第18話 授与式

 あの後、保健室で三人一緒に過ごし、五時限のチャイムが鳴った。グウェナエルさんが来たせいでいつの間にか時間が過ぎていたのだが、レティシアもエンマも教室に帰るつもりはないようで、六時限目まで勉強していった。

 俺はといえば二時限目から休んでいたこともあって相当に回復していたが、それでも無理は禁物とエステル先生と一緒になって二人から釘を刺されてしまった。

 しかし、困ったことにいつまでも休んでいるわけにはいかない。六時限目が終われば四年生はホールに集められるのだが、俺もそこに同席しなくてはならないのだ。学内の生徒が学外でとった賞なり功績について、生徒の前で表彰する授与式。本来であれば休んでも構わないのだが、どうしても休むわけにはいかない理由があった。

「お願いします」

「ダメよ」

「お願いします」

「ダメったらダメ」

「先生……」

「ダメよ。お医者様からは絶対安静と言われてる。それなのに、そんな集中して頭を使うようなこと許可できるはずもないわ」

 すげなく却下されてしまう。

「けど、アリアさんもここまで頼まれてるんですし……」

「……アリアくん、貴方には病人や怪我人であるという意識が足りていないんじゃないの? いつもひどい状態に陥ってるから感覚が麻痺しているんでしょうけれど、違えてはいけない線というのがあるの。ましてや貴方は、今朝頭を打ったのよ? 医者の端くれとして、当然そんなこと許可できません」

「先生……」

「……お願いします」

「……ダメ」

「俺にとっては大事なことなんです。人生で、数少ない」

「貴方………………人生でいったい何回そんな場面に出くわすと思ってるの? 貴方はこれからたくさん生きるの。生きて生きて、絶対に外せない用事なんかいくらでもできるわ。それでも、体調不良なら休まなければいけないの。休まなければいけない場合というのが絶対に存在するの。わざわざ寿命を縮めてまですることなの?」

「……俺にとっては、大事な時間なんです」

「……」

「お願いします、エステル先生」

 三人から真剣な眼差しで見つめられるエステル。流石の彼女も、三体一ではいつまでもメンタリズムを保ってはいられなかった。

「……分かったわ。ただし、直前まで安静にしてるのが絶対条件。終わったらすぐに保健室に来ること。いいわね?」

「っ……ありがとうございます」

「それと、二人はアリアくんの面倒を見ること。この子が倒れないか、ちゃんと見張ってて」

「「分かりました」」

 かくして俺はエステル先生に授与式の出席が許可されたのだった。

「エンマは何か表彰されたりするのか?」

「はい、音楽関係で少し」

 エンマもか。

「アリアくんは? あー、確か魔術関係でもあったような……」

「まだ凄そうな予感がしますわね……」

「まあ、そっちはついでというか、本命じゃないんだけどな。レティシアはあるのか?」

「あはは……私はそういうのはご縁がなくて……」

「じゃあ、式の時は別れることになりそうだな」

「舞台裏ではちゃんとアリアさんの面倒を見て差し上げますわ! レティシアさんは安心してくださいまし!」

「わ、私も! 式が始まるまでは見てるよ! アリアくんが倒れないか!」

「あはは……」

 俺、どんだけ倒れると思われてるんだ?

 エンマとレティシアがそれぞれ勉強道具を置いてくるのを待って、三人でホールの方に向かう。七時限目の時間までに各々がホールに着席する形だから、誘導する先生だとか生徒は存在しない。教室からまるで河川のようにホールまでの人の流れが形成されていた。

