第2話

 

 寒さで目が覚めた。


 濡れた石畳に寝転がる私の視界に、引き千切られたネックレスが月明かりに照らされて鈍く光っている。


 私はそれを拾い上げながらヨロヨロと立ち上がった。


 雨が上がったのか……。


 どれだけ気を失っていたのか分からない、けど、私は生きていた。


 生命力が憎い。まだ私に生きろっていうの?


 私は宛もなく夜道を彷徨い歩き、体を休ませられる場所を探す。


 体が冷えて震えが止まらない。日はとっくに落ちていて今何時かすらも分からない。頬は腫れ、口の中が凸凹しているのを感じる。


 あのオッサン、いつか殺してやる! 女を殴るとか無いだろ!


 グッと上昇した怒りは敢え無く腹の虫の鳴き声に消し飛んだ。


「お腹空いた……」


 ここんところ雑草しか食べていない。さっきの逃亡劇は私の残り僅かな体力を一気に消耗させたようだ。


 足元がおぼつかない。何だか視界も狭くなってきて、私は地面に足を取られて受け身を取る暇も無く倒れてしまった。


 冷えた地面に体温が一気に奪われ、立ち上がる気力も失せる。


 やっぱり無理かも……。


「大地の聖霊よ、私に命の源を与えよ……」


 手のひらに小さな光が一瞬宿り、パチッと弾けた。


「ははは……」枯れてる、大地が……。


 もう嫌だ、楽になりたい……。


 転んだ時に落としたのか、地面に私のネックレスが虚しく光っている。


 手を伸ばしたが、届かない。もう体が消耗しきって言う事を聞かない。


 もういい、もういいんだ……。


 そのまま地面に額を付けて目を瞑る。


 その時、ザリッと地面を踏む音が聴こえた気がした。


「ほう? 今時魔導士とは珍しいな。デカいネズミじゃなさそうだ」


 鼻で笑う女の低い声が響き、私は朦朧としながらも声の方向に視線を向けた。


 月光を浴びた青白い腕が伸び、私の大切なネックレスを拾う指先は綺麗だった。

 

 地面に寝転ぶ私の斜めな視界に、黒い艶のある靴先が光っている。


「誰…………?」


 瞼を開けていられないほど消耗していた私は、それが現実に起きているのか判断出来ぬまま、意識が途絶えてしまった。



 ◇



 瞼に光を感じた。


 朝? こんなに心地良い朝は久しぶり……。お母さん……怖い夢を見ちゃったよ……。


「あっ! 動いた!」


 耳元に感じる人の気配、聞きなじみのない若い男の声に、私は一気に上半身を起こした。


「おはよう。元気そうで良かったよ」


 見た事の無い部屋。ベッドの上で呆然とする私の傍で、見た事のない歳の近そうな男の子がそう言って屈んだまま私を笑顔で見つめている。


「えっ⁉ 誰?」


「誰って、それはこっちが聞きたいよ」


 茶色い短髪のソバカス顔は人懐っこそうで、私の警戒心が一気に低下した。


「私、どうして……。ここって?」


「三日も眠り続けてたから、もう起きないかと思ったよ? 後で説明してあげるから、取り敢えず服着たら? 洗っておいたからさ」


 彼は立ち上がって部屋の棚に置いてあった見覚えのある服を掴むと、私の目の前に差し出した。


 綺麗に折り畳まれた私の服一式、その天辺に見覚えのある白いブラとショーツも載せられていて目が点になる。


「は? い?」


「いや、その……服が濡れたままだったし、そのままじゃ布団が汚れちゃうから……」


 彼は急にソバカス顔を赤らめて視線を外に向けた。


 言われた途端、体がスカスカしてる気がして、私は視線を彼から自分の体に向けた。


「ええ~~~っ⁉」


 私は一糸まとわぬ姿で布団に入っていて、布団から出ていた上半身も……。


「見、見、見るなぁーーっ!」


 咄嗟に布団を掴み上げ、久々に叫んで喉が痛くなる。


 彼は部屋から飛び出して「ごめ~ん!」と、声だけが後から響いた。


 ど、どういうこと⁉ 私、脱がされたの? アイツに⁉ ブラはともかくショーツまで?


 顔が一気に熱くなった。視られた? あそこと、あそこも⁉ 信じらんないっ!


 ベッドから飛び降り、裸で開け放たれたままのドアをバンッと閉め、私は速攻着替え始める。


 洗いたての下着の感触が気持ちいい。アイツに洗われたのは癪だけど、人間力が低下していた私はここ数週間、下着を取り換えた記憶がない。


 汚れた下着、見られたよね……。


「恥ずかし過ぎるーっ!」


 思わず叫んでしまった。だって歳の近しい男の子に視られたんだよ? もう生きていけないからっ!


