行き止まりの夏
穏やかな声音だった。まるで切りつけるみたいなタイミングで発されたわりに、柔らかくて優しい声音だった。
「天司君が自分を許せないと思うのと、千穂さんの死を悼むことは、全然別の感情じゃない? 違う?」
守屋さんはテンちゃんの手からそっとひまわりを取ると、立ち尽くす私の足元へ静かに供えた。
「親しかった人が、死んだ自分のことをずっと覚えていてくれるって、どんな気分なんだろう」
嬉しいよ。嬉しいです。でも、
「ずっと、忘れられないでいる姿を見守り続けるのは……どんな気分なんだろう」
本当は少し、つらいです。
私はテンちゃんが私を忘れない限り、きっと島に居続けるのだと思う。
だって私はずっと、この島にとらわれている。
テンちゃん、あなたが。後悔と呵責の鎖で、私を繋ぎ留めている。
私はただ、手を繋ぎたかったの、もう一度。それだけでよかった。
仮にあの日テンちゃんが私の手をとってくれたとして、私は落ちずに済んだだろうか。それはわからない。漫画やアニメみたいに、手をとっただけで助かるなんて思えない。たぶんふたりともそのまま滑って、海には落ちずとも酷い怪我を負ったかもしれない。そうなったら、今度は私が今のテンちゃんになっていたかもしれない。毎日毎秒自分を苛んで、苦しんで生きていたかもしれない。
そうなるくらいなら、私だけが落ちてよかったの。だって私の不注意なんだもの。テンちゃんは、なんにも悪くないんだもの。
私の手を、とらなくてよかったの。
気づけばテンちゃんが目の前まで来ていた。雑草だらけの地面に両手両膝をついて項垂れて、嗚咽を漏らす。
「千穂。ごめん」
私は、最後に触れたときよりも大きく逞しくなったその手に、自分の手をおずおずと重ねた。温もりも、何も、わからないけど、何故だか、あたたかい気持ちになった。
「テンちゃん。顔上げて」
「俺は意気地なしだ」
「テンちゃんはかっこいいよ」
「自分のためにお前を覚えてた」
「一緒にいられて嬉しかった」
それは確かに、続くはずのない時間だった。だったから、私。
「テンちゃんと長い間過ごせて嬉しかった」
「俺は……っ」
「私が見てきたテンちゃんは、無愛想で、ぶっきらぼうで、ちょっとデリカシーがなくて、でも、面倒見が良くて、家族想いで、人の気持ちを思いやれる、優しくてかっこいい人だよ」
幽霊にならず消えていたら知ることもなかった。長い間島にとらわれていたから、見ることが出来た。
「テンちゃん。恋って……」
「俺は、千穂ともっと」
「恋って、死んでからもできるんだね」
「生きたかった」
「……テンちゃん」
かけたかった言葉はたくさんあったけど、私には何も言えなかった。聞こえていないと解っていても、言葉には出来なかった。私に言えたのは、「ありがとう」その一言だけだった。
「どうしてわたしに、教えてくれたの? 今まで誰にも、話せなかったんでしょう?」
膝をついたままのテンちゃんの肩へ、守屋さんは優しく手を置く。ようやく顔を上げたテンちゃんの表情は少し疲労が濃かったけれど、それでもさっきまでよりずっと、晴れやかだった。
「……『何も知らない』だろ。だからだよ」
「ふぅん」
立ち上がるテンちゃんを悪戯っぽく覗き込んで、守屋さんはくるりと回る。
「まあわたしは『よそ者』だから島の人には広まらないし?」
「何を」
「天司君がすっごい奥手で恥ずかしがり屋さんだってこと!」
「はあ?」
「あっ。だからわたしのことも突き飛ばしたんじゃない? そうでしょ」
「な……っ、違う」
テンちゃんはあからさまに狼狽えて耳の後ろを掻く。私、知ってるんだ。テンちゃんの癖。気づいてないかもしれないけど、テンちゃんが耳の後ろを掻くのは、照れてるときだって。
――私、知ってるんだ。
次第に離れていく笑い声へ背を向けて、私は海原を見た。
ざ、と遥か足下で波が立つ。
眩しさをめいっぱいたゆたえた海のむこうには、何もない。何も見えない。
見えるのは、行き止まりのような水平線だけだ。でも行き止まりだと感じていたのは私だけだったのかもしれない。私を繋ぎ留める鎖なんか本当は無くて、私がここに居たいと願っていただけなのかも。
さああ、と風が吹いて傍らのひまわりが転げ落ちた。あの日の私みたいに。ころころと、転がって、崖下へ。飛沫が弾ける、波のなかへ。
結局見つからなかった私の体は水平線を越えて行けたんだろうか。この島の外へ、行けたのだろうか。
私は今、行き止まりになった夏の向こうに、いる。
「ひまわりの浴衣が似合ってたんだ」
「そういうセリフはお墓の前で言ってあげるべきじゃない?」
「……そうか。そうする」
〈行き止まりの夏/完〉
行き止まりの夏、ひらくころ 早藤尚 @anyv-nt41
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