第21話 保安構造

 一時限目の授業、本来は数学の予定だったが、数学教師が熱で休んでしまったので、代わりに魔術の授業になった。

「え〜、なので、保安構造というのは相手の干渉から魔術自体を守ることに重きが置かれている」

 いつもなら楽しい魔術の授業。しかし、レティシアは楽しめずにいた。隣にわかりやすく解説してくれる同級生がいないからだ。

「魔術への対抗手段は二つ。相手の魔術に対し、こちらも魔術を使うか、相手の魔術に直接干渉するかのいずれか。保安構造というのは基本的にこういった対抗手段に対する対抗手段、相手に対抗させないためのものだ」

 ティルティア学園は中高一貫制。中学から英才教育を施された内部進学生が多いから、彼らに合わせて授業も組まれている。内部生にとって理解できる内容が、高入生にとってそうでないというのはよくある話だった。

「ここで対抗魔術について攫おうとともう。そもそも、魔術への対抗手段は具体的に三つ。魔術の構造に対する干渉、逆効果を与える魔術の行使、そして、バタフライエフェクトなどの相手の魔術効果を利用して、逆に効果を自身の効果で打ち消させる因果逆転などがあるが──」

「……???」

 つまり、レティシアは授業の内容を全く把握していないということだった。

「レティシア」

「あ、アリアくん!」

「わるい、遅くなった」

 いつの間にか帰ってきていたアリアに、レティシアは席を寄せる。当然のように隣同士で座っていた。

「あれ、数学じゃなかったのか?」

「そうなんだけど、数学の先生がお休みで、代わりに魔術の授業になったんだ」

「そうか、それは災難だったな」

「あはは……」

 数学もそうだが、特に魔術に関してはアリアの助けがないと理解できない。そのタイミングでアリアが生徒会室に呼び出されていたため、先生の言っていることがまるで分からなかった。

「あの、聞きたいんだけど、保安構造って結局どういうことなの?」

「……保安構造は、魔術師同士の戦闘を前提とした概念なんだ」

 アリアは黒板に書かれていることを読み取って、どういう授業がなされているかを推測した。

「魔術師同士?」

「ああ。以前は魔術師と非魔術師が戦うのが一般的だったんだが、イリアコド連邦の初代大統領ジョンソン・リートが初めて魔法学園を設立して、魔術師の数が多くなったんだ。それで、魔術師のみで組織された部隊を持つようになって、これに対抗するために他国も魔術師を多く組織するようになった。この影響で、魔術師同士の戦いが増えたんだよ」

「そうなんだ」

「それで、魔術に対抗する術も研究されるようになった。それまでは魔術師同士が戦うことは稀だったから、行使された魔術に対して対抗するといった考えがなかったからな。ノーガードの殴り合いみたいだったらしい。けど、さまざまな魔術に対抗する手段が出てきた。それで、魔術を行使しようとしてもすぐに邪魔されたり妨害されたりするようになったんだ。だから、これを防ぐためにそういった妨害から魔術を守るために、そういう保安構造と言われるような機能を魔術自体に持たせ始めたんだよ」

「お姫様を守る騎士様みたいな感じ?」

「そうとも言えるな。複雑で壊される危険性が高い魔術ほど、この保安構造をいかに作るかが大事になる」

「アリア君はどんな保安構造を使ってるの?」

「……普通、保安構造について人に教えたりとかはしないんだがな」

「あ、ごめん……」

「いや、いいんだ。ただ、保安構造っていうのは魔術と一緒で魔術師にとっての研究成果みたいなもんだからな。おいそれて教えてくれる人は少ないぞ」

「……ごめんなさい」

 しょぼくれて、レティシアが謝る。

「そうだな……たとえば、これは本にも載ってあるようなものだが、前提命題の暗号化とかかな」

「暗号化?」

「暗号ってわかるか?」

「……なんとなく」

「OK、説明しよう」

 アリアはこの「なんとなく」はダメな方のやつだと判断した。

「例えばレティシアが買い物に行くとして、『ジャガイモを100g、北のお店で』とメモしたとしよう。これを見れば、レティシアが何をどこで買おうとしてるかわかるよな」

「そうだね」

「じゃあ、ジャガイモを鶏肉、100gを100m、北を東、お店を池に変えたとしよう。どうなる?」

「……『鶏肉を100m、東の池で』? 訳わかんないね」

「そうだな。これを見ても何のことだか分からない。鶏肉を100mなんて意味不明だ」

「あっ、そういうこと?」

「そういうこと。暗号ってのはある手順に沿って変更された文だ。そのまま見ると訳がわからないけど、何をどうやって変更したかが分かれば、その逆手順を行うだけで元の文が読み取れる。たとえ「鶏肉を100m、東の池で」と書いてたとしても、何をどうやって変えたのか分かればレティシアのお使いの内容がバッチリわかるだろ?」

