2話
体が重い。
重いのに、なんだかふわふわとする。
この感覚、覚えがある。
なんだっけ……。あれ……。
あぁ、思い出した。
確かあれは、小学生の時。
忌々しいことこの上ない記憶だが、とある変質者に襲われ命の危機に瀕した時だ。
重たくて、苦しくて、怖くて。
手足がしびれ、次第に感覚が薄れていく気色の悪い感触。
視界も何だか歪んできて、でもなぜかそいつの悍ましい顔と純粋に透き通る色はいつまでもくっきりとしていて。
そして。
あ、もしかして死の間際ってきっとこんな感覚なんだろうな……。ていう、諦めとか、そんな、感覚と近い気がする――。
――知らない天井だ。
「……え」
ぱちぱちと目を瞬かせる。
そこにあったのは、見慣れない木造の天井。どこか古びているが清潔で、梁がむき出しの造りだった。
ここは……。どこだろう?
意識が戻ったとたん、胸の奥にいやなドキドキが蘇る。呼吸が浅く少し苦しい。手を伸ばして布団を握ると、指先が震えていた。
オレは布団を蹴飛ばすようにして起き上がり、ドタドタと窓に向かう。カーテンを開けると――そこには見覚えのある景色が広がっていた。
いや、正確には「見覚えがある気がする」だ。
意識を失う直前に見た、現実にはありえない人種、見知らぬ建物、空に浮かぶ船。
夢でも幻でもなかった。
ここは、現実にオレがいる「異世界」だった。
「……マジ、かよ」
あまりの衝撃にオレはその場にへたり込んでしまった。一体何だってんだ。何がどうなっているのか。というかオレは今どこにいるんだよ……。
そうして頭を抱えた瞬間。
扉が軋む音がして、誰かが部屋に入ってきた。
反射的に振り返ったオレの目に飛び込んできたのは――赤。
赤い髪を高く結んだポニーテールの女性だった。
年齢は……。二十歳前後くらい?背は高めでスレンダーな体型。モデルみたいにすらっとしているのに、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っていて、一般人ながらも正直ただ者じゃないと思えた。
鋭い目つきはまるでヤンキーみたいだし。睨まれてるわけじゃない……。と思うんだけれど、威圧感がすごい。けど、その赤い瞳の奥に柔らかな光が見えるのもわかった。それに彼女自身から見える色がとても暖かくて――初対面のはずなのに妙な安心感を与えてくれる。
「※※※※※……?」
口を開いた彼女の言葉は、全く聞き覚えの無い言語だった。小首を傾げながら口を開く姿は「気分はどうだ?」とでも言っているようだけれど……。
「あ、あのっ!えっと、オレ、日本語しか……わかん、なくて……。わかんない!なに言ってるかわかんないから!!」
取りあえず、こういう時はボディランゲージ!必死に身振り手振りで訴える。頭を抱えたり、手をぶんぶん振ったり。勿論伝わるはずもないであろう日本語もセットでだ。
その必死さがツボに入ったのか、彼女はふっと唇をゆるめて、くすりと笑った。
「……ワタシ、イオ」
片言の日本語。
赤髪の彼女は――イオと名乗った。
「い、イオ……?」
「ソウ。イオ」
彼女は自分の胸を指で叩いて、頷いた。
一瞬何を言ってるんだ?とかあれ日本語使ってね?と混乱してしまったが、自己紹介をしているようだ。色々思うところがあるけれど、少なくとも会話できそうな雰囲気だ。
「オ、オレは……そ、
おっかなビックリ名前を告げると、イオはゆっくりと繰り返した。
「ソラ」
名前を呼ぶ、たったそれだけのことなのに、不思議と胸の奥がじんわりした。誰かに名前を呼んでもらえるだけで、こんなにも安心できるなんて。
だが、次の瞬間。
「……キレイで、イイ、名前、デモ」
イオは訝し気な表情を浮かべながら言う。
「ソラ……。“オレ”……。ヘン」
ん?
オレヘン?折れヘンってこと?何が折れないって?てか関西弁?あ、いや、流石に状況的に違うか……。だとしてもオレヘンって何?オレ何か変なこと言ったかな……。
唐突に"ヘン"と言われたものだから一体何のこっちゃと混乱するけれど、イオの次の言葉でオレは更なる混乱に陥ることになる。
「“オレ”……。オトコ、ノ、言葉。ソラ、どう見てもオンナ。オンナ、なのに……。オレ?」
「…………は?」
理解が追いつかない。
あ、いや、最初から理解なんて追いつこうにも追いつかないんだけれど、殊更何を言っているのか理解できない。
女……?今、オレが女って言ったのか?確かに日本にいる時も容姿や背格好の影響で"女の子"に間違われたことはあった。と言うか、それなりにある。だから、きっと今回もそういう類のやつかなんて思った。けれど、胸の奥がざわつきだす。
「ちょ、ちょっと待て! オレは男――だろ!だろっ!?」
非常に嫌な予感と背筋に冷たい汗が流れる中、オレは慌てて自分の体を見下ろす。
小さい手。細い腕。肩幅も狭い。胸元も……。膨らんでいる。今まではそこまではっきりしていなかった腰のくびれまで、今では良くわかってしまう。
「嘘、だろ……?」
制服の胸元をガバッと空け確認する。するとどうだ、服の膨らみだったという説は却下され、しっかりとそこには肌着を押し上げる丘が見えるではないか……。小さめだけど。
あ、あれ?もしかしてこの一瞬?で太っちゃったのカナ?明希のクッキー食べ過ぎで実は大分肥えてたのを気付かないふりしてた説ある??あ、ソッカ!だから師匠の投げ飛ばしに全く対応できなかったんだ!ソウナンダ!!
