忘れ得ぬ愛の詩集

ぺんぺん草のすけ

第1話 忘れ得ぬ愛の詩集

「あなたが、A君を殺したんですね」


 取調室。薄暗い蛍光灯の下、私の目の前には頼りない顔立ちの刑事がいた。

「D多良目たらめさん、黙ってないで答えてください」


 私はD多良目たらめD。かつては夫と娘・Iアイの三人で慎ましく暮らしていた。


「あなたは、担任のCじまC子先生も殺そうとしたんですよね?」


 刑事の言葉に、私は静かにうなずいた。C子はIアイの担任だった女。あの女も……私は殺すつもりだった。

 ……そう、まだ終わっていない。終わっていないのだ。

 それなのに――


「……誰がタレ込んだのよ。誰が……!」


「心配している人からの電話です。あなたのことを……」


 心配? 笑わせる。誰が今さら……

「そいつも殺してやる……」

「娘さんの弔いのつもりですか?」

「そうよ! Iアイの叫びを、誰も聞かなかったじゃない!」

「……あなたも、耳を塞いでいたのでは?」

「だから今、代わりに私が……あの子のために……!」


 Iアイが死んでからというもの、私は家に閉じこもり、遺影と遺骨と向き合い続けていた。

 毎晩、Iアイの写真に涙を落とし、夫はそんな私を抱きしめてくれた。


「忘れよう……」

「どうして忘れられるのよ!」

「君まで壊れてしまう……」

「私はIアイしかいなかった!」

 夫の腕の力が、あの日から少しずつ強くなっていった。

 初めは、壊れていく私を必死に止めようとしているのだと思っていた。

 けれど、ある夜、私の肩を抱くその手に、異様なほどの震えを感じた。

 まるで──自分自身を抑え込んでいるような、そんな震えだった。


 私はよく校舎の前に立っていた。あの校舎の窓から、Iアイは飛び降りたのだ。

 見上げるたびに蘇る光景。


「D多良目さん、授業中です。お引き取りを……」

 C子は毎度のように私に声をかけてきた。面倒そうな顔で。


 あの女が、Iアイの訴えを無視し、いじめの事実を隠した……許せるはずがない。


 二階の教室からは生徒たちのざわめきが聞こえた。あのAとBの姿もそこにあった。


 あの二人は、Iアイをいじめていた張本人。

 Iアイの涙でにじんだ遺書が破けるほどに……何度も何度も書きなぐられていた名前だ。


 教室からのぞくA君とB君は、私のことを「また来やがったよ」とばかにするような笑みを浮かべていた。

 あの笑み……Iアイをいじめていたというのに、全く反省していないのだろうか……

 いや、おそらく、いじめていたという認識すらないのかもしれない。

 どうして、Iアイだけが苦しんだの……

 どうして、Iアイだけが死ななければならなかったの……


 殺したい……

 こいつら全員殺したい……

 殺してやりたい……


 いや……


 殺す……

 殺す……

 殺してやる……

 きっと、殺してやる……


 待ってて……Iアイちゃん

 お母さんが、ちゃんと全員、殺してあげるからね……


 ピンポーン。

「Aさん、メガゾンからのお届け物でーす」

「はいはい! やっと来やがったよ! おせえんだよ!」

 ガチャリ。

 バチン!


「A君……やっと起きた?」

 私の目の前には手足をベッドの上で大の字に固定され、口にはさるぐつわを巻かれたAの姿。

 彼の目には明らかに怯えと混乱が混ざっていた

「うーーーウーーーー」

 必死に逃れようと体をばたつかせているが、何重にもしばったロープで身動きできない。

 私は、そんな彼の横にひざまずくと、優しく微笑む。


「A君も大人だね……ここまで、おばさん一人で運ぶの大変だったのよ」

「うーーーウーーーー」

 大きく見開かれたAの目は、何かを訴えようとするかのようにぎょろとせわしなく動き回っていた。


「……あなたにも、娘がされたのと“同じ目”を味わってもらいます。公平に、ね……」

 そう言うと、私はビンから取り出したミミズをAの鼻に無理やり突っ込んだ。

 だがミミズも生き物。

 吹きつけられる鼻息を嫌がり、穴から必死にもがいて出ようとする。

 私は折れた割り箸を使って穴の奥へと深く深く押し込んだ。

 勢いよく、グッサリと!


