第16話 アリアの限界

「……止めてくれ」

「……」

 荘厳なティルティア学園の廊下。全校生徒は授業中で、人っこ一人いないこの時間帯に通れば静謐な、歴史を感じさせる足音を廊下全体に反響させる。これまで積もってきた年月が重厚に響いているかのような音色に、普段はどこか恍惚と聞き惚れるレティシアだが、今は後ろ手様子のおかしいアリアのことを気にかけている。

 途中まで大人しく手を引かれていたアリアだったが、突然、拒絶の言葉を口にした。

「どうして?」

「もう、いいんだ。もういいから、放っておいてくれ」

「でも、今のアリアくん、放ってほしくないって顔してる」

「いいから!」

「良くない!」

 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、アリアはレティシアの方を見た。

 まさか、彼女に怒られるなんて思いもしなくて、予期せぬタイミングの叱責に動揺していた。

「いいからなんて、言わないでよ……」

 いじけるように、すがるように言葉にするレティシアに、アリアはそれ以上に何も言えない。

 エンマもすぐに追いついたが、すぐに二人の様子がおかしいことに気づいて、少し距離を置いたところで静観することにした。

「何があったかぐらい言ってよ……おかしいじゃん……」

「……」

 アリアは何も答えない。そんな彼に、レティシアは言葉を重ねる。

「顔は真っ青だし、いつもと全然様子は違うし、余裕なさそうだし、さっきもあんなに大きな声出して……心配だよ」

「関係ないだろ」

 ふい、と目を逸らしてアリアは言い捨てた。

 その言葉に、レティシアは激昂した。

「関係なくなんてない!」

「っ……」

「なんでそんなこと言うの⁉︎ 私、どうでもよくなんてないよ! アリアくんが笑ってなきゃ、笑えないよ!」

「そんなの、俺の勝手だろ……」

「辛いなら言ってよ! 助けてって、行かないでって伝えてよ! 言ってくれなきゃわかんないでしょ⁉︎ 人は、分かり合えないことがあるから言葉を使うんだよ⁉︎」

「関係ない」

「っ……!」

 レティシアはずかずかとアリアに距離を詰める。アリアは後ろ足を踏んだが、そんな彼を行かせまいとその手を掴んだ。

「君が求めてる手なんだよ⁉︎ なら、掴んでよ! 掴んで、離したりしないでよ!」

「っ……」

 レティシアの言葉に罰が悪くなって、もう一度アリアは目を逸らす。

「っ……」

 その態度に、レティシアはもう自分の胸の内のものを抱えきれなくなって、勢い余ってその手を離してしまう。

 誤って自分から離してしまったがために、レティシアはもうそれ以上どうすればいいかわからなくなって、逃げるようにその場を去った。焦ったエンマはすぐにその場に飛び出す。

「追いかけてくださいまし!」

「エンマ……」

「早く、レティシアさんを!」

「……放っておいてくれ」

「……意気地なし」

 すれ違いざまにアリアに言い残して、エンマはレティシアの後を追った。

「……意気地なしか」

 アリアは自分の言われた言葉をいつまでも反芻していた。


 ◇


「ぐすっ、すっ……」

「……」

 追いかけてみると、レティシアは校舎の物陰で泣いていた。断続的に響くレティシアの鼻をぬぐう音に、なんと声をかけるか一瞬迷った。

「あの、レティシアさん?」

「ぐすっ……エンマさん?」

「大丈夫ですの? その……」

「……アリアくんは?」

「え、えっと……まだ廊下にいると思いますけど──」

 そこまで言いかけて、レティシアが口を挟んだ。

「行って……」

「え?」

「何でこっちに来ちゃったの⁉︎ アリアくんを一人にしないで!」

「えぇ……で、でも、貴方……」

「私はいいの! アリアくんはダメなの! 早く!」

「わ、分かりましたわ……」

 頭の中で多くの疑問符を抱えながら、レティシアの言う通り来た道を戻る。一人にしちゃいけないのはレティシアの方なんじゃないかと思いつつ、先ほどアリアと別れたところまでやってきた。

