第2話 重なるヒーロー

 日曜日。今日は朝からしとしと雨が降っている。

 久しぶりの雨は恵みの雨と呼べるものなんだろうけれど、好天に助けられて今日まで咲き続けていた桜にとっては十分な打撃になったらしく、ここに来るまでの幾つかの道は無残な花びらで埋め尽くされていた。

 人間にとってはどうということがないぐらいの雨なのだけど、それはそれで外出をしたい気持ちを削いでしまっているらしい。ラジカセの修理という名の作業を始めてからもう随分と経ったというのに、ヒーローという名のこの店にお客さんの姿は見えなかった。そのせいかレジに立っている星月さんは、さっきからずっと居た堪れなさそうにしている。雲居君も安曇君も今日はいない。


 雲居君は高校時代の友人に呼ばれて遊びに言っているのだという。「"ヒーロー"のことたくさん宣伝してくるからな!」と意気揚々と宣言していったらしいが、果たしてうまく──この場合は効果的にという意味だ──できるのかどうか。

 安曇君は一泊二日の家族旅行に向かったらしい。「みんなにお土産を買ってきますね」と言っていたらしく、こちらは素直に楽しみにしていていいだろう。


 普段一緒にいる雲居君も、高確率でここに来ている安曇君もいない。そしてあまり姿を見せない私だけがいる。あまりの状況に、星月さんの心中は察するにあまりあるだろう。どうしてか。なんて考えるまでもない。当事者である私から見ても分かりやすく、私に苦手意識を抱いているようなのだから。

 何故なのか。それも考えるまでもない。理由は大きなものから小さなものまでいくつも思い当たる。とはいえ嫌われてまではいないだろう。と思っている。見ていて分かりやすい人だから断言をしても良いと思うけれど、もしも見当違いだったなら───平謝りをするしかないだろうな。


 ともあれそんな状態で、もう一時間以上が経過している。私は作業をしているしこの状況を面白がっているからいいけれど、星月さんはどうなのだろう。そんなことを考えながら視線を向けると、思いがけず目が合ってしまった。


「なんだい、星月さん。そうやって見られると照れるじゃないか」


 いつからそうしていたのだろう。確かに入るアテのないお客さんをただ待つよりは、人が作業をしている様を眺めている方がよっぽど暇つぶしになるだろうけれど。


「……」


 星月さんの眉間に一瞬、皺が寄る。これはいつものことだ。どうしてなのかは分かっているし、いい加減星月さんもいちいち言わなくなった。諦めて言わなくなった、というだけの話なのだがそこは気が付かないふりをする。


「いつもながらいい手際だと思ったんだ」


「そうかな。趣味の範疇だと思うんだけど」


 やはり暇つぶしだったらしい。自分より上手くできるから、ということでそう言ってくれるのだろうけれど、そこまで言われるほどではどうだろう。確かにこういった作業の仕事を何度か任されたことがあるし、結果に満足しているという声も聞かせてもらっている。それらはとてもありがたいことなのだけれども、本職の人には比べるべくもない。

 軽く肩を竦めて作業に戻る。あとは繋ぎ直して挙動を確認して、ちゃんと動けば終了だ。


「……そういう道に進もうと思ったことは無いのか?」


「うん?」


 話が続くとは思わなかった。もう一度顔を上げると、あまり見ない眼差しを向けられていることに気が付いた。相変わらず眉は寄せられていたけれどきついものではなく、どこか緩やかで───それは雲居君や安曇君に向けられることが多いもの。

 思わず揶揄おうとしてしまい、流石にそれはぐっと堪えた。私のことまで慮らなくてもいいだろうに、全く星月さんらしい。


「そうだね、職員になって開発周りの仕事ができればと考えていたこともあったのだけど」


「職員?」


「うん、施設の職員だ。あなたも一度行ったことがあっただろう?あそこで働いている人たちのことだよ」


 もう何年も前の話だ。それでもなんとか覚えていたらしく、星月さんが小さく頷く。


「ヒーローだった人は無条件に、その家族なら審査などを受ければ施設に就職することができるんだ。ヒーローをさせたことで未来に支障が出ては困るし、ああいった場所の求人はとても大変なものだからね」


 何しろ一般に向けて募る訳にもいかない。だとしたら事情を分かっている人を誘う方が都合がいいというわけだ。


「実を言うとね、雲居君も進路がどうしても決まらないのなら勧めてみるつもりではあったんだ」


 星月さんの顔が訝しげなものに変わる。それがあまりにもあからさまなものだったから、つい笑ってしまった。確かにそう、彼からしてみれば元凶はお前だろうと言いたいに違いない。


「本当だよ。……雲居君の興味がより向きそうな候補も挙げたのは確かだけれど」


「故意犯じゃないか」


「そうかもしれないね。でも自分で選んで、自分の理想を掲げて、そこに一生懸命に近づこうとしているのは他でもない雲居君自身だ」


 雲居君は深く物事を考えると言うことが苦手だし、感情のまま赴くままであるところが大きいし、それ故に自分と周囲との摺り合わせができないことが多い。けれど一度決めたら譲らないしそれに対する努力は厭わない。周囲の圧力のようなものにも折れないし、そんな中に丸腰で飛び込んでいって逆に引き込んで何もかもを味方にしてしまうだろう。

 それは雲居君の素晴らしい美点だし、そんなところがどうしようもなくレッドだったし、ヒーローだった。いや、ヒーローだ、と言うべきか。


「一緒にやろうと誘ってくれたのは嬉しかったんだ。だから現状にはなんの文句も憂いもないよ。ここを始めてからの雲居君は、ますます生き生きしているように見えるしね」


 これは本当の話。全く、図書館で項垂れてしょぼくれていた雲居君を星月さんに見せてあげたいものだ。見たことがないだろう姿に、きっと我が目を疑うに違いない。

 もしも、雲居君があの時あんなことになっていなかったら。星月さんに出会うこともなく、そのまま何事もなくヒーロー活動を終わらせて、心の奥底を燻らせたままで過ごしていたとしたら。


