第640話

 街道沿いの駅宿の一室にて。

 ここで今夜を過ごし、王都に向けての出発は明日にしようと決めて、フィリップたちは各々くつろいでいた。


 「はぁー……! あったかぁい……」


 ベッドに腰掛けたフィリップは、天井を仰いで気の抜けた感嘆を漏らす。

 足元には宿で借りてきた桶があり、中にはアンテノーラが魔術でお湯を張って足湯になっていた。


 「“歌”で体温を調節することも出来ますのに……」

 「それとこれとは別なのー」


 歌ではなく初級魔術なんかを求められ、アンテノーラは不満そうだ。

 しかし歌による体温調節は「恒温性強化」、つまり気温や外部要因による体温変動を無効化し、常に体温が適温になるというもの。

 

 この、冷えた足に熱いお湯が突き刺さり、血管が広がり、汗腺が開いていくような感覚は味わえない。

 「快適」と「快感」は別物だ。

 

 「そういえばフィリップ様、あれを放置して良かったんですか?」


 荷物を漁って着替えや食料を取り出しながら、カノンは適当な調子で尋ねる。

 本気の疑問ではなく、思い付きの雑談といった風情だ。「あれ」なんて、対象不明の指示語なんか使って。


 「んー? あ、そういえばリック翁に「帰ります」って言ってない。うわ……!」


 ベッドに沈んでいたフィリップは、顔を蒼白にして跳ね起きる。

 眠そうに溶けていた表情筋が一瞬で引き締まり、次いで心底かったるそうに歪められた。


 流石に、この連絡漏れは不味い。

 非公式とはいえ王宮経由の依頼だ。エルフの首都ないし王女様から王国へ、王国からフィリップへ情報が降りて来たわけだし、リック翁は案内人としてエルフの首都から派遣されたわけで。


 終了報告と、調査結果の報告もしなければならない。真実を告げるか嘘を伝えるかは関係なく。


 最悪だ。

 エルフの集落からこの駅宿まで徒歩30分。整備された街道を外れ、雪の積もった中を。


 たったいま来た道を、また戻らなければならない。

 しかも、今すぐに。でないと日が沈む。


 「最悪すぎる。……ポーカーで負けた人が行くことにしない?」

 「あぁいえ、それじゃなくて。というか、それはフィリップ様が荷物を纏めているうちに伝えましたよ」


 しれっと自分有利──いや運の絡むゲームに有利も不利もないはずだが、自分有利と信じているゲームを提示する辺り、本当に嫌なのが窺える。


 が、しかし、ナイアーラトテップの用意した従者は、時にフィリップの想像を上回る働きを見せる。ちょうど今のように。


 「え? ……超優秀。よくやった。最高。ホントにありがとう! よーしよしよし!」

 「いやあ、えへへへ……。って、そうじゃなくて、アレの方ですよ!」


 直前の落ち込みようもあって、フィリップのテンションがブチ上がる。

 沈んでいたベッドから上体を起こし、呼び寄せたカノンの頭をわしゃわしゃと撫でるほどの喜びようだ。


 もっと誇るかと思いきや、カノンはすぐに本題に戻る。

 照れ隠しなのは分かるが、もっと堪能すればいいのに、とアンテノーラは思った。滅多にない機会なのだし。


 「……サイサロスの断片のこと? 隔離が上手く行ってるうちは、それでよくない? さっきも言った気がするけど」


 というか、「アレ」をどうにかしたければ外神を使うしかない。

 そこまでの脅威や必要性は感じない現状、外神の介入に積極的にはなれなかった。


 しかしフィリップとカノンの脅威判定はどちらが正確かといえば、カノンだ。

 まあどっちもどっちというか、どちらも信用してはいけないのだが、どちらかといえば。


 その彼女がわざわざ問うのなら、外神の視座からでは見えない脅威があるのかもしれない。


 ──なんて思考は、些か真面目過ぎた。


 「でもアレ、上手く加工すれば滅茶苦茶強い武器になりませんか? ワンパン即死クリスタルブレードみたいな!」


 カノンは楽しそうに、ガスマスクの下は満面の笑みなのだろうと分かる声で言った。


 「あー……ん……? ま、まあ確かに……?」


 似たような外観の魔剣に覚えがあるが、何ならアレより強いかもしれない。

 どんな防御でも「斬る」魔剣に対して、サイサロスブレードは何であれ「殺す」魔剣だ。


 斬って殺す、急所を切断した結果として生命活動を停止させ結果的に殺す、斬撃とは似て非なる攻撃になる。


 滅茶苦茶強い。強いが、問題点が二つ。


 「でも伸びないしなあ。戦形に……え、伸びないよね? 伸びる可能性もある?」

 