「あれ、アリアさん、一体どこに……」

 仕方なく、周囲に空間・物質解析を行う。

「……まさか」

 エンマの魔力解析が捉えた像、それに疑念と希望的観測を抱きつつその場所に向かう。

「アリアさん!」

 走ってその場所に向かうと、曲がり角の先に倒れているアリアを見つける。どう言うわけか、頭部から血を流していた。

「転んだんですの? それなら、早く応急手当てを!」

 いや、この場ではまず保健室に行くのが先だ。包帯や止血圧迫できるものなど持っていない。もし脳震盪を起こしていれば、それを見分けられるのは養護教諭ぐらいか。

「アリアくん!」

 悲鳴のような声が後ろから響く。振り向くと、泣き腫らした顔で自分の後を追いかけてきたのだろうレティシアが、口元に手をやって、信じられない様子でその場に立っていた。

 すぐに彼女はアリアの元へと駆け寄る。自分の婚約者が血を流して倒れているのだ。誰だってそんな反応するだろう。

「ともかく、早く保健室に──」

「これ、魔力中毒……!」

「えっ……⁉︎」

 レティシアの口から意外な言葉が漏れる。

「発熱、魔力の澱み……眩暈がして倒れたのかも。それか、気を失うほどの頭痛とか吐き気に……」

 自分で言いながら、彼女はみるみるうちに血相を変える。

「魔力中毒でもこんなになりませんわ! 早く──!」

「アリアくんは魔力過剰症候群なの!」

「っ……本当ですの?」

 その病名に、エンマは動揺した。

「うん。アリアくんのお母さんに聞いて……魔力中毒状態で眠ったら、どうしようもないって」

「……」

「どうしよう……私がアリアくんを置いて行ったから!」

 みるみるうちにレティシアは泣きそうな顔になる。こうなれば……一か八かに賭けるしかない。

「……レティシアさん。これは医療行為です。お気になさらないでください」

「え……エンマさん、なにを……」

「それと、できればこの場で見たことは他言なさらずに」

 倒れているアリアをそっと仰向けにして、隣に座る。そのまま、地べたに座しながらアリアと唇を重ねた。

 天使の羽が、舞い落ちる。

 天使の羽が舞い上がっているかのように、その瞬間、白い光がエンマの背中から霧散する。まるで彼女の背中から天使の白い羽が生えたようにも見えて、ぽこぽこと小さな光が現れては泡のように消えていった。

 緑の光が辺りを包む。明らかな魔術的現象。けれど、これまで見たどれともその現象は一致しなかった。より原理的な、それでいて自分の知らない魔術。いや、これは魔法なのだろうか。魔術などと呼べないほどシンプルで、それでいて別個の何か。それがレティシアの前で起きていた。

 目の前ではエンマがアリアと唇を重ねていて、光が続々と現れていく。ありえないことが目の前で二つも起きていて、衝撃を感じるまもなくレティシアは彼女達の接吻に目を奪われていた。

「……」

 しばらくして、エンマは顔を上げる。キスをやめると先ほどまで風に流されるほど生まれていた光も一斉に消えて行った。

「エンマさん、今の……」

「っ……」

「アリアくん!」

 アリアの手が動いて、それから痛みに顔を顰めると、二人の手を借りて何とか起き上がる。

「たたっ……ここは」

「アリアさんが倒れていた場所ですわ。早く、保健室に行きましょう」

「ああ、そうだな……」

 この後に及んで、アリアは一人で立とうとする。

「全く、貴方は無理をしすぎです」

 また倒れそうになって、すぐさまエンマが肩を貸す。

「大丈夫? 歩けそう? あれだったら、保健室の先生呼ぶけど……」

「……ああ、お願いする」

「分かった」

 そういって、レティシアは行こうとする。

「レティシア」

「……」

「さっきは……ごめん」

 その返事に満足したようにレティシアは再び、先生を呼びに保健室に向かった。

「……全くですわ。レティシアさんにも散々迷惑かけて、心配かけて」

「エンマも、ありがとう。俺のこと、見つけてくれたんだろ?」

「……起きていらっしゃったんですの?」

「いいや、なんとなくだ」

「……そうですか」

 しばらく沈黙が流れる。レティシアが先生を連れてくるまで、二人きりで待っていた。

「……これに懲りたら、もう少し人を頼ってくださいまし」

「不甲斐ない」

「不甲斐ないんじゃありません」

「……すまん」

「……」

 そう言う言葉を、聞きたかったわけではないのだけれど。

「仕方ない人ですね、まったく」

 こう言う性格なのだと、エンマは諦めることにした。


 ◇


その後、先生がやってきて血を流した俺に心底驚かれた。転びましたと言うと「貴方は全く……」と呆れた表情をされ、その場で応急手当てをされると念の為、医者が呼ばれることになった。

