第54話 仲介案

「ただいま」

私は少し鼻声で、リビングにいる母に帰りを伝えた。

「おかえり……って、どうしたのその顔!」

キッチンから私の方をちらりと見た母は、驚いた表情で火を止めて私の所に駆け寄ってきた。

「ちょっと、その。うれし涙」

誤魔化すように笑って言うと、母はまだ少し不安そうに顔を歪ませて

「ならいいけど」

短くそう返した。

「私、着替えて顔洗ってくるね」

「うん」

私は心配そうな母の顔から視線を外して、二階へと上がった。

 ――栞のことが大好き

加藤君が確かに言ってくれたその言葉が、心にじんわりと沁み渡ってくる。だけど、それと同時に

 ――罰ゲームで付き合ってる

野田さんの言葉も、心にグサッと突き刺さる。

「どっちが本当なの……?」

シャツのボタンを外す手を止めて、一人ボソッと呟く。

 私に真っすぐ向けられた加藤君の目。そこからは嘘とか、偽りみたいな気配は全然感じられなかった。

 かといって野田さんの目も、悪意に満ち満ちてはいたけど、嘘を吐いているような感じじゃなかった……。

 二人の顔を思い出しながら、頭の中で結論を探す。だけど、結論は深い霧の中にあって、手を伸ばしても、私の手はただ空を切って何も掴めない。

「はぁ……」

ひとつ息を吐いて、とりあえず制服から部屋着に着替えを済ませる。そして、部屋を出る前に一度、ベッドの上に横になって真っ白な天井をぼんやり眺める。

 頭が少しすっきりしてきて、ゆっくりと眼を瞑る。すると、一つの結論が私の手の中に飛び込んで来た。


 ――どっちが本当でウソでもいい。"イマ"のこの幸せな時間を楽しもう。


この結論が、いま最もいい答えだと素直に思った。

 後で裏切られても、まぁ仕方ない。

 裏切られなかったら、今のまま素直に楽しめばいい。

素晴らしい結論。

「よし、決めた!」

心がすっきりして、私はベッドから起き上がって明るく自室を後にした。

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