そうそう、これは悪い夢だ。異世界トリップして
あ、そうだ。(唐突)こうなったら下も確認しておいた方がいいよね、うん。こういう時は勢いで確認した方がいいってはっきりわかんだね。
オレはやけくそとばかりに制服のスラックスの上から股座に手を這わせてみる。
「……ゥヒッ!!!??!?!??!」
思いのほか刺激が強かった……。じゃなくてっ!というか、ない!!!ありません!!!オレの相棒はドコデスカっ?!!!は、ソウダ!!!お医者様、お医者様はいらっしゃいませんかぁぁぁぁっぁぁあ↑あ↑あ↑あ↓あ↑あ↓あ↑あ↑!!!!
「いやいやいやっ!!どう見ても!女子の体っっ!!」
頭が真っ白になった。心臓が爆発しそう。
「オレ……。オレが……。女!?」
振り乱すオレをイオは赤い瞳でじっと見ていた。だけど怒ってるわけじゃなくて、むしろ困ったように眉を下げている。
うん、確かにね。目の前で急に発狂している奴がいたらどうしたら良いかわかんなくなるよね。でもね、オレ、もっと意味わからないの。
「うわああああああああああああああああああ!!!!!」
オレは叫んだ。ついでに先ほどまで寝かされていた布団にダイブしそのまま上でジタバタ暴れる。情けないっ。情けないけどっ、こんなん暴れずにはいられないだろっ!!
なんだよなんだよ!なんなんだよ!なんで女になってんの?!なんでオレ、異世界、オレ、何っ?!!!!!!???!?!???!
イオはそんなオレを眺めて……また、くすっと笑った。
「ソラ……。オモシロイ」
「お、おもしろい!?笑いごとじゃねぇっての!!」
涙目で抗議するオレを見て、イオは少し首を傾げる。
「ソラ、オンナ。ソラ、カワイイ」
「か、かわっ……!?や、やめろおおおお!!!」
オレは枕を投げつけた。それをイオはひょいっと片手でキャッチする。その仕草すらなんかスマートで、余計に腹立つぅ!
「ソラ、落ち着いタ?」
「ぜぇ、ぜぇ……」
暫くオレは激情のままに枕やらタオルなどを投げ、イオはからかい混じりに枕やタオルをオレの元にリリースしてくれるので、それをひたすら投げつけるという、異種キャッチボールに興じていたわけなんだけれど、元々体力がそこまであるわけではないオレの体力切れにより一旦の休戦となった。
オレは上がった息を整えるべく深呼吸をしているとイオは枕とタオルをパンパンと手で払いベッドの上に戻しながら窓へと向かっていく。
「……ココ、イース。街」
イオは窓を指さしながら、ゆっくりとした日本語で言った。どうやらここはイースって街らしい。
そして、そこからイオによる現状の説明が行われた。
話によると、オレは「時空の狭間」って現象に巻き込まれて、この世界に迷い込んだ「迷い人」って扱いらしい。決して多くは無いが、それでも噂に聞く程度には起こる事らしい。
「そうだ……。明希、明希は?オレと一緒にいたはずの……」
嫌な予感がしつつも、必死にジェスチャーするオレに、イオは首を振った。
「イナイ。私が見タ、のはソラ、ヒトリ」
「っ!」
ここにいない、それが答えであると何となくわかっていた。しかし、しっかりと口に出されてしまうとそれこそが真実であるとわからされてしまい胸が締めつけられる。
もし、もし明希がいないと言うのなら、オレはたった一人でこのどこともわからない世界で生きていかないといけない。帰る方法も、知人や友人、家族とも会えない。正真正銘の一人ぼっちだ。そんな事実が、オレの視界をドンドンと暗くしていく。
でもイオはすぐに、優しい声で続けた。
「でも、狭間は、大規模、ではナイ、ケド、近くに、イタ、人が巻き、込まれる、可能性、ゼロ、じゃナイ。寧ろ、可能性、大」
その言葉にオレは顔をバッと上げる。
ゼロじゃない。寧ろ可能性は高いとイオは言った。つまり、それはこの街か、はたまた少し離れた場所か、オレと同じ様に明希も転移している可能性があるといういことだ。
「大丈夫、コレも、ナニカ、の縁。ワタシ、ソラ、手伝ウ」
「イオ……」
その瞬間、オレの中でぐしゃぐしゃに乱れていた感情が、少しだけ落ち着いた。この世界で、オレは一人ぼっちじゃない。見ず知らずであるけれど、こうして支えてくれそうな人もいる。それに何より明希がどこかにいるかもしれない。そんな希望が、オレをほんの少し前向きにさせてくれた気がした。
……ただし。
「でもオレは……。女じゃねぇからな!!」
ちょっと涙ぐんじゃって、その気恥ずかしさを紛らわせるためにもオレは先ほどの話を蒸し返す。イオはそんなオレの必死の訴えに対し肩をすくめ。
「ソラ、“オレ”……。ヘン。どう見てモ……。ソラ、オンナ」
そう言って、妙に安心する赤い瞳で笑った。
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