「……見たところ、異常はなさそうですね」

「そうですか……」

 エステル先生が代わりに返事する。

「ただ、気を付けてください。後から脳出血する場合もありますので、数日は絶対安静。何か異変があればすぐに私を呼んでください。常に誰かのそばにいること。間違っても一人になったりはしないでください」

「はい……」

 今度は俺が返事する。本当に、不甲斐ない。

 それから、今度はエステル先生に診察された。といっても、俺の病状を見るというよりはもはや慣れた事情聴取に近い。ここでも受けるとは思っても見なかった。

「ごめんね、二人とも。本人のプライバシーとかもあるから」

「いえ、全然……」

「二人は授業に戻ってちょうだい。お昼になったらお見舞いに来てもいいから」「承知しました」

 そう言って、二人を教室に帰すと保健室はエステル先生と二人きりになる。

「……さて」

 始まるな。

「事情はあらかた聞いてるけど……私は貴方から聞きたいわ、アリアくん?」

「……はい」

 明らかなお説教モードに突入するエステル先生。重苦しくなった空気に少々胃が痛くなる。

「……昨日、聴取があって」

「あれ、聴取は終わったんじゃなかったかしら?」

「そう思ったんですけど、あれは取締局の取り調べで、今回は市警の取調べで……」

「そうだったの」

「はい、それで……あんまり眠れなくて」

「倒れたと」

「その……ワイバーンのゴタゴタの時、市警の人が来た途端に俺、倒れちゃったんですよ」

「え⁉︎」

 寝耳に水だったようで、勢いよく振り向かれる。

「あれ、聞いてませんでした?」

「聞いてないわよ! それで、どうだったの⁉︎」

「病院の方に送られて、命の方に別状はなかったみたいなんですけど……ちょっと酷使してたみたいで、疲れが取れなくて」

「その足で取締局の取調べを受けたのよね」

「はい、そうですね」

「はあ……」

 エステル先生は何から言えばいいかわからないというふうに肩を落として、目元に手を当てながら絞り出すように一つずつ話し始めた。

「……いろいろ聞きたいけど、まず、貴方、あの騒ぎで幾つ拘束を解除したの?」

 拘束というのは当然、魔術拘束のことか。

「……第九です」

「アニモね……前回みたいにポエニートまでの解放じゃなくて良かったけど、それで倒れたの?」

「はい、市警の人が来るまで十五分間解放してたのがよくなかったようで……一度一体に散らしてた魔力を再吸収しまし──」

「再吸収したの⁉︎」

「え、っと……はい」

「あぁ……もう! 何でそんなことしちゃうの!」

「えっと、ワイバーンを手なづけるには必要で……」

「それでも、ダメじゃない! 一体、どのぐらい吸収したの⁉︎」

「……十分の三ぐらいです」

「30%……湖を干らすぐらいだっけ?」

「そのぐらいです」

「っ……そんな魔力、再吸収したら倒れるに決まってるでしょ⁉︎ どれだけ人体に害になると思ってるの⁉︎」

「すいません……」

「ただでさえ貴方の体は魔力過剰症候群の影響で疲れ切ってるのよ⁉︎ そんな状態で自分の魔力を取り込めばどうなるか、分かるはずでしょう⁉︎」

「すいません……」

「まったく……」

 エステルさんは尚も頭を抱えていた。申し訳ない。今の俺には謝ることしか……

「……それで、さっき魔力中毒になって倒れたと」

「はい」

「バカ!」

「いてっ!」

「散々魔力中毒状態で倒れないように言ったわよね⁉︎ それで、一人になって誰にも見つからないようじゃ笑い話にもならないわよ?」

「すいません……」

「……別に責めているわけじゃないの。ただ、怒ってるだけ」

「どっちですか……」

「どっちもよ」

 真剣に、先生は俺の顔を覗き込んできた。

「いい? 貴方はもう少し周りを頼りなさい。それで、自分の負担を少しでも減らすこと。貴方は少しオーバーワークすぎるのよ」

「……」

「……ワイバーンの一件で多くの生徒が貴方に助けられたわ。でも、この学園の人間は誰一人として貴方を称賛しない。無論、私もよ」

「分かってます」

「貴方の人生なの。貴方だけのために使いなさい。たとえそれが他人のためであったとしても、最終的には自分のためでなくてはならないの。いいわね?」

「……はい」

「……はあ。よろしい。それじゃあ、お医者様のいうとおり絶対安静にしてること」

「あの……教科書とかは」

「絶対安静って言葉、知ってる?」