 フィリップの戦形は鞭の距離、約四メートル前後を最適攻撃距離として定めている。

 その距離の戦術や立ち回りを学び、肉体からメンタルセットまでそれを前提に鍛えている。武器を変えて、それに合わせて戦形から鍛え方まで変えるのは非効率だ。


 「“灰色の手”ですよ? 伸びるに決まってるじゃないですか! 知りませんけど!」


 適当なことを言うカノンに、フィリップもそれに見合った適当な笑みを返した。


 「じゃあちょっと惜しいなあ。そもそも、持ったらその瞬間に僕が死ぬわけだけれど」


 触れたら即死の最強武器でも、「ただし使用者も含む」ではお話にならない。

 木や鉄で柄を後付けするという方法もあるが、どちらにしろ、周りに灰色の霧と死を撒き散らすのは変わらない。遅かれ早かれフィリップも死ぬだろう。


 「惜しいですねえ」

 「……いや、邪神を使って敵を殺すなら、それはもうハスター辺りを呼べばよくない?」


 惜しいか惜しくないかで言えば、まあ確かにちょっと惜しい気もするけれど。


 安穏としているのか恐ろしいのかもよく分からない会話を繰り広げる二人に、アンテノーラは呆れたように笑っている。

 そしてふと、紺碧の双眸が、つい、と扉の方へ向けられた。


 直後、客室の扉が丁重に叩かれる。

 続く声は、先ほど受付をしてくれた駅宿の従業員のものだ。


 「カーター様。お客様がお見えです」


 三人は顔を見合わせ、それぞれ動く。

 と言っても応対したのはカノンで、フィリップはフットバスから足を上げてタオルで拭き、アンテノーラは魔術で出したお湯を消し去っただけだが。


 このタイミングでの来客といえば、思い当たる節は一つしかない。

 

 「……さっきのエルフです」

 「リック翁ね」


 振り返り、意外そうな顔で扉の外を指差すカノン。

 対して、フィリップは「まあそうだろうな」という顔で靴下と靴を履き直した。


 完了報告はカノンがしたというし、フィリップに直接言うことがある──礼か文句かはともかく──か、でなければリック翁も一緒に王都に戻って、一緒に王宮に報告するとかだろう。

 

 いや、「リック翁が依頼したんだから、リック翁が報告するでしょ」という一般市民的な考え方が正しいのかどうかはともかく。

 まずはエルフの首都に報告した上で、改めて正式な書面と返礼品を持って王都に行く……という可能性もある。というか、そちらの方が儀礼上は正しそうだ。


 そんなことを考えていたフィリップだったが、カノンは首を横に振った。


 「いえ、件の記憶障害の女エルフです」

 「ジェーンさん? なんで?」


 リック翁が来る分には理解できる。

 アベルが「上手く行ったぞ!」と喜びのあまり追いかけて来たとか、逆に「駄目だったどうしよう!」と泣きついてくる分にも、まだ。


 だがジェーンと三人との間には、アベル以上に関係性が無い。

 よくて「情報源その2」とか「その1の妻」くらいのものだ。あとは精々、帰り際に会ったから二言三言交わした程度。


 こんなところまで追ってきたとなると──アベルがあからさまに発狂したとかだろうか。

 その原因をフィリップたちと疑っている……というよりは、「謎の集団」が原因だと分かっていても、誘導と暗示で近づけなくて、再びフィリップたちの協力を求めに来た可能性の方が高そうだ。


 「通していいよ。カノン、通訳。自我を出さずにね」

 「はぁーい……」


 不満そうなカノンは無視する。

 いや、不満そうなのは声だけで、顔はニヤついていた。

 

 しかし漸くの出番らしい出番に従者が抱いた喜びは、ほんの一瞬で萎む。


 「いえ、必要ありません。人語を話せますので」


 女エルフは冷たい声で、そして流暢な大陸共通語で言った。


 「ふむ……?」


 ほんの一時間前に別れを告げたばかりの相手だが、その時よりも随分と雰囲気が変わっている。


 人外の美貌に浮かぶのは、先刻の柔らかな微笑ではなく、相手を見定めるような冷たい表情。

 細やかな所作の端々に気品が感じられるのは先刻と同じだが、更に洗練されている。体が覚えていただけのものに、記憶が正しく合わさったのだろう。


 表情が変わると、顔立ちの印象も変わる。

 さっきはどことなくエレナに似ていると感じたが、今はどちらかといえばミナに似ていると感じた。


 まあ三人とも人間以上の美の持ち主であり、人間の脳では完全な処理が出来ないので、あくまでなんとなくの“印象”でしかないのだが。


 「記憶が戻った……にしても、珍しいですね?」


 人語話者。それもネイティブ級の。

 エルフ内なら「絶世の美女」とかより、よほど珍しい存在だろう。

 

