第2話 望むところだと思わない?
三十分程前のこと。
「私からの依頼はこうです」
その女性は仲田花と名乗った後、すぐに依頼を口にした。
「とある人物を調査してほしいんです」
正面のソファに座った律は、足を組んでじっと話を聞いていた。途中途中でふむと頷き、品定めをするような瞳で彼女を見つめる。
一方の龍也は腰掛けず、律の背後で少し離れた場所から二人の様子を眺めていた。眉間に皺を寄せ、懐疑心満載の瞳で彼女を見ていた、という自覚が本人にも充分あった。
「今、その資料はあるかしら?」
「ええ、ありますよ。確実に受けていただけるのでしたらお渡しします」
「ふふ……」
「ふふっ」
体感で三分ほど、二人は無言で微笑み合っていた。何が起こっているのかは分からないが、とにかく巻き込まれまいとして、龍也は直立不動で立ち尽くす。
突如として、律が明るい声を発した。
「分かったわ。その依頼、受けてあげましょう」
「――は?」
あまりにも爽快なその快諾に、龍也の喉から「理解が追いつかない」と言わんばかりの裏声が飛び出した。何が決め手だったのかさっぱり分からない。どうして、こんな怪しい女の依頼を受けるのか、と。
「お、おい、律さん……?」
「アタシに任せておきなさい、仲田さん?」
「いや、ちょっ、待てって」
「ありがとうございます、佐伯さん! では、ここに資料を置いておきますね!」
双方からの完全無視を決め込まれれば、龍也にはどうしようもなかった。
そして、その結果がこれである。
「…………」
現在、龍也の目前にあるのは置き去りにされた封筒だ。
回想から現実へと戻ってきたところ、どうも嵐が去っていったような跡に思えて、余計にむず痒くなってくる。
手に取るか取るまいか悩んで、ひとまず置いておくことにした。こういう類いのものは、あまり得意ではないからだ。
そこで、ピピッと壁掛け時計が十二時を知らせた。
「あら、もう昼休憩の時間だわ。んじゃ、アタシは一旦奥に下がるわねー」
律はスプーンを舐め、くるくると弄びながら奥の部屋へと移動していった。いま彼を逃してしまったらいけない気がして、龍也は後ろを追いかける。
「律さん、もう一回聞く。どうしてあんなにあっさり依頼を受けたんだ?」
「やっぱり気になる?」
「ああ、気になる」
はぁ、と律に溜め息を吐かれる。それは妙に演技がかっていて、込められた感情の意味は分からないが、どうやら気持ちは受け取ってくれたらしいと龍也は受け取った。
「彼女は嘘を吐いているわ。何かでアタシたちを嵌めようとしている」
「その根拠は?」
「ズバリ……、……勘よ」
「ズバリ、と言った割には妙な間があったんだが?」
「はて、そうかしら? なんのことか、さーっぱり分からないわ」
「おいおい。あんた、そんなに嘘つくの下手くそじゃねえだろうが」
つーんとそっぽを向いて、あからさまに誤魔化された。おおかた、いい言葉が思いつかなかっただけだな、と龍也は呆れ顔をした。女でもなし、刑事でもなし――そんなところだろう。
「というか、アンタも感じ取っていたでしょうに。警戒心がダダ漏れだったわよ?」
「うっ。だって、俺のことを不自然なほど怖がらねえし、なんとなく苦手な雰囲気だったしよ……なんかあんじゃねぇかって疑うだろ」
「可哀想な判断方法ね……。けど、それこそ勘じゃないの。リュウだから野生の勘ってところ?」
「ほっとけ」
龍也が苦々しい顔をすると、対照的に律は微笑んでくる。彼は完全に面白がっていた。
「まあいいわ。アタシの読みだと、仲田花はたぶん同業者の類い……つまり、人のことを調べることを仕事にしているでしょうね。ついでに、使ってきたのは偽名だと思うわ」
「待て、同業者だって言ったか? その根拠はなんだよ?」
「とてもそれっぽかったから」
あまりにも適当すぎる答えを返されて、龍也はずっこけそうになる。
「……じゃあ、仮に同業者だとして。彼女はなんで、わざわざ大金積んで依頼なんかしてくるんだよ? 自分でやりゃいい話じゃねえか」
「単純に考えて、選択肢はそう多くない。まず、自身で調べるのはリスクがある場合。それから、相手に調べさせることにメリットがある場合……。まあ、今回はその後者という可能性が大きいかしらね? わざわざ嘘を吐いてきたのだから、戦線布告ってことになるかもしれないわ。なら、望むところだと思わない?」
この余裕さは現時点で、こちらが優位に立てるはずだという律の自信を物語っている。奥底まで暴いてやりたい、そんな気分なのだろう。
にたりと笑い、律は新たなプリンの蓋をゆっくりと開けた。
「――あ」
それは、龍也のプリンが盗られた瞬間だった。
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