「月と逃げる」も素晴らしかったが、ミコト楚良さんは史実を織り交ぜた昔語りがうまい。
「さあ、昔話でもひとつすっべか」
炉端で餅、漬物、蜜柑を前にして、語り出すと、たちまちのうちにその語り口に惹き込まれてしまう。
「そんでさあ、どうなった」
「さてな。どうなったかな」
にこにこ微笑んで話を終える婦人の姿が見えるようだ。
語りなので、長々とした状況説明はほとんどない。きらびやかな英雄も出てこない。
ごくごく普通の民草が「あれまあ」「どうすべ」と額を集めて難局を乗り越えていく。
誰もが少々ちゃかちゃかしており、独特の滑稽味をもっている。
似合うのは、コーエーテクモの美麗な戦国武将ではなく、耳鳥斎のゆるふわ画。
重厚な時代劇で主役が堂々と画面をはっているその隅で、ささーっと小ねずみのように走り回っては振り絞った知恵で主家のためにはたらく端役。
ミコトさんはこういった人々を好んで描くのだ。
煮えたぎる太陽ではなく、田んぼの向こうにぼんやりと落ちていく柿のような夕日。
人々は時代の流れに翻弄されて枯葉のように舞い上がる。消え失せるようにみえてもその命は軽いがゆえに、ひらひらと飛んでいき、落ちた先でまた新しい芽をつなぐ。
「んでもさあ、ミコトさんそういうて、ひらんひらんと他所に落ちていった浄瑠璃のこれ、史実を使ったうそ話でねえか」
「なにいうだ。おはなしとは元来そういうもんだ」
泥土にまみれても、ひょっこりとまた起き上ってくる民衆の逞しさ。
吹けば飛ぶような命の火を見つめて生きるわたしたちと地続きの誰かさんがこの物語の中にいる。