのがあるし、それに───


「……でも。そうすると土生先輩だけ違う呼び方になってしまって、それはやっぱりちょっと……」


「じゃあ緑さんのことも名前で呼べばいいじゃん。絶対気にしないって!」


 本当に雲居先輩は簡単に言ってくれる。それがどんなに難しいことなのか、きっと想像したこともないのだろう。

 だけどそれも正しいのだろうな、というのも分かる。きっと土生先輩は気にしない。気にしているのは僕だけで───だから、雲居先輩は、悪くない。


「……というか、雲居先輩はどうして土生先輩を名前で呼んでいるんですか」


 分かってる。分かっているから余計に気不味い。だからつい、話を逸らしてしまう。

 宙さんに提案したときみたいに土生先輩にも提案したのだろうか。


「だって俺が入ったとき大地さんも職員でいたからさ-、名字だとややこしくって」


「大地さん?」


「ほら、俺らの前の代のイエローだった。緑さんのお兄さん」


「えっ」


「えっ、言ってなかったっけ?」


「……初耳です」


 土生先輩が前の代からイエローだったのも、それは先のイエローだった人が途中でリタイアになってしまったからだというのも知っていた。だから適正年齢より早くヒーローになったし、その次の代───つまり自分たちの代でも引き続いてイエローだったのだ、ということも知っていた。だけどその人の名前は聞いたことがなかったし土生先輩も何も言っていなかった。確かに言う必要は無かったのだろうし実際に困る事なんてなかったのだけど、でも、まさか。


「あー、海が入った時にはもう、確かえーっと、外の仕事……」


「外勤?」


「そう、それ!多分それ!だったからまー、知らなくってもしょうがないって」


 ばしばし、と背中を叩かれる。いつの間にか雲居先輩はすっかりこちらに出てきてしまっていた。

 これはもしかしなくても気を遣われているんだろう。それが申し訳なくて居たたまれなくて、視線を外に向ける。宙さんが戻ってくる気配はまだ見えない。誰かがタイミング良く入ってきてほしいと思ったけれど、それも叶わない。


「……なぁ、海」


 少しだけ違うトーンに、思わず視線が戻る。少し真面目な顔をした雲居先輩が真っ直ぐに僕を見ていた。


「緑さん。本当に、気にしないと思うぞ」


 まるでただの繰り返しのような言葉。でも、込められているものが随分違うのが分かる。その理由も分かってしまって、今度は視線を逸らせない。

 ……それはきっと事実だ。分かってる。分かってはいるけれど。

 そうしてしまうというのは、してしまった時点で今までとは異なるということで、それは変化であって、変化を起こすということ自体が───


「───…でも、


「男二人で顔を突き合わせて、一体何をしているんだい」


 急に聞こえた言葉に慌てて振り返る。それと同時に隣の雲居先輩が「やべっ」と小さく言ったのが聞こえて血の気が引く思いがした。

 宙さんが帰ってくる可能性はずっと考えていた。お客さんがやってくる可能性だって考えていた。

 ───土生先輩がやってくる可能性は、今は、少しも考えていなかった!


「話くらいはしていてもいいと思うけれど、人が入ってきたことに気が付かないのは良くないな。評判が下がってしまうよ」


「緑さん!宙さん途中で見なかった?」


 雲居先輩が身を乗り出して、まるで僕を庇うような体制で土生先輩に尋ねかける。それが分かりやすく慌てた挙動で面白かったのか、くすりと笑ってから思い出すような仕草をする。


「ああ、見たよ。荷物を沢山持っていたものだから手伝おうかと言ったんだけど、それよりも雲居君と安曇君の様子を窺って欲しいと返されてしまったんだ」


 少しくらいは持たせてくれてもいいのに、と言いながら肩を竦める。それはきっといつも通りのやりとりだったのだろうなと容易に想像がついた。なんなら何となく嫌そうな表情をした宙さんまでもが目に浮かぶ。


「ところで雲居君。星月さんに言いつけられていたことはもう終わっているのかい?」


「あっ」


 すっかり忘れていたらしい雲居先輩が慌てて部屋に戻っていく。そういえばそうだ、僕も途中までは気にしていた筈なのにすっかり忘れてしまっていた。怒られるようなことがあるなら僕も悪かったのだと宙さんに言わなくてはいけない。


「という訳だから、安曇君」


 急に名前を呼ばれて心臓が跳ねたような錯覚を感じた。慌てて土生先輩の方を向いて、だけど視線は合わせられない。さっきの話はどこから聞いていたのだろう。……聞ける筈がない。


「君が星月さんを手伝いに行ってくれないか」


「え?でも、いいって言われたのでは……?」


 土生先輩がまた肩を竦めてみせる。


「知っての通り、私は星月さんに好かれていないからね。安曇君が申し出たならばきっとすんなりと受け入れてくれると思うよ」


「それは───」


 嫌がっているのに名字で呼び続けるからじゃないですか。そう言おうとして、だけど言葉は喉で引っかかってそのまま落ちていってしまう。そんなことを言う資格は僕にはない。だってそれは自分だってできていないことじゃないか。できないとしないの違いがきっと明確にあって、その意味合いは大きく違うだろうけれどそれでも僕が言えることじゃない。それは自分を棚に上げてしまうような行いで───それは、おかしい。


「なんだい、安曇君」


「あ……ええと。では、行ってくるので、お店と雲居先輩の事をお願いします」


「うん、行ってらっしゃい」


 多分、きっと。誤魔化せてはいないと思う。だけどこういう時、いつも土生先輩は追求しないでいてくれる。そのことを今ほどありがたく思ったことは無かった。

 頭を下げてから店を出る。呼び方を。いつかは変えるときが、変わるときが来るのだろうか。

 変わらないものなんてない。僕だって少しずつ変わっている。だけど変わった自分の姿は想像がつかないし、できるだなんて思えもしない。少なくとも、今は。


 頭を軽く振って歩き出す。いつかは変わらないといけないのは分かってる。それでも変ろうとするときのことを思うと怖くてしょうがないし、だからもう少しだけ今のままでいたい。もう少し、だけ。



    それはいつまで?



 ふと浮かんだ疑問を、僕は見ないふりをした。

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