「……だからね。私は星月さんに感謝をしているんだよ」


 悪い状況には陥っていないと思う。だけどきっと今ほど良い状況には落ち着かなかっただろう。それはきっと、安曇君も私にも言えることだ。

 雲居君の記憶がなくなって、また戻ってきたときにもそう思った。そして今にしてそれをますます強く思う。こう評してしまうのはまだ早いのかもしれないけれど、あれはきっと、奇跡だったのだろう。


「……は?」


 訝しげに寄せられた眉間の皺はいよいよ深くなる。嘘偽りない気持ちを語っているというのに、いつものように揶揄っているように受け取られるのは甚だ不本意だ。けれどそれも致し方ないだろうという自覚もある。でもこれは10近く年下の人間の言葉に、いちいち真面目に反応を返してしまう星月さんが悪いのではないかな。だからいちいち揶揄ったりしたくなってしまうんだよ。


「出会ったときから一貫して、雲居君のことを何かと気にかけて助けてくれるじゃないか」


「それは成り行きというか……大体なんでそれでそっちが感謝するんだ」


 成り行き。ものは言い様だなと思う。その言い方がおかしくて、また笑ってしまう。


「確かにお門違いなのだろうけれど。でも、私にとっては可愛い弟のようなものだからね。雲居君も、安曇君も」


 初対面の頃は二人とも別の意味で問題児で、それはそれは手を焼かされたものだ。だから今、二人が星月さんに懐いていることに思うところがないわけではない。けれど、良かったと思う気持ちはそれ以上に大きいものだ。私がいなくては立ち行かない、いつまでもそんなことでは困るのだから。

 ……困るのは一体どちらが、なんだろうかね。それは答えが出ない自問だ。だからつい耽ってしまって、蓋を閉じた音でうっかりとそうしていたことに、そして星月さんがまだこちらを見ていたことに気が付いた。結局お客さんは来なかったのだろう。


「土生緑──


「とはいえ、ここまでとは思いもしなかったよ」


 まだ暇つぶしが必要だろうか。そう考えて口を開いたらタイミングが被ってしまった。狙って気不味い思いをさせたわけではなかったから申し訳がなかったのだけれども、「何がだ」と続きを促してくれたので甘えることにする。


「わざわざ何でも屋をやるための場所を見つけて借りて、その為に身銭も切ったと聞いているし」


「それはあいつが転がり込んでくる勢いだったから、あそこじゃ手狭だったし……というか人様の息子を預かるんなら当然のことだろう?」


「それに身の回りの世話も焼いてるようじゃないか」


「いやだってあいつ何にもできない……やらせようとは思ってるけどさ、自分でやった方が早いし」


 転がり込んでくるのが困るなら家から通えと言えばいいだろう。そうしたら身の回りのことだって考えなくても良いだろうに。

 わざわざ背負い込んでそれを当然だと思っていて、大したことはやっていないつもりなのだろうけれど、どう考えてもそんなことはない。これではまるで───


「まるでお母さんみたいだな」


 そう思ってしまって、吹き出してしまって。だから吹き出したついでに言葉にもしておいた。だってそうじゃないか。自分で全部用意してお膳立てをして、やりたいようにやらせている。我ながら良い比喩だと思うんだ。


「────…」


「うん?」


「──なんでだ?!?」


 暫く口をパクパクさせていたかと思ったら、出てきた言葉はなんの捻りもない。あれだけ普段自分の年齢に拘っているというのに、そこは「あんな大きな子供がいるか」とかじゃあないのかい。


「なんでもなにもそうじゃないか。そんなに甲斐甲斐しく世話を焼いてしまって……過保護になる気持ちは分かるけれど」


 昔を思い出す。出会った頃。今を思えば驚くほど変わっていないのだけれども、雲居君があんまりまっすぐだったものだからそれを曲げてはいけないと考えていた。それはつまり、彼自身を信じられていなかったということなのだろう。守ってやらないとまっすぐなままでいられないだろうと勝手に思い込んで。


「そんなにしなくても雲居君は大丈夫だよ。そう簡単に折れたりめげたりしないって分かっているだろう?もっと色々なことを任せたほうが良い。それに、それは星月さんの為にもなる」


 ダイヤルを軽く回してチューニングを行う。うん、問題なく繋がるようだ。よし。


「それはどういう


「お母さんが全部背負うことはない、という話だよ」


 星月さんが何か言う前に修理が終わったラジカセを押しつける。ここまでは私の仕事。ここから先は星月さんの仕事。何しろ私は依頼主の名前しか知らない。


「その責任感は素晴らしいと思うけれど」


「……褒められている気がしない」


「褒めているんだよ」


 これも本当の話なのだけれど、やっぱり訝しげな顔を向けられてしまう。仕方が無い、今の話の流れで素直に受け入れろというほうが無理だろう。


「さ。店番は私がやろう。そのラジカセを届けてきてくれないかな」


 だからこの場は濁してしまうことにする。私がそう促すのはおかしい話だし星月さんもなにか言おうとした。けれど結局何も言わずに、だけど隠しきれずにため息をついてしまう姿を見て、笑う。

 この人も初めて会ったときからずっと変わらない。そう考えると、雲居君との相性は思っていたよりもいいのかもしれない。そう伝えたらどれだけの渋面を見せるのだろう。

 きっと面白いことになるだろう───だから、今は伝えないでおくことにした。

 

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