「ちょっと、人が多いですわね」

「大丈夫か? 人混みが苦手とか」

「大丈夫ですわ。少し酔ったりすることもありますが……」

「きつかったら肩を貸してもいいぞ」

「流石に、今のアリアさんに肩を借りるのは気が引けますわ」

「私でよかったら貸そうか?」

「大丈夫です。このぐらいなら平気ですから」

 ホールに着くと、まだ開示時刻まで時間があるからか、席に着いている人数は少なかった。この、ギリギリまではしゃごうとする精神はなんなんだろうな。

「アリアさん、こっち」

「ありがとう。レティシア──」

「ん?」

「手」

「え?」

「手、繋いで」

「あ、えっと……」

 困惑する彼女の手をとって、エンマの示した座席へ向かう。

「この人混みだと、見失うかもしれないから」

「そ、そうだね」

「あんまり人の後ろでいちゃつかないでくださいまし?」

「婚約者なんだからいいだろ? な」

「……」

「……」

 まあ、いいか。

 どこか俯きがちのレティシアを連れて、人混みの中をかき分けて進む。

 喧騒、喧騒、喧騒、喧騒。

 冗句、雑談、叫び、笑い声。

 本当に、ここは人の肉声に溢れているな。耳を塞ぎたくなる。耳障りな、嫌なところだ。

 知性も品性も感じない生徒達。それを諌めようともしない先生。無理解と無秩序、図書館に漂うような厳かさを一切感じない。本当なら、このホールは随分いい空気を漂わせているはずなのに。

「レティシア」

「えっ」

「大丈夫か?」

「あっ、えっと……」

 レティシアは先ほどから、どこか上の空だった。周囲に人がいる中、彼女に聞こえるように耳元で話す。

「きつかったら無理って言えよ?」

「アリアくんだけには言われたくないなー」

「そうなんだが、さっきから様子が変だから」

「それは……」

「どうした、顔が赤いぞ?」

「へっ⁉︎」

 ごめんと謝って、彼女の額に手を乗せる。熱くは……ない。風邪ではないか。エンマと一緒で、人混みが苦手なのか?

「人混みが苦手だったら言えよ?」

「……うん」

「……」

 やはり、彼女の顔色は良くならないまま、座席につく。レティシアと一緒にくると、エンマはジトっとした目線を向けてきた。

「……なんだか、どうやってレティシアさんを口説き落としたのか垣間見た気分ですわ」

「バカ言ってないで、俺たちは舞台裏に行くんだろ? 出番は最初の方だ」

 ティム先生に教わった。俺の出番は一番目と四番目。開始時刻までには舞台袖に向かわなくてはならない。エンマも最初の方らしいから、両方終わればすぐに保健室に帰れるな。

「それじゃあ、俺たちは行ってくるけど、レティシアは体調大丈夫か?」

「アリアくんこそ、キツくない?」

「ああ、おかげさまで結構回復した。人混みは苦手か?」

「そんなには……」

「終わったらすぐ帰ってくるから、それまで我慢な」

「うん、分かった」

 レティシアに別れを告げて、俺たちは裏口から袖廊下に出る。

「随分とレティシアさんを気にかけますのね」

「そりゃ、婚約者だからな」

「……」

「自分を心配してくれる人だ。気にかける」

「それなら、私のことも気にかけてくれてよろしいんですのよ?」

「気にかけてるよ」

「……そうなんですの?」

「ああ、レティシアの方は出番まで見れないからな。エンマのことは、それまで気にしてやれるから順番を先にしただけだ」

「……なんだか、見ていてくれと言われたのに、私たちの方が面倒見られていますわね」

「はは、そうだな」

 こういう時はお互い様だろと思ったが、流石に上から目線なので言わない。沈黙は賢人の証左だ。

 それから、開始時刻まで俺たちは薄暗い舞台袖にいる。ステージはライトで照らされていて、ところどころ証明班と思われる生徒達の姿が散見される。暗いと誰も見てないと思ってはしゃぎやすくなるというが、それは本当らしい。いつもとは違う周囲の環境に、生徒達の喧騒も今日はより一層激しいように聞こえた。

 ホールの音響効果もあるかもなと考えたあたりで、音量魔術を使った先生により着席が促される。しばらくは先生の言うことも無視してはしゃぐ奴も多かったが、一人ずつ摘み出されたあたりで静かになっていった。

 舞台裏にも多くの生徒達がひしめいている。狭い空間に五十人近い生徒達がいて、エンマは少し気分が悪そうだった。

「大丈夫か?」

「ええ、少し酔いそうなだけですわ……」

「ちょっと」

 エンマを連れて、壁際にくる。

「少し、ここで休んでおけ」

「すいません……本来なら私の方がアリアさんを心配するはずなのに……」

「こう言う時はお互い様だろ」

 言えた。

 できるだけエンマを人混みから遠ざけようと俺が生徒達の間に入る。俺も人混みは嫌いなんだがな、どちらかというとうるささの方が不快だ。壁際に来たあたりで周囲を囲まれているよりはマシになったから、この程度なら許容範囲だ。