「あら、ちょっと強すぎたかしら……まぁいいわ」

 上向くAの鼻の穴にみるみる赤い汁が満たされ、頬に向かってトクトクと溢れ出した。


「はい、次はゴキブリ。これをあなたの大切なところに入れます。って、男の子の大切な穴は小さすぎて無理かな?」

 そう、あそこの穴は竹串の先程度……

 だから、私はAの腹にナイフを突き刺した。グサッ!


「ごgぉおぉお!」

 悲鳴にならない悲鳴を上げるA。

 目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


 私はそんなAの様子など気にせず、突き刺したナイフを下腹部へと一気に引き下げた。

 ナイフの後を追って、腹に赤い線が浮かび上がり、次第に太さを増していく。

 やがてAの体の下に広がる純白のシーツを赤く染めていった。


「はい、だから、おばさんはこっちの穴に入れちゃいます!」

 私はビンから取り出したゴキブリを握りしめると、ナイフで切り裂いた肉の裂け目に力任せに突っ込んだ。


「おめでとう。あなたも赤ちゃんを授かったわ……ゴキブリの赤ちゃんをね」

 突っ込んだ手に内臓を通してAの体温が伝わってくる。

 ――この子の体は温かい……でも、もうIアイは……


 忘れもしないあの日、Iアイの体は横たわり冷たかった。

 死臭漂う霊安室。

 空気はやけにヒンヤリしていた。

 きっとそのせいなのだろう……

 私は固くなったIアイの手を取り、何度も何度も自分の手でこすり合わせた。

Iアイちゃん……寒くない……」

 しかし、何度こすっても、Iアイの手のぬくもりはすぐに冷めていった……

 抱きかかえIアイの頬に自分の頬を寄せても冷たいまま……

 もう、二度とあの温もりは戻ってこない……

 霊安室に私の嗚咽だけが静かに響いていた。

 ──ただ、あの時、私は気づいてあげられなかった。

 何も言わずに隣に立っていた夫。

 拳を強く握りしめ、震えていた。

 そしてその視線は、Iアイではなく、遺影の横に置かれていた名前札を、じっと見つめていた……ことを……


「やめてくれよ……おばさん……」

 暴れたせいでさるぐつわが緩んだのか、Aの口から言葉が漏れた。


Iアイも、そういったんじゃない?」

 私は微笑みながら彼の目にナイフを突き立てた。グサッ!


「A君も、もう大人なんだから、やったらダメなことぐらいわかるよね?」

 必死にうなずくAは失禁していた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「うん? 謝る相手が違うんじゃないかな?」

Iアイさん……ごめんなさい……もう、二度としませんから許してください……」

「そうか……A君はちゃんと反省できるんだ……」

「はい、反省しています……だから……だから……」

「でもね、もう、Iアイはもうこの世にいないの」

 ――!

 私はナイフをAの首に何度も突き立てた。

 ナイフを握る力がなくなるまで、何度も何度も繰り返した。


 この時の私は、きっと幸せそうな顔をしていたに違いない。

 これで……天国に行ったIアイはA君から謝ってもらえるんだから。

 でも、よくよく考えるとA君って天国に行けるのかしら?


