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ヒトミは今年、十五歳になる。あれから十五年が経ったわけだ。俺は未だにヒトミとの上手い距離感を見つけられてない。そもそも、娘とも思ってねえし。ヒトミだってそうだろう、俺は「お父さん」と呼ばれたことなんかなく、「おい、ミキオ」とぞんざいな呼ばれ方をしてる。血縁がないことが関係してるのかといえば、そうでもないと思う。いかにも大げさな気がして、俗にいう「カミングアウト」ってやつを俺はしてない。何となく察してはいるんだろうな。血縁があればいくつかの問題は解決するんじゃないかって、そう思うことはあるよ。血縁は関係にとって必要じゃないが、最後の凌ぎにはなる。凌ぎのない俺たちの関係は、蝶番のイカれた扉みたいだ。妙にガバガバで、時にキツくて、とにかくかみ合わせが悪い。
メシはいつも俺が作る。残業を終えた後、浜かもめ団地の最寄り駅に隣接したスーパーマーケットで食材を買って帰る。富裕層の住む隣町が発祥のその店は、二十四時間営業で、蜂蜜色の照明があったかく、真白い石張りの床には汚れひとつなく、そんで品物がクソ高え。貧乏人は客と思ってねえのか、どんなに在庫があっても、割引ってのはしてくんない。不似合いに造りの立派なカートを転がしながら店内をひょこひょこ歩き回ってると、永遠に出られねえすり鉢のドン底で這いずり回ってるみてえな気分になることがある。貧乏ってのは蟻地獄だ。貧乏人ってのは働き蟻だ。
俺は自分の金銭感覚を信用してないんで、家計は幼い頃からヒトミに管理してもらってる。俺の持ち分は月3マンに決まってて、そこから遣り繰りするわけだが、食費も考えるとカツカツだ。レジ袋代も馬鹿になんないから、ヒトミが小学校の家庭科で拵えたピンク色のナップサックいっぱいに食材を詰め、団地沿いの道を歩く。一方通行の細い道がにょろにょろと窓明かりの少ない団地の間を潜り抜け、十五階ぐらいある建物の化けもんみてえな影が俺を見下してる。冬が近いからか、身体がぶるっとした。この道を歩くのは怖え。この道は人生の冬に通じてると思う。もうあの季節には戻れねえ、一方通行の冬に繋がってる。
団地の前にはだだっぴろい青空駐車場がある。駐車場なんつっても、舗装もされてなけりゃ線も引かれてねえ砂利の上に車を無軌道に並べてるだけだが。ここに住んでるやつらは等しく金がねえから、車は軽自動車ばっかだ。それもムーヴキャンバスとかハスラーみてえな流行りのイカした車じゃなくて、ダイハツでいえばネイキッドとか、スズキでいえばアルトの数世代前のとか、あと軽トラやら軽バンやらウォークスルーバンやら、傷や錆の目立つくたくたの車体が並ぶ。可哀相にろくな手入れされてねえんだろう、タイヤが茹ですぎた餅みてえにふやけてるもんも多い。その割にレクサスだかベンツだかのでっけえエンブレムが目立ってたりする。俺の持ってる軽自動車はそんなかではマシな方なのか、スバルの軽自動車・R1だ。農道のポルシェことサンバーとか四人乗れるオープンカーのヴィヴィオタルガトップとか、尖った商品展開を続けたスバル軽自動車事業の最大の問題児で、最後の問題児でもあった。月数百台しか売れねえっつうとんだ金喰い虫で、スバルの経営をすら傾かせ、自社製の軽自動車から手を引く遠因にもなった。でも俺はこのR1って車が好きだったんだよな。いかにも頭悪そうなとこに共感したんだ。真っ黒い車体もいい。日焼けで塗装が色あせてはいるものの、洗車した直後は今でもぴかぴかに輝く。まだおしめも取れてねえヒトミを連れてこの町に越してきた頃、出たばっかのR1を新車で買ったから、ヒトミと同じ十五歳ってことになる。
俺は家に帰る前、時々このR1のとこに立ち寄る。鍵は掛けてねえ。盗られるもんは3チャンネルしか選べない粗悪なFMトランスミッターぐらいしかねえし。そんで、側面にひとつしかないドアを開け、助手席を前倒しして狭い隙間に熊みたいな身体をのっそりと滑り込ませ、後部座席にちょこんと腰を下ろす。
R1の後部座席はむちゃくちゃ狭い。実質ふたり乗りだって言われる所以だ。ちっちゃな子どもしか座れねえような後部座席に無理やり身体を詰めてると、気持ちが不思議と落ち着くんだ。
別にヒトミに会いたくないわけじゃねえし、会うのが怖いわけでもない。ただ俺はヒトミに対してどう接するべきなのか、時々こうして気持ちを落ち着ける必要があんだ。R1の後部座席は、あの頃の、イズミと過ごした後部座席に繋がってる。俺はあの頃のイズミに、この空間を通じて話しかけんだ。
(家族ってなんなんだ?)
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