「それではこれより、学外においての学業功績について、その表彰を行う」

「それじゃあ、俺は行ってくるから」

「あ、待ってください。私も行きますわ」

「え?」

「──まず、一週間前に行われた秋季音楽コンクールについてだ。今年は嬉しいことに二名の生徒が入賞している。それでは、前へ」

 明るいスポットライト。暗闇の中でたった一箇所だけ照らし出されている舞台。ちょっと光が強くないか? 周りが暗いこともあって平衡感覚を失いそうになる。

「ピアノコンクール銀賞、アリア・ドルミエス・アストレア」

 ざわっ、と観客席が少しどよめく。いつもの反応だな。

「チェロコンクール金賞、エンマ・ヴェンナコスキ」

 完璧な笑顔を浮かべてエンマは壇上に立つ。先ほどまで人ごみに酔っていたのに、もうそんなことなど感じさせない雰囲気を纏っていた。切り替えが早いな。

 観客席から熱狂なファンなのか、甲高いエールが贈られる。女生徒、クラスメイトだろうか。エンマは嬉しそうに手を振っていた。

 また静けさを取り戻したホールの最前で、チェロと椅子が用意される。俺の方にはピアノ。用意周到だな。

 搬入係が舞台袖に履けるのを確認すると、司会・進行を務めるティム先生は再び魔術を行使する。音響魔術、自身の声を拡大し、少々のエコー変化をつける魔術だ。

「栄光ある音楽祭での入賞者に、この表彰式のトリを飾ってもらおうと思う。パッヘルベルより、カノンinD」

 エンマと目を合わせる。言葉ではなく目線で、呼吸を合わせ、リードを決める。リハーサルなんてやってない。俺がワイバーン事件に巻き込まれたり、倒れて保健室にいたせいでチェロ奏者との顔合わせも本番で初めてわかる形になってしまった。せめて、俺が補佐する側に回らなくては。

 ひどい静寂、大海原のような訛りの如き静寂の中にピアノの音を滴下する。二小節して、エンマがチェロではいった。

 奏でるこそは周期的なメロディ。カノンとはパッヘルベルのだけを言うのではない。

 そもそも、有名なカノンの曲がパッヘルベルの作曲したカノンinDを言うのであって、カノンというのは単なる音楽形式の名称でしかない。輪唱、同じメロディを小節をずらして演奏することにより、段階的に全く違う音色を奏でる。フーガも同じく音楽形式の一つであり、こちらはメロディを多少いじって良いのだが、カノンは厳格に同一。反転・縮小・拡大、数学的に言えば相似条件を全てのメロディが満たす場合に限られる。故に、カノン形式での作曲は困難を極める。

 簡単に聞こえるが、これの作曲は並外れたことではない。たった一つのメロディを作って、それを重ね合わせることで全く違う、けれども調和の取れた曲を作り出さなければならないのだ。音楽の父とも呼ばれた論理主義者がこの作曲に挑み、いくつかの秀作を残したのはいうまでもないが、結局カノンの代表曲として選ばれたのはパッヘルベルが作曲したカノンinDだった。

 チェロの重厚な音が場を満たす。事前に演奏楽譜は指定されてたが、まさか事前の顔合わせはなしでそのまま本番を迎えるとは思わなかった。事件で色々とあったし、俺はピアノを触る時間さえろくに取れなかったからな。昨日練習はしてきたが、それでもぶっつけで人と合わせるのは緊張するものだ。

 危なげなく調和を保つ。エンマは優しげな音色が場を満たしていった。音にもブレがないし、こちらとしても合わせやすい。基本をきちんとやりこなしてる証拠だな。そりゃあ金賞を取ったって不思議ではない。

 ピアノが浮いたり、チェロが浮いたり、フレーズとメロディに合わせてサポートする側と前に出る側を交互にする。最初はサポートに回ろうと思ったんだが、盛り上がりところではベースを作るチェロより繊細なピアノの音の方が主役に向く部分がある。これがヴァイオリンとかなら話は違ったんだろうが、そこは臨機応変だ。

