第21話 冷ややかに
プロトがオフィスの会議室までやって来ると、そこには既にイナリ、ホウキ、スイレンの姿があった。
防音の為なのか重く、分厚い会議室の扉はドアノブをひねるとガチャリと大きな音を立てる。
「――珍しい」
プロトに気付いたイナリがボソリと言った。
プロト、イナリ、ホウキの中で一番時間にうるさいのはイナリであるが、大抵待ち合わせに一番早く来るのはプロトである。今、会議室にいる面子で言えば、プロトが十分以上前、ホウキは三分前、イナリはまちまちだが時間厳守を徹底していて、スイレンは仕事の都合上遅れることもある。
「はぁ――へす(お疲れ様です)」
プロトが何時間ぶりの発話をすると、微かな喉の痛みと、まるで分厚い蝋でも喉に張り付いているみたいな異物感を感じ、声帯を震わせるはずの空気は何処かへと消えていった。
それでようやく、プロトは声が出なくなっていることに気付いた。
「――マスクして、風邪辛そうですね。心なしか顔色も悪いような」
プロトが身体の異常を悟ってから、喉の不調を感じるまでが遅かったように、心配しているホウキもプロトが声を出せなくなっていることには気付かない。
しかし、それもマスクで口の動きまで見えないのだから当たり前だった。
「今日は体調が良くないから配信は休もう」と、そう悠長に考えていたプロトの額に冷や汗が浮かぶ。
思っている以上に風邪は重篤であり、事態は深刻であるらしい。
「ほんまやん。大丈夫?」
続けてイナリもそう言うが、プロトに答える余裕はない。
自らが置かれた状況の深刻さを客観的に理解し、声が出したくとも出せないという初めての自体に主観的にパニックになっていた。
会議室の入り口で立ち尽くすプロト。その目はさっき喋りかけてきたホウキやイナリの方を漠然と見据えて動かない。
「なんか、アカンみたいやな。取り敢えず、座って楽にしいや」
イナリは座っていた椅子から慌てて立ち上がり、おかんとか祖母とか養護教諭みたいに世話好きで心配性なふうに、その小さな身体で比較的大きなプロトを寄り添い介抱した。
プロトは立てないほど、まして座っていられないほど衰弱しているわけではなかったが、種々様々な不安が頭を巡り、動揺で固まったところをイナリに押され、椅子の背もたれと座面の角に身体を押し込まれるようにして座った。
落ち着くまでには二分と掛からなかった。プロトの横ではイナリが執念深くどうしたのかと喚き続け、おちおちとネガティブな感傷に浸っていることも許されなかったからだ。
プロトはポケットからひやりとしたスマホを取り出してメモ帳のアプリを立ち上げて、
『風邪引いた』
『声が出ない』
と二行で簡潔に状況を説明した。
「風邪?」
イナリは透かさずプロトの額に手を触れる。プロトの肌からは手を触れるまでもなく炭火のように熱が放射され、前髪を退けるとじっとりとした湿度が溢れる。
「熱いな」
イナリの言を聞いて、ホウキは黙ってプロトが机に投げ出した手に触れた。
「本当だ」
「重症やないか」
イナリは声を荒げる。
「良ければ、冷やしますか?」
水の精であるスイレンが少し躊躇いながらそのスライムのような手をゆっくりと差し出す。
その提案に、ホウキとイナリは血走った目をスイレンに向ける。
「え、いや。ワタシ、人間種の風邪についてはよく知らないんで、こんな時どうしていいか分かんないっすけど」
戸惑いながらスイレンが言うと、
「お願いします」
とホウキは強く答えた。
スイレンの自由自在な掌がプロトの額に触れる。ペタリと肌に張り付いて溶けるように包み込む感じは熱が出た時に額に貼る冷感シートに良く似ている。それどころか、熱を吸収する空間に終わりがなく、額から目の奥の熱まで吸い込まれていって実に清々しい気分になる。
「どうすか」
自信なさげに訊くスイレンにプロトは親指を立てて反応する。
――ガチャリ。
そこで会議室の扉が開かれる。
「ごめんごめん。遅れました」
えへへと柔和で恭しい照れ笑いをしながら、カモが入室する。
「おや、どうしたの皆んな。いつの間にそんなに仲良く……、ひょっとしてお邪魔だったかな?」
ご機嫌なカモを見る女性陣の目は冷たい。
「――アレ?」
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