「それが暗号化ってことか」

「ああ。暗号化は前提命題が持つ情報を隠す上で重要だからな。アルゴリズムがわからなければ前提情報を読み取ることさえできない。前提情報がわからないとそれから導出される結論命題がわからない訳だから、必然的に中和魔術も使えないわけだ」

「えっ、すごい」

「中和魔術はわかるよな?」

「うん、逆の操作をすることで効果を打ち消そうとする魔術のことでしょ?」

「そうだ。対抗魔術の一つで、対抗する魔術の結論命題について、その逆命題を結論命題とするから、相手の結論命題がわからないと必然的に中和魔術も扱えない。それ以外にも『前提誤認』や『前提飽和』といった間違った前提命題による魔術の動作不良を防ぐ狙いもある。前提命題にパスワードを載せておけば、間違った命題を認識しなくなるから、パスワードごと暗号化することで自分で作った前提命題しか認識されなくなるわけだ」

「へ〜、色んなやり方があるんだね」

「暗号理論は現代の魔術保安構造には欠かせないものだから、研究が盛んに行われてる。何だったら参考書貸そうか?」

「……難しい?」

「わかりやすいのを選んでおくよ」

「そっか。それなら、ちょっと読んでみようかな……」

 説明が終わったところで、アリアはふと視線を感じて前を見る。

 いつの間にか先生がこちらの方を見ていた。周囲もアリアの方を見ている。いつから注目されていたんだ?

「……アリア君」

「はい」

「君はそもそもどこに行っていたのかね?」

「すいません、生徒会長の用事で」

「ガブリエラ君の……まあいい。だが、授業を聞いていないとは何事かね」

「すいません……」

「そんなに勉強熱心なら、君が授業すればいいじゃないか」

「えっ?」

 一時限目、なぜだか俺は授業をすることになった。

 暗号理論についての解説をしたら時間が終わって、なぜだか先生は何も言わなかった。どういうことだ?


 ◇


 二時限目は何事もなく終わり、三時限目、四時限目と過ぎ去っていく。

 今朝のことで周囲に何か言われるかなと思ったが、俺が何かしでかすのには慣れっこのようで、クラスメイトたちは特に興味がない様子だった。そももそもクラスメイトと思われてるか怪しいが……どういう気持ちで俺の授業を聞いてたのだろう。想像したくない。

 今は四時限が終わり、レティシアと一緒に食堂に向かっている最中だ。なんだか、エンマが飛んでくるような気がする。

「アリアさ〜ん!」

 来た。

「やあ、エンマ」

「こんにちはですわ! 今日もご機嫌麗しゅう!」

「エンマの方こそ何やらご機嫌だな」

「そりゃあ、アリアさんにばったり会えたんですもの!」

 ばったりというには、いささか蓋然性に欠くような気もするが……気にしないでおこう。

「偶然会えたのもまた運命! ご一緒していいですわよね、レティシアさん?」

「うん、いいよ……」

「……」

「……」

 レティシアはなぜだか浮かない様子だった。エンマを嫌っているということはないだろうが、なぜだろうか。

 その時、後ろから声をかけられる。

「あ、あの!」

「ん?」

「あの、アリア先輩……ですか?」

 振り返ると、身長から察するに下級生の女子三人組。彼女らがまるで縮こまるように集まって、俺に話しかけてきた。

「そうだが……どうした?」

「あの、すいません。実は、ピアノがすごくお上手と聞いて……これ! 弾いて貰えませんか?」

「……ヴィヴァルディ?」

 何故だか、いきなりピアノを弾けと言われて、ご丁寧に楽譜まで用意されてる。

「あ、あれ」

「ん、どうしたんだい?」

「貴方の愛しのレティシアさんじゃありませんの?」

「あっ、レティ──!」

「アリアもいますわね」

「げっ……」

「何か話してますわね」

「レティにエンマさんまでいるのに、その上下級生にまで手を出して……許すまじアリア」

「……とばっちり」

 向こうのほうにフリーダ・アンジェリーヌ・ジンジャーの仲良し三人組も見える。何を話してるのか気になるが……絶対、俺への悪口だ。フリーダの感じからしてそうに決まってる。

「……悪いけど、食堂近くのピアノでいいかな? 流石に音楽室のを借りるわけにはいかないから」

「いえ、全然! ありがとうございます!」

 下級生たちは手を合わせて喜んでいた。微笑ましい。後輩を持つって良いことだったんだな。初めて知った。

「……むー、アリアくんが年下の女の子に鼻伸ばしてる」

「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。じゃあ、断ればよかったのか?」

「そういう訳じゃないけど……」

 何故だかレティシアの方がむくれている。何か悪いことしたのだろうか。女の子の心は難しい。参考書があったら良かったのに。

「まあ、そう言わずに。アリアさんも親切心で引き受けたんでしょうし」

「それは、分かってるけど……」

「それより、さっさと終わらせて昼食にしましょう? でないと売り切れてしまいます」

 食堂に向かう途中にあるピアノ台。生徒たちが思い思いに弾けるように鎮座してあるが、ここで弾くピアニストは少ない。大体がおふざけ半分に乱雑に鍵盤を叩く程度で、この学校に数年いれば皆見向きもせずに去っていく。

