卒業

≪注意≫

『卒業証書は渡せない』の非常に重大なネタバレが含まれます!

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 いつもの歩き慣れた道を、私は学校に向かって歩いていた。途中で友人たちと合流し、話をしながら登校する。学校付近の交差点で、他の地域の生徒とも出会う。いつもと同じように、決められた道を歩いて学校に向かう。

 正門前に到着すると、そこには数人の先生が立っていた。黒のスーツを着て、左胸には赤い花をつけている。──今日は卒業式。

 廊下や教室も昨日までとは違い、紙やテープで装飾されていた。教卓の上にも花が置かれている。学校なのに、学校じゃない。卒業式だから悲しいはずなのに、泣いている生徒は1人もいなかった。みんな友人たちと写真を撮ったり、雑談をしていた。

 式の最中、どこかで涙腺が緩んでいた。それは静かな水面に何かが落ちた波紋のように、やがて式場全体に広がった。もちろん私も泣いていた。けれど、あまり泣けなかった。教室に戻ってからはみんな笑ってた。「卒業式だと言うけれど何を卒業するのだろう」と誰かが歌っていた。本当に、何を卒業するのだろう。

「夕菜ちゃーん、帰ろう」

「あ……ごめん。先に帰って」

 私の両親は仕事で来れなかったから、友人と一緒に帰る予定だった。でも私はそれを断った。一緒に帰りたくないんじゃなくて、1人で行きたい場所があった。


 残っている卒業生が少なくなるのを待って、私は学校を出た。もうここに来ることはないと思うと少し寂しくなるけど、振り返らずに歩き続けた。通学路をしばらくまっすぐ歩き、途中で左に折れる。その先に親友が──眠り始めてからちょうど1年。

 1年前の今日、親友・奈緒はクラブの練習が遅くなって、夜道を1人自転車で走っていた。すると突然地震がきて、奈緒は自転車ごと倒れた。そして横にあった何かも倒れ、奈緒は動けなくなった。近所の住人が奈緒を見つけたのは翌朝だった。奈緒は電柱とコンクリートに頭を挟まれ、血を流して死んでいた。

「奈緒……卒業したよ……」

 既に誰かが参った後らしく、綺麗な花が供えられていた。線香も、まだ煙を立てている。

「あと1年だったのに……一緒に卒業したかった……」

 奈緒とは小さい頃から付き合いがあって、去年も同じクラスだった。なのに地震のせいで、クラブが遅くなったせいで、奈緒はこの世を去った。もし地震がなかったら、クラブがなかったら、電柱がなかったら、今も奈緒は元気だったかもしれないのに。毎日そんなことを考えた。奈緒がいなくなったことを悲しむのは、もちろん私だけじゃなかった。

「奈緒……どうして……」

 知らずに涙がこぼれていた。卒業式では泣けなかったのに、今は涙をこらえるほうが難しい。

 ジャリッ──。

 足音がしたのでゆっくり顔をあげると、少し先に人の姿があった。私はその人を知っていた。ついさっきまでクラスメイトで、奈緒の彼氏だった人、弘樹。私は何も持たないでここに来たけど、弘樹も何も持っていなかった。話したい気分じゃないからそのまま帰ろうとしたけど、呼び止められた。少し離れて待つことにした。

 弘樹はしばらく墓石を見つめていた。黙って、じっと。たまに近くを通る車の音が聞こえても、木から飛び立つカラスの声が聞こえても、弘樹はずっと墓石を見つめていた。奈緒と話しているのだろう。少なくとも私にはそう見える。それから小さい何かを供えて、合掌してから立ち上がった。

「あれ? 弘樹……、そこ……」

 さっき見たときには確かにあったのに、第2ボタンがなくなっていた。

「奈緒にやった。生きてたら絶対取りに来るから」

 弘樹は墓石を振り返った。私もつられてそこを見ると、微かに光るものがあった。

「昨日もあいつの夢見たよ。卒業証書持ったままこの山登って、鳥になって飛んでた。……ダメだ俺、あいつのこと忘れらんね……」

「奈緒は生きてる」

「え?」

「奈緒は生きてる。弘樹の心の中で」

 奈緒は死んでなんかいない。ちゃんと生きている。


 墓地を出て通学路に戻ったとき、

「俺、ちゃんと卒業する。卒業しねえと進まねえし」

「卒業か……誰か歌ってたね、♪何を卒業するのだろうって」

 私は笑って歩き続けた。数歩進んだところで弘樹が言う。

「これ、何かわかる?」

 弘樹が私に見せたのは──間違いない、奈緒とペアで買った指輪だ。

「わかるけど……」

「これは俺のじゃない。あいつが死んだ次の日にもらってきた。それからずっと持ってたけど……さっき要らなくなった。俺、奈緒を卒業する」

「えっ? 捨てるの?」

「最初はそうしようと思ってた。でもやめた。おまえが持ってろ」

「私が? なんで? 奈緒の形見……」

「じゃ捨てようか?」

「だ、ダメ、それはダメ!」

「じゃ、もらって。俺が持ってても仕方ねえし。ほら」

 弘樹は指輪を差し出した。けれど、そう簡単に貰えるものじゃない。

「あいつ言ってたよ。夕菜は絶対俺らの邪魔しないって。でも今は邪魔してほしい。頼む。奈緒にはさっき言ってきた。これは夕菜に渡すか……捨てるって。捨てて良い?」

 私は首を横に振り、弘樹から指輪を受け取った。何気なく指にはめてみたら、サイズは丁度良かった。奈緒はいつも、これをつけていた。

「長かったな。1年かかった。この1年……指輪を離すために訓練して、卒業が決まった。夕菜、この卒業は卒業証書もらえる?」

「卒業証書?」

「うん。言い換えたら──次の人生への切符。切符がないと電車に乗れない。切符は多分……俺の近くにある」

 ソツギョウショウショ。ツギノジンセイヘノキップ。デンシャニノレナイ。ヒロキノチカクニアル。ヒロキノチカクニアルモノハ──。

「その切符って……もしかして私?」

「俺は奈緒を卒業したけど、毎日思い出すと思う。だからあいつのことを知らない奴とは絶対付き合えねえ。今の俺は……夕菜、おまえしかいない」

 答えるべき返事がわからないと言うより、答えはないような気がした。いくら奈緒がいなくても、親友のものを奪うなんて、私にはできない。弘樹が1年で通ったトンネルに、私はまだ差しかかったばかりだった。



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『卒業証書は渡せない』として公開中。

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