無悪が関わっていた鬼道会系列の闇金の顧客に、その昔頭のイカれた男がいた。大した商才もないのに息子だからという理由で町工場を引き継ぐと、瞬く間に業績を悪化させて会社を傾かせた。

　被った損害をどうにか補填するために、軽い気持ちでウチに借金を申し込むと結果はいわずもがな――法定利率を遥かに超えた利子で元金は数十倍にも膨れ上がっていった。

　とうとう返済の目処が立たなくなった男は、ある日事務所に顔を見せるとまるで質屋に質入れでもするような気軽さで、高校一年生になる実の娘を売りに来たのだ。

　強面の事務員が雁首揃えるソファに座っていた娘の顔色は、蒼白を通り越して今にも消えてしまいそうなほどに色をなくしていた。恐怖のあまり声も出なかったみたいで、小さな肩を震わせて背中を曲げていた。

　顔は父親（クズ）の血を引いてるとは思えないほど整っていたので、環境が環境ならモデルとして活躍できるほどの素材だったに違いない。確かにその筋の｜ド変態どもにはウケる容姿をしていたのは間違いない――そういう意味では申し出を断る理由はなかった。

「お前もちゃんと挨拶せんか」

　父親に無理矢理頭を下げさせられた娘は、これから自分がどのような運命を辿るのか、何をさせられるのかを想像してとうとう泣き出してしまった。無理もない、突然父親に地獄行きの片道切符を手渡されたら絶望の一つや二つはするだろう。

「コレで幾らか、目を瞑って貰ってもいいでしょうか？」

　男は手揉みをしながら無悪の出方を伺っていた。意地汚い目つきですり寄り、膨れ上がった元金の風船をどうにか小さくしてくれないかと、訴えかけてくる浅ましさには反吐を通り越して殺意すら沸いた。

　だが、どんなクズでも客は客だ。なけなしの理性を総動員し、今にも殴り殺そうかと固く握りしめていた拳を必死に抑え込んだ。

　当然男には茶も出さず、娘には伊澤に買ってこさせたオレンジジュースを与えてやったが、コップを持つ手は終始震えっぱなしでオレンジジュースは波打っていた。その姿を横目に見ながら、無悪は父親の質問に答える。

「あのな、ウチが一度裏に流した『商品』がどうなるのか、わかってて提案してるんだろうな」

「それは、ええ、はい」

「ウチは手広くシノギを展開している。儲けになる商売（ビジネス）の話なら一先ず話は聞いてやるが、仮に商談が成立したとしてお前の娘をド変態どもの相手などさせてみろ。まともでいられるのはせいぜい最初の一月だ。精神（こころ）が壊れた商品は必ず覚醒剤（シャブ）に逃げる。あとはもう地の底に転がり堕ちて二度と日の目を拝むことは出来ないだろうな。絞れるだけ絞ったら廃棄するのが俺達極道（ヤクザ）なんだよ。それをよーく理解した上で、お前は実の娘を売るというんだな」

　血を分けた身内を平気で人柱に差し出す父親は、ある意味ヤクザよりもよほどヒトデナシなのかもしれない。無悪の最終通告に、とっくに正気を失っていた父親は拍子抜けするほどあっけらかんとした口調で答えた。

「お願いします。それより娘はいかほどの金額になりますかね。自慢ではないですが母親に似て目鼻立ちは整ってると思うんで――」

　　　　　　　　　✽✽✽

　その後の会話は覚えちゃいないが、そこそこの金額で買った娘は最初の客の相手を任せたその日の夜中、自ら首を括って自殺した。

　それまで男性経験もなかったガキの感性では、到底耐えられない倒錯プレイを客から強要された。この世への恨みと父親への呪詛を綴った遺書が翌日発見されている。

　結局娘を買った値段は回収できず、損失分は男の借金に上乗せした。今の今まで忘れていた記憶を思い出しても、後悔や悔恨の念を感じるわけではない。ただ、あの娘と襲われかけているガキの顔がどことなく似通っていた気がしたことに原因不明の苛立ちが募った。

「いや、なにをどうするかなどお前らに聞くことではないな」

「ああ！？　テメェ、さっきから舐めた口聞いてんぎゃっ」

　名も知らぬ男に、いつまでも好き勝手に口を利かせるつもりはなかった。一歩足を踏み出した瞬間――素早く抜いたグロックの引鉄（トリガー）を引く。放たれた弾丸の威力は凄まじく、まるで対物ライフルで狙撃されたように頭部は四方へ弾け飛んだ。

　周囲の地面や木々に、四散した頭髪や骨片、歯に眼球、脳味噌が飛び散り死の臭いが立ちこめた。

「……は？」

　なにが起こったのか理解できていない様子の残りの男は、上半身を相方の鮮血と脳漿で、まだらに染めながら呆然と立ち尽くしていた。言葉も出ないようで口をパクパクさせている。

「お前らみたいな虫ケラ風情が、この無悪斬人の行く道を遮るんじゃねえ」

「ちょ、ま、待ってくれっ！　殺すな、いや、殺さないでくれっ」

　腰が抜けた男は、まさに虫ケラと変わらない姿で這いずりながら後退る。硝煙漂う銃口を眉間に向けながら、無悪は抑揚のない口調で言い捨てた。

「月並みな言葉だが、今までそうやって命乞いをしてきた人間をお前は見逃してきたことがあるのか？」

「ひっ……や、やめてくれっ」

　最初の男は咄嗟のことで、いたぶる暇もなかった。次は即死を狙うのではなく、眉間からそらしたグロックで右左の肺を一発ずつ撃ち抜いた。

　肺の損害（ダメージ）は即死できないことに加え、血が溜まり続けることで地上にいながら溺れ死ぬような苦しみを継続的に味わうことになる。

「ゴホッ、た、たすけて、くれ……」

「見苦しいんだよ。暴力を生業にするのなら自分が地獄に堕ちることくらい覚悟しておけ」

　仰向けに倒れ、数分間みっともなく体液と命乞いを垂れ流している男の眉間に照準を合わせると、死を運ぶ引鉄（トリガー）を連続で引いた。