 あと二人……


 次の日、私はB君を探した。

 だけど、B君はいなかった。

 B君の家の新聞受けには1週間分の新聞が溜まっていた。

 どうやら、家族とでも旅行に出ているらしい。


 なら、先に担任のC子を済ませてしまおう。

 だけど、私は失敗した。

 同じようにC子を殺そうとしたとき、警察が踏み込んできてしまったのだ。


「あと二人も残っているのよ……あと二人も!」

「奥さん……二人も殺したら死刑ですよ……それでもいいんですか?」

Iアイがいないこの世に何の未練があるのよ!」

「娘さんが復讐を望んでいるとでも思っているんですか?」

「思っているわよ! あの遺書を読んでみなさいよ!」


 がちゃり

 取調室のドアが開き、慌てた様子で別の刑事が駆け込んできた。

 目の前の間抜けな刑事の耳に手を当てて何か報告している。

 顔色がどんどん険しくなっていくのがわかった。

 どうやら何か重大なことがあったようだ。


「D多良目たらめさん、1週間前の7月28日はどちらにいました?」


 意味がわからず、私は黙ったままだった。


「旦那さんの実家がある○○町の廃工場、知ってます?」」


 ――忘れるはずがない……

 その場所はIアイが最初に自殺を図ったところだ……

 ただその時は夫が早く見つけて事なきを得た。


 この自殺未遂で娘へのいじめに気づいた私達は学校を問い詰めた。

 しかし、学校はイジメの事実を認めない。

 それどころか、組織的に隠蔽しはじめたのだ。


 それ以来、娘は学校に行かなくなり、部屋に引きこもった。

 だけど、それでもよかった……

 娘が生きてくれていれば、ただそれだけで良かった……

 あんな学校に行かずとも、世の中には学校はいくらでもあるのだから……


 しかし、陰湿ないじめは部屋に引きこもり逃げる娘すら追い詰めていたのだ。


 死後に見た娘の携帯。

 そこには、とある掲示板の閲覧履歴が残っていた。

 その掲示板には娘の顔がはっきりわかる写真とともに悪意に満ちた文章がびっしり書きこまれていた。


『鼻からミミズを食べる女!』

『只今、ゴキブリ出産中!』


 嘲笑は学校だけにとどまらなかったのだ……


「B君、知ってますよね?」

「ええ」


 目の前の刑事は続けた。

「○○町の廃工場でB君も遺体で発見されました」


 ――!


 叫びそうになった私は、ぐっと声を呑み込んだ。

 B君が死んだことは、確かに嬉しい知らせだ。

 ただ──できることなら、私の手で殺したかった。

 ……なのに、どういうこと?

 私がA君を殺すより先に、もう殺されていた……?

 分からない。

 分からないけれど、私は黙ったまま、ただ微笑み返した。


「アンタ! まさか! B君まで、殺していたのか⁉」

 !?

 どうやら間抜けのこいつは、私がB君を殺したと思っているらしい。


 まぁ、いずれ殺すつもりだったから、それでも構わないのだが……

 しかし、一体誰がB君を殺したのだろう……

 ふと気になった私は間抜けな刑事にカマをかけてみた。


「プレゼントは気に入っていただけました?」


「ゴキブリのことか! B君のケツの穴に詰め込まれたゴキブリのことか!」


 ゴキブリ? ゴキブリをお尻の穴に突っ込まれていたの?

 それはまるで男の子にゴキブリを出産させるかのようではないか。

 そう、それはまさしくIアイがされたことと同じこと……


 そうか……

 そうだったのか……


 その瞬間、私は全て分かった。

 私のことをタレ込んだ人物。

 そして、B君を殺害した人物。


 ああ、私は愛されていたんだ……

 そして、Iアイのことも私以上に愛していたんだ……

 おそらく、今の私以上に心が壊れてしまっていたのだろう……


 私よりも先に地獄を歩きはじめていたあの人……

 あの人のために……今の私ができることはただ一つだけ。

 こいつらの目をできるだけ長く今の私に釘付けすること。

 そう、残る一人が片付くまで……


 微笑む私は口を開いた。

「ハイ……私がB君を殺しました……」

 しかし、なぜだか微笑む目から涙がとめどもなくこぼれ落ちてしまうのだ。

 ……ありがとう……そして、気づいてあげられずに、ごめんなさい……


 ピンポーン。

「Cじまさん、メガゾンからのお届けモノです」


 そんな男の声に、鉄製のドアがけだるそうな音を立てながら開いていった。

 中から顔を出す女はさらに不機嫌な様子。


「ちょっと、アンタ分かってる? いま私、警察の病院から帰ってきたところで大変なのよ………」


 だが、男は我関せず。

 ゴツゴツした手でもった受書をC子へと突き出した。


「こちらに受け取りのサインをお願いします」

「何これ? 私、頼んだ覚えは無いんだけど? 中身なに?」

「えーっと、詩集みたいですよ」

「『忘れ得ぬの詩集』? なんか……超くさいんですけど! ハハハ!」

「……えぇ、決して忘れられないほど……でも、これからあなたも、と同じように死臭を放つことになるんですから……」


 バチン!

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