イズミが壊れた日
わら けんたろう
第1話
実家へ帰ってきた。
久しぶりに家族みんなでテーブルを囲む。
久しぶりに会うお父さん、お母さん、この前二十歳になったばかりの妹、鈴菜。
そして、アンドロイドのイズミ。
イズミがテーブルに料理を並べていく。
ごはん、お味噌汁、そしてテーブルの中央に土佐皿鉢料理!
「わあぁ、綺麗!」
あたしは思わず声を上げた。
カツオのタタキをメインに鯛やイセエビ、アワビのお刺身、鴨のローストなどが、豪快かつ繊細に盛りつけられていた。
箸をつけるのが、もったいない。
あたしが帰ってくるというので、贅沢な夕食となったという。
お母さんが「どうぞ」と、飴色をしたビール瓶の口をお父さんのグラスに近づけた。
イズミはテーブルから一歩下がったところに控えている。
そんなふたりの姿を微笑ましく眺めながら、あたしは話をきりだした。
「今日はね、みんなに報告したいことがあるの」
「どうした?
グラスを持ったままお父さんは、わたしの方を見た。
「あたし、長らくお付き合いしていた
ほんの少しの間、部屋は静寂に包まれた。
お父さんもお母さんも、あたしの方を見て二、三回瞬きをすると顔を見合わせた。鈴菜の顔が、みるみる笑顔に変わっていく。
だばーっと、お父さんのグラスからビールが溢れ出す。
「お、おわわっ!」
お父さんは、グラスからあふれ出したビールを見て目を見開いた。
「あ、ああ、ごめんなさい」
お母さんは、慌ててビール瓶の口を上げた。
「失礼いたします」
イズミが持っていたナプキンで零れたビールを拭いている。その横でお父さんは、あたしの方へ顔を向けながら、はくはくと口を動かしていた。
「お姉ちゃん、おめでとう!」
鈴菜があたしの方を見て祝福してくれた。
「ありがとう」
「けけけ、結婚だと!?」
お父さんは、ようやく声が出るようになったらしい。
「凛菜も二十五歳になったしね。そろそろ来るかなとは思っていたけれど、ついに来たわね。おめでとう、凛菜」
「ありがとう、お母さん」
お父さんは、すーはーすーはーと呼吸を整えてから背筋を伸ばした。父親らしい返事をするために準備が必要だったらしい。
それから作り笑いのような、ぎこちない笑みを浮かべて口を開いた。
「そうか。椋木君とついに結婚か。凛菜、おめでとう」
一、二年ほど前、冬弥を両親に紹介した。
お父さんは、いまと同じようなすこし複雑な表情だったけれど、オトナの対応を見せてくれた。
心の中は、ありがちな父親メンタルだったらしい。あとで、こっそりお母さんが教えてくれた。
「凛菜、おめでとうございます」
最後にイズミが右手を左胸に軽くあてながら、あたしの結婚を祝福してくれた。
「ありがとう、イズミ」
あたしは、イズミの方に顔を向けて笑みを浮かべた。
つぎの日。
イズミは動かなくなってしまった。なにが原因なのか素人のあたしには分からない。
「中古だったからな。よく頑張った方だ」
そう言ってイズミの部屋を出ると、お父さんはリース業者に連絡した。
しばらくすると業者が来て、イズミの状態を確認していた。けれども業者の男性の表情は曇っている。
「どうですか? 修理に出せば何とかなる?」
父が尋ねると、業者の男性は首を傾げながら答えた。
「うーん、原因はよく分かりませんが、なんせ型が古いモノですからね。新しいアンドロイドをお使いになった方がいいですね。あちこち損傷していたりするので、修理しても動かないかもしれません」
取り急ぎ、お父さんは新しいアンドロイドのリースを契約することにした。
イズミはガチムチの男性に担がれて、軽トラックの荷台に積み込まれた。
あたしは鈴菜の肩を抱きながら、乱暴に積み込まれるイズミの姿を見ていた。胸の奥がきゅうっと締め付けられる思いがした。
アンドロイドリース業者がイズミを回収した後、あたしはイズミの部屋へ入った。彼女の部屋には、机、椅子、着替えが数着ほど入ったクローゼットが置かれているくらい。そのほかに目立った物はなにも無い殺風景な部屋だった。
机の上に目を移すと、B5版くらいの大きさの大学ノートを見つけた。表紙に綺麗な字で『日記帳』と書かれている。
「日記?」
イズミはアンドロイド。その彼女が日記をつける姿は、ちょっと想像できない。
あたしは首を傾げて、机の上の日記帳を開いてみる。
イズミがこの家にやって来た日から昨日までのことが記されているようだ。
『2×××年3月30日。美朝家に。マスター以下、家族を登録。わたしの名は『イズミ』となる。主な仕事は、家事全般』
『3月31日。7時に朝食、掃除、洗濯、買い物、……AM2:00凛菜就寝で本日は終了』
『4月1日。凛菜中学校入学式。7時に朝食、掃除、洗濯、買い物、……美朝家外食で夕食は不要。マスターAM1:00就寝で本日終了』
日記という割には事務的で簡潔すぎる記述。
あたしは瞬きした。
「なにこれ? 業務日誌?」
イズミがウチにやって来たときのことは、いまでもはっきり覚えている。あたしが中学一年生のときだ。
彼女は、棺桶みたいな長い箱に入れられて我が家に運び込まれた。
箱のなかで眠っていたのは、女性型家庭用アンドロイド。
金髪ロングツインテールの美少女だった。
白い長袖ブラウスを着て首元に紺のリボン。コルセットのついた紺色のボックスプリーツスカートに黒のストッキング、こげ茶色のロングブーツを履いていた。