 ハッとした。


 綺麗なショーツを履いただけで、ついこの間まで死にたがっていた自分がどうしようもなく嫌になる。


 この服、こんな色だったっけ……。


 魔導士がダメになって、飛び込んだ工場の仕事。住み込みで働いていた時に外出用に用意した一張羅。


 牢獄みたいな工場を、皆で脱走した時から着ているやまぶき色の服……。


 汚れてくすんでボロボロで……、でも魔導士見習いの時に仕立ててもたっらお気に入り。


 急に目頭が熱くなり、私は涙を堪えて天井を眺めた。だけど、上を向いていても、どうしようもなく涙が溢れ出すのを止められない。


 洗ってもらった服を顔にあて、私は息を殺し、部屋で暫く泣き続けた。


 着替え終わってどうしようかと迷っていると、不意にドアがノックされ、私は体をビクッとさせてしまった。


「着替えたかな? あのさ……顔洗ってご飯にしない?」


 ドアの向こうからさっきの彼の声が聞こえて来て、私は目元が腫れているのではないかと躊躇いつつドアを少し開け、半分顔を覗かせる。


「あ、ありがと。私、迷惑じゃない?」


 私の言葉に彼はニマーっと屈託のない笑顔を見せた。 


「迷惑ならわざわざ君を助けたりしないだろ? いいから早く来て!」


 いきなり手を握られ、私は困惑しながら幼女のように何処かへ連れて行かれる。


 木造の廊下を踏む二人の靴音が家に響き渡った。かなり老朽化した家は所々から外の光が漏れてはいたが掃除は行き届いていて清潔感だけはあり、手入れはされているようだった。私は名も知らない彼の背中を眺めながら大きな水瓶のある物置みたいな狭い部屋に通され、言われるまま顔を洗う。


 ひび割れた鏡に映る自分の顔にギョッとしてしまった。そう言えば私、ボコボコに殴られて……。腫れは引いてるけど青あざが酷い。


「君、王都の準魔導士なんだろ? 使えるの? 魔法」


 布切れを渡されて顔を拭いている時、彼が聞いた。


 私はマジマジと彼の顔を眺めてしまった。今更そんな事を聞かれて戸惑いもしないが答える気にもならない質問に、助けてもらった身分でありながら苛ついてしまう。


準魔導士に、それ聞く?」


「元では無いだろ? 魔導士は魔導士じゃないか」


「今じゃ大道芸にも敵わないのに?」


 私は彼の顔の前に片手をかざし、指を大きく広げて大地から魔力を吸引してみせる。


 指の間に若干のスパークが起き、直ぐに弾け飛ぶ。


 ここの魔力は薄い。これじゃ枯葉に火を点けるのも無理っぽい。


「凄いっ! どうやったの?」


 ソバカス顔の大きな目を更に見開き、大袈裟な態度をとる彼に、私は頭に来てしまった。


「全然凄くないっ!」


 感情を制御できず、私は大声を出してしまって、慌てて「ごめん」と言葉を足した。


 私の精神は不安定だった。やりたかったことを諦め、やりたくない仕事の為に人生の全ての時間を吸い取られる現実は耐え難く、皆で工場を脱走したまでは良かったけど、結果はお金も無くなり盗みまで働き、それすら上手く出来なくて生きる事すら放棄した私。それなのに寝床を与えられ、ご飯まで頂こうとしている自分が嫌になる。


「どうしたの?」


 唇を噛む私の顔を、彼はちょっぴり不安そうに覗き込んだ。


「ううん、何でもない……」


「じゃ、早く行こ? ネイビルも待ってるし、スープを温め直すって言ってたから」


 ネイビル? 他にも誰かいるのかな……?


「あっちが僕たちの住んでる所だよ」


 建物の外に出ると、周りは森に囲まれていて少し離れた所に三角屋根が三つ重なったこじんまりとした家が一件建っていた。ってことは、こっちは離れか……?


 彼に促されるまま外を歩いていると、一人の女性らしき黒い人影が建物に入って行くのが見えた。


「あっ! ネイビルだ! おーい! ネイビルーっ! ……行っちゃった。早く行こう?」


 ん⁉ 何あれ……。


 彼女の後ろに木のバケツが三つ空中を漂いながら付いて行くのが見えて、私の心臓が高鳴った。


 あれって魔法……? 嘘でしょ⁉


 試しに自分で魔法を使おうとしたけど、やっぱりここの魔力は薄くて使えない。どうなってるの?


 私は高鳴る鼓動を抑えきれずに、早足で歩き出した。

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2026年1月10日 20:03

アイリ 泡と消えた魔法の世界で みりお @mirio

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