「……はい」

 釘を刺すようなエステル先生の言葉に、俺は大人しくベッドに横になって外でも眺めていた。

 授業の終わりのチャイムがなって昼休み。喧騒が遠くから響く保健室に、近づいてくる足跡が二つ。

「失礼しまーす」

「あら、レティシアさんにエンマさん」

「お見舞いに来ました。アリアさんはいらっしゃいますか?」

「いるわよ。アリアくん、起きてる?」

 病床のカーテンが開けられる。

「起きてます」

「二人がお見舞いに来てくれたわよ」

「来ちゃった」

 どこかイタズラっぽさを感じさせる笑顔で、レティシアはお盆を抱えていた。……学食か?

「先生、椅子ってありますでしょうか」

「待ってて。持ってくるから」

 失礼しますとエンマがランチプレートを置いて、すかさずレティシアも反対側に載せる。器用にレティシアは二人分のプレートを持っていた。

「……これ、俺のか?」

「逆に何に見えますの?」

「違ったら死にたくなるところだった」

「あはは、そんなことしないよ〜」

 先生が持ってきた椅子に座って、二人は俺の両隣に座って食事を始める。

「ほら、アリアさんも食べましょう?」

「え」

 エステル先生の方をチラと見る。

「……まあ、先生も安静というだけで食事の指定はしてなかったし、いいんじゃない? あんまりうるさくされると、仕事に関わるけど」

「すいません、ありがとうございます」

「いいのよ」

 俺の分まで持ってきてくれた二人に礼を言って、祈りを捧げる。食前の所作だ。レティシアも俺と同じように手を合わせているが、エンマはそのまま皿に手をつける。

「お二人は聖教徒なんですわね」

「ああ、一応な」

「ここの宗教だからね」

「家系の都合でいろんな場所に訪れる機会がありましたが、食前の所作というのはどこも違うものですね。そのまま手をつけるところもあれば、手を合わせるところもある。手を合わせるにしても微妙に州によって所作が異なりますから」

「エンマさんは何の宗教徒なの?」

 随分とセンシティブな話題を引っ張るなと思った。

「生憎と、我が家系は特定の神を仰いではおりませんの。ただ、代々続く口伝のようなものはありますわね」

「口伝?」

「ええ、赤子の頃から繰り返し聞かされる百の教訓。それをエピソード形式で覚えるんですの」

「う〜ん、例えば?」

「そうですわね……馬を一頭買ったとて、毎日働かせてはならない。1週間に一度、草を食べさせるだけの日を設けよ、とかですかね」

「どういう意味なの?」

「どんな存在であれ、頑張り続けるのは不可能という話ですわ」

 俺を見ながら言われる。レティシアもエンマの視線に気づいて、一生懸命をこちらを見てきた。分かったから、じっと見るのはやめてくれ。

「……心配かけた」

「いーえ、へそ曲がりのアリアさんのことなんか、全然心配しておりませんわ」

「本当に、たくさん心配したんだからね」

「……レティシアさん、それはずるくありませんこと?」

「え?」

 まるでそれじゃあ私だけが意地悪みたいじゃありませんの、などとエンマが抗議して、あ……ごめん、とレティシアが謝っていた。

 微笑ましい光景だな、と思って気づいた。そうだ、この光景が俺にとっては微笑ましいんだ。

 それなのに、どうせ二人も理解してくれないと心の中で壁を作って、自らそれを手放していた。レティシアがいうように、自分が欲しい手を自ら手放してしまっていたのだ。

 なんて声をかけようかと迷って、きっとここで卑屈になるのは求められてないんだろうなと思考して、どういう言葉をかけるか迷った。二人にどうにか感謝を伝えるには……

「二人とも」

「ん?」

「どうしましたの?」

「……ありがとう」

 驚いたように二人は見合って、それから何故か笑っていた。

 レティシアが俺の手を取ると、エンマも真似をして左手を取る。二人の手はそれぞれ体温が違って、でも温かった。

「離さないからね?」

「略奪するまで離しませんから」

「そうえいば、エンマさん私の恋敵だったね!」

「あら、忘れていましたの? レティシアさんは全然手を離しても宜しくてよ? 私が代わりに両手を握って差し上げるんだから」

「だ、ダメだから! こっちは私の!」

「あ、あの、二人とも……」

 それじゃ俺、どうやって昼飯を食えばいいんだ?

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