 アベル同様リック翁に学んでいた、という風ではない。

 夫よりも流暢だし、アクセントも自然だ。記憶障害を患った状態で、健常な人間……ではなく、健常なエルフより修得が早いなんてことはないだろう。


 ヴェルム・オブスキュラの話では、彼女は吸血鬼に捕まっていたそうだ。

 その時に聞き覚えたか、それ以前に、人間を餌とする吸血鬼に接触するような場所──つまり人間の集落などで暮らしていたか。


「……?」


 ……引っかかった。自分の思考が、自分の思考に引っかかりを感じた。

 今の思考は何かがおかしい。


 そう……ヴェルム・オブスキュラの話に出たときは聞き流してしまったが──はずだ。


 吸血鬼は王龍の呪い、『同族の血を啜って生きさらばえる、悍ましいモノに成り果てろ』という呪詛によって生まれた存在。

 その飢えは、によってのみ癒される。


 吸血鬼はを吸って生き、時に眷属化という形で同族を増やす。

 全ての吸血鬼は元々人間であり、吸血対象になるのは例外なく人間であるはず。


 例外があるとすれば、ハーフエルフであるミナがエルフの血を吸って眷属化した、元はエルフの吸血鬼。

 だが100年前のミナは、両親の失踪によって吸血鬼の棟梁に押し上げられてしまい、メイドたちの厳しい教育や訓練の真っ最中だったはず。訓練外では、あの古城に籠りきりだったはずだ。


 エルフの血を吸う機会があったようには思えないし、当時のミナは眷属を増やすことより、自分のストックを増やす方に注力していた。吸いきって殺すケースの方が多かっただろう。


 それに、エルフは大まかに「100年前」と言っているが、詳しい数字は不明。100年前ジャストかもしれないし、90年ぐらいかもしれないし、逆に140年ぐらい前かもしれない。

 ミナが生まれていたかどうか、ちょっと怪しいところがある。


 何にせよ、ヴェルム・オブスキュラの見立て──「吸血鬼に捕まっていた非常食のエルフ」という見立ては、あまり信用しない方が良さそうだ。

 

 「実は──」

 「──南部に行きたい、でしょう?」


 言葉を選ぶような一瞬の沈黙。

 その後に口を開いたジェーンの言葉は、揶揄うようなアンテノーラの声に遮られた。


 「アンテノーラ?」


 珍しい。

 彼女が所有者と誰かの会話を妨げるなんて、中々無いことだ。音楽絡みのことは別として。


 「魔王の気配がとても濃い。群れ単位で“鍵”を預かっていた私よりも、もっと。直接の眷属、“鍵”の守護者であることは間違いありません。そして、エルフの守護者と言えばただ一人」


 愉快そうに、揶揄を込めて、マーメイドは語る。


 魔王真体に至るための“鍵”の守護者は四体。

 闇属性聖痕者、ダークエルフ、マーメイド、そして吸血鬼。ミナもアンテノーラもそう言っていたし、エルフはいない。こじつけるなら、やっぱりダークエルフ……ではない。


 「エルフの首都襲撃を手引きし、自らの家族すら殺した殺戮の姫君──エルフの王女、カイナ。……お会いするのは初めてですわね」


 エルフの王女と言われて、思い当たるのは

 一人はもちろん、現王の娘であり次期女王──まあ800年ぐらい先の話らしいけれども──である放蕩王女エレナ殿下。


 だがもう一人は、死んだはずの存在だ。

 何年も前に。──いや、ちょうど100年ほど前に。


 「……えぇ、そうね。貴女は新参のようだけれど、その気配、鍵の守護者でしょう」

 「ふふ……」 


 揶揄するような言葉に、エルフはにこりともせず返した。

 しかし冷たい声に構わず、アンテノーラは愉快そうに笑っている。


 「え……?」

 「……」


 フィリップが驚愕と困惑のあまり声を漏らすと、カイナは静かに向き直った。

 直後、二人を結ぶ直線上にカノンが立つ。


 カイナは戦意など微塵も感じない静かな、そして優雅な立ち姿だ。

 しかし、フィリップが騒ぎ立てるなら殺すつもりだと、カノンには分かっていた。まあ殺しにかかったところで、殺せるかどうかは別だが。


 カノンの敵意に反応して、カイナは不快そうに目を細める。

 しかし空気がより険悪なものになる前に、フィリップが声を上げた。


 「ミナのお母さん!? 生きてたの!?」


 一触即発とまでは言わずとも間違いなく敵同士が対峙している──そんな空気を吹き飛ばす、敵意も悪意も、緊張感など欠片もない暢気な声。


 カイナがぴくりと眉を上げ、握りかけていた拳から力を抜いたのは、声のトーンが安穏としていたからではない。


 「……ミナを知っているの?」


 思わぬ名前──100年前に生き別れた娘の名が、それも愛称が出ては、止まらざるを得なかった。



──────────────────────────────────────



 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ28 『アメレースの漣』 グッドエンド


 技能成長:使用技能に妥当な量の成長を与える


 特記事項:なし

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る