「人が多いが……弾いて良いのか?」

「そのためにあるんですもの。でなければピアノが可哀想というものでしょう」

「……確かにな」

 エンマの言葉に踏ん切りがついて、下級生たちから楽譜を受け取る。

「あー、春か〜。俺、春やったことないんだよね〜」

「あっ、でしたら──」

「ちょっと待ってもらえる?」

「え?」

 下級生たちが遠慮して退こうとするのを止めて、楽譜を一度読み込む。

 簡単そうだ。『夏』のときみたいに難しかったらこの場でじゃできなかったけど、これならやれそう。

 いくつかのフレーズを確認する。音楽というのは基本、いくつかのフレーズの繰り返しで出来ている。幾つかフレーズの引き出しさえあれば、ありふれた曲ぐらいなら即興で弾けるぐらいだ。

「えっと……」

「まあ、見ていなさい。貴方たちが頼んだのは、正真正銘アリア・ドルミエス・アストレアなのですから」

「分かりました……」

 食堂に向かう生徒たちが、中途半端なメロディを鳴らすピアノを一瞥しては去っていく。興味はなしと言ったところで、誰も見向きはしない。変なことやってるな程度なんだろう。

「……」

 合図なく演奏を始める。どこまでできるかわからないが、一応やってみよう。

 特徴的なフレーズから始まるヴィヴァルディ、四季の春。四部作で知られるこの作品は、その名の通り四季を表現している。本来はピアノ曲ではないものの、有志によってピアノ譜面も存在し、個人の間で楽しまれたりしている。

 その中でもとりわけ春は弾きやすく、だからこそ素直に弾かなければならない。下手に演奏者の我を入れて、ヴィヴァルディの表現する春に乱雑なものを入れて仕舞えば、どんなに演奏技術があったとしてもそれは演奏として二流以下だ。一流とは能力があって、それを使い潰す度量が求められる。

 それにしても簡単なフレーズだな。幾つか覚えれば、あとはトリルのめちゃくちゃ遅い版みたいな運指が続く。展開の仕方も実に単純で、だからこそ面白いのだが、予測がしやすくところどころ譜面を見なくても叩ける。オリジナルを聞いたことがあるなら、少々間抜けに聞こえなくもない。

 特徴的な前半が終われば、後は流れで弾ける。ここはフレーズの確認をしなかったが、他の曲にも似たようなメロディは多いからな。あのフレーズを覚えれば、大体弾けたようなものだ。

──にしても、ピアノ譜面にしても色褪せない曲としての美しさ。当然だが、到底真似できる代物じゃない。流石は音楽の母とまで呼ばれるだけはあるか。

 論理性のバッハに対して情緒のヴィヴァルディ。まさに男女の性質を表している。

 食堂に向かう流れに、一定の逆らう流れができる。俺のことをあまり知らない一年生や二年生は足をとめ、三年生や四年生が自分の知る後輩を見つけてはつまみ出している。面倒を見てる後輩がまさか俺と仲良くなってはいけないのだろう。

 何度目かわからないティピカルフレーズを弾き終えて、演奏を終える。鍵盤から手を離すと、五人が小さく拍手してくれた。すぐに下級生の一人が身を乗り出すように尋ねてきた。

「えっ、本当に練習してなかったんですか⁉︎」

「……そうだね。夏の方はやったことあるけど、春は見たことなかったから」

「夏って、四季の中で一番難しい譜面ですよね⁉︎」

「秋の譜面もあるけど……あれは人間が弾くものじゃないからね」

 以前、秋のピアノ譜面も見かけたことがあるが、弾こうとして唖然とした。あれを弾きこなせる変態はこの世にいるのだろうか。実質、一番難しい譜面は夏と言っても過言ではない。

「ほら、貴方たち。はしゃぐのも良いけど、その前にご飯でしょ? 早く食堂に行きなさい」

「また弾いてくださいね、先輩!」

「ばいばーい!」

「素敵でした!」

「はいはい」

 手を振って見送る。エンマの一声に、下級生たちは蜘蛛の子散らすように食堂へと向かっていった。

「アリアくん、ピアノ上手だよね」

「ええ、本当に……」

「……エンマさん?」

「いえ、それより早く食堂に参りましょう? お腹ぺこぺこですわ」

「エンマは食いしん坊だな」

「ひどいですわ!」

「んふふ」

 俺たちも食堂に向かう。

「アリア、なんか変わりましたわよね」

「……どこが?」

「だって、これまでだったら頼まれごとを引き受けるなんてしませんでしたもの。四年生になってから少し変わったような……」

「……変わってないよ」

「そうですかしら」

「ああ、アリアは何一つ変わってない」

「……」

「……二人とも、行こう」

「そうですわね」

「……」

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