身長は155㎝と説明書にあった。体重は「乙女につきヒミツ」とも。
なかなかシャレの利いた説明書だった。
型式はかなり古いらしい。見た目は当時のあたしより少し年上だったけれど、製造されたのは三十年くらい前なのだそうだ。すでに、いくつかの家庭で使用されたアンドロイドだという。
イズミと名付けられた彼女の仕事は、主に家事。
イズミが来てからお母さんは家事の負担から解放され、空いた時間を趣味や仕事に回すことができるようになった。
最近の家庭用電気機器には「アンドロイド連携機能」が標準装備されている。
イズミと家庭用電気機器を連携させれば、イズミの指示で掃除機や洗濯機、電子レンジや炊飯器を動かすことができた。
部屋の照明を点けたり、テレビだって動かしたりすることもできる。お風呂だって沸かすことができた。
視線や指の動きでそうした機器を動かすイズミの姿は、おとぎ話やラノベの世界に出てくる魔法使いのようだった。
料理も上手で失敗もない。こちらから指示すれば、好みの味に仕上げてくれる。
イズミは完璧に家事をこなしてくれる優秀なアンドロイドだったけれど、ひとつだけ奇妙な欠点があった。
なかなかのドジっ子で、よく躓いたり壁やモノにぶつかったりしていた。
そういう仕様なのかどうかは分からないけれど、ドジっ子アンドロイドというのは珍しい。
思えば、ウチに来たときからイズミには異常があったのかもしれない。そんな身体を動かして、彼女は十年以上もあたしたち家族を支えてくれた。
それにしても「日記」の方は、なんの変哲もない記述が続く。
「ええと、こんなカンジでずーっと続くのかしら?」
あたしは、パラパラとページを捲り読み飛ばしていく。業務日誌のような記述が延々綴られている。
よく考えると、不思議な話だ。アンドロイドは日記などつけなくても、一日の出来事をすべて記憶しているハズだ。こんなモノなら、日記なんてつける必要はないと思う。
十数年分の日記のわりに、量が少ない理由も明白だ。だって、ほとんどの記述が一行程度なのだから。大体、一カ月で一頁埋まるペースだった。一年で、たったの十二頁!
いったい、彼女はなんだって日記なんかつけ始めたのだろう?
「あれ?」
『2×××年3月30日。美朝家へ来て1年経過。……鈴菜の『中学受験』をめぐってマスターと裕子が対立。わたしに出来ることは?』
はじめて、と言ってもいいと思う。疑問文が出てきた。
そういえば、鈴菜の中学受験をめぐって、お父さんとお母さんはよくケンカしていた。お父さんがあまり中学受験に関心がなかったのと、鈴菜の成績が伸び悩んでいたことが原因だ。
ケンカと言っても痴話喧嘩。放っておけば、そのうちイチャラブ夫婦に戻るんだけどね。
『鈴菜。志望校合格! おめでとうございます。毎日、塾に通ってたくさん勉強したからですね』
『マスターそして裕子、結婚記念日。これからも仲良く』
『今日は、わたしも一緒に家族みんなでお買い物。裕子はマスターから素敵なワンピースを買ってもらっていました』
『凛菜、就職おめでとう! ついにあなたも社会へ羽ばたくのですね。でも、この家を出て一人暮らしをするそうです。寂しくなりますね』
「……だんだんと人間くさい感情表現をするようになったのね」
ほとんど業務日誌のような毎日の記述のなかに、こんなカンジの記述が出てくるようになった。
嬉しそうだったり、哀しそうだったり、楽しそうだったり。
怒っていると思われる記述がないのは、制御されているからだろう。流石はアンドロイド。アンガーマネジメントは不要らしい。
イズミの日記を読んでいるうちに、あたしもこれまでのことを振り返ることができた。
いろいろなことがあった。この家であたしはお父さんとお母さんに育ててもらい、中学、高校、大学まで行かせてもらって、無事、就職できた。
そして今度は、新しい家庭を築こうとしている。
イズミの日記も、とうとう最後のページになった。
『――夕食時、凛菜が結婚するとご家族に報告。お相手は、かねてよりお付き合いされていた男性だそうです。素敵です。たとえ目の前にそびえる山があったとしても、おふたりで手を携えて行けば、ひとりでは越えられない山だって越えることができるでしょう。山を越え、川を越えた虹の向こうのその先で、どうかおふたりが幸せを知ることができますように。凛菜、おめでとうございます』
「イズミ……」
イズミが壊れる直前に書いた最後の日記。
ぱたぽたと、紙の上に雫の落ちる音がした。拭っても拭っても、あたしの目から涙が溢れ出す。
イズミ、いつもありがとう。
長い間、あたしたち家族を支えてくれてありがとう。
――半年後。
あたしたちは結婚の日を迎えた。
涙目のお父さんと腕を組んでバージンロードを歩いたあたしは、冬弥と並んで大変恰幅の良い神父の前に立っている。
神父があたしに問いかける。
「新婦凛菜、あなたは冬弥を夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り愛をもって互いに支え合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
イズミが壊れた日 わら けんたろう @waraken
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