 ピアノがソロで出る時もあれば、チェロが時々弓の音色で掻っ攫う時もある。どうしても穏やかな曲調の時は細かい音色を出せるピアノより、弓音色のチェロの方が目立つ。そこで下手に前に出るよりは、チェロの音色を後ろから支える方が無難だからな。挑戦的な演奏にするならぶつかってもいいんだろうが、リハなしで流石にそれは無謀だ。ここは協調路線で行こう。

 額に汗が浮くのを感じる……エステル先生の言うとおりだったか。結構きつい。頭を打っただけだからさほど支障はないと思っていたんだが、集中していると吐き気が胸のうちに燻る。すぐすぐ吐き出すと言うわけでもなさそうだが、これはこれできつい。というか、なんで四分もあるカノンを選んだんだ。観客にしても飽きるだろうに。

 終わりに差し掛かり、順番に音を抜いていく。フェードアウトしていく感じで、それでも最後まで音を表現することを忘れずに。

 まばらな拍手から始まり、それなりの歓声となって俺たちの演奏は締めくくられる。まさか、エンマと協奏することになるとは思わなかったが、これはこれで好都合だ。俺の番が終わればすぐに帰れるし、この拍手がおそらくエンマにだけ向けられているであろうことを除けば、いい演奏会だった。

「大丈夫ですの……?」

「……あぁ」

 舞台袖にはけるとエンマに少し肩を貸してもらう。思っていた以上に負担がデカかった。吐きそう。

「次の出番までは後どれくらいあるんですの?」

「もうすぐだよ」

「……無理しないでくださいましね」

「大丈夫、これはついでだから」

 これを適当に終わらせればさっさと帰れる。今は早くベッドで休みたい。

「じゃあ、行ってくる」

「ええ、お気をつけて」

 暗闇の舞台裏にいるエンマに別れを告げて、俺はもう一度、スポットライトを浴びる壇上に立つことになった。

「──続いては魔術における学業功績を讃えようと思う。アリア・ドルミエス・アストレア」

 先ほどよりは少ないどよめき。代わりにざわめていている感じか。驚きはなくても周囲とひそひそ話するぐらいの関心はあるといったところ。どうでもいいけどな。

 興味もないんだろうし、さっさと終わらせて帰ろう。

「魔術学会における論文発表が認められ、この度〈大天級〉の学位が授けられることになった。皆、拍手」

 大天級の単語がティム先生の口から出た時、観客席が大いにどよめく。俺は先生から賞状を受け取って、そのまま舞台から退場した。

「……〈大天級〉がついで、ですの?」

 皮肉げに、帰ってきた俺に向かって聞いてくる。

 個人的にはリハもできなかった演奏会の方が気がかりだったし、魔術云々に関しても、別にここで表彰されたくて頑張ったわけでもない。学会で認められれば、ここで認知されるかは些細なことだ。

「もう少しぐらい、見せびらかしても良かったんではなくて?」

「あー、ちょっとキツくて……」

「その賞状、せっかく〈大天級〉を取ったんですから、もう少し壇上でお披露目しても良かったでしょうに」

「どうせ、みんな興味ないよ」

「そうですかしら……四年生時点で〈大天級〉を取った生徒なんて、創立百年を迎えたティルティア学園でも何名いるか……」

「……まあ、おまけだし」

 エンマは困ったように笑っていた。

 すぐに舞台裏から袖廊下を通って裏口に出ると、そのままレティシアの待つ座席の方に戻って行った。

「またせた」

「保健室行く?」

「ああ、お願いする」

 そろそろちょっとキツくなって、ポーカーフェイスを入れ始めた頃だ。これ以上負担がかかるとそれも怪しくなってくる。

「大天級って下から二番目だっけ」

「なんだ、それならそんなにすごくないじゃん」

「ばか! 学会で大天級を取れない魔術師がどれだけいるか、知らないの⁉︎」

「どうせパーってしてパーっとやったんだろ、アリアだし」

 そんな声が背を向けた観客席から聞こえてくる。

「皆さん、アリアさんのことを話していますわね」

「嬉しくないことにな……」

「そうなんですの?」

「……」

 注目というのはいい視線も悪い視線も両方浴びる。特に俺の場合であれば、その割合に関して言うまでもない。たとえ功績を上げたとしても、俺ともなれば話が別なのだ。周り巡って悪評が立つのがオチだろう。まあ、流石に今回の件でそこまでひどい噂が立つことはないだろうが……

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