第10話 初めてのおつかい

  オレが一階へ降りていくと、開店前の準備をしていたマスターはナオミが言ったとおり、


「何か仕事をしないか?」


と言ってきた。


「仕事ですか?」


いぶかるオレに、横からナオミが、


「冒険者ギルドの仕事よ。簡単なのもあれば難しいのもあるわよ……どれどれ……マスター、この人、ここへきてから間もないの。初心者向けの仕事から紹介してあげて。まあ、剣術強いから少々のことは大丈夫だろうけど」


と口を出す。


 なるほど、ここは冒険者ギルド直営酒場だった。そこで酒場に出入りする客の中から仕事のできそうなやつを選んで、スカウトしているのかも知れない。


 で、マスターとナオミがオレのために試しに選んでくれた仕事は「郵便配達」だった。


「この町から西のクリンゲル峠を越えて八リーグ(この世界の単位。一リーグは成人男子が徒歩で一時間歩く距離とのこと)ほど行ったところにあるボーデン村の商会に手紙を何通か届けること」


だという。


 この世界には郵便局といったものは無く、この手の仕事は自分でするか、個人業者あるいは冒険者ギルドにでも委託するよりほかにないらしい。


 オレは今、手元に金が無い。何もしないわけにはいかない。


 マスターも昨晩のオレの剣の腕前を見て、仕事を依頼出来ると判断したのだろう。


「わかりました。やります」


「そうこなくっちゃ!」


と、ナオミは嬉しそうに笑って言った。


「一度試しに簡単な仕事をやってみてから、正式に冒険者登録をしてもらえば良いから」


と、マスターも物わかりの良いことを言ってくれた。


「ありがとうございます。じゃあ、早速、出発します」


「ああ、タカハシ君、大事なことを忘れているぞ」


と、マスターはオレに言った。


「何ですか?」


「報酬だよ、報酬……日帰りは無理な距離だから、向こうでの一泊分を入れて三デナリオ──銀貨三枚でどうだ。見たところ手持ち金が無さそうだから先払いにしてあげるよ」


「あっ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


「これでも人を見る眼はあるつもりだからね。まさかお金だけもらって仕事をうっちゃって逃げないだろうと思ってさ」


と、マスターは笑って言った。


「マスター、大丈夫ですっ。私、この人の監視役やりますから。万が一、職務放棄して逃亡しようものなら地の果てまでも追いかけてとどめを刺しますから。一緒に行っていいでしょ?」


 とどめを刺すだって? まったく、なんて言い方だ。


「いいも悪いも、お前が決めることさ」


 マスターは苦笑いをしながら言った。


「じゃあ、準備ができたら早速しゅっぱ~つ!」


 ナオミが右手の握り拳を空に突き上げて叫んだ。


 外は快晴。季節はわからないけど、暑すぎも寒すぎもしない良いシーズンだ。


   ◇


 こうしてオレとナオミは朝、日が昇ってしばらくしてからこの町を出た。


 昼間のうちに峠を越えて夕方には目的地の村に着くはずだ。


 距離は短いとはいえ、オレたちには自動車どころか馬も無い。徒歩である。


 しかしオレは、元の世界の高校では陸上競技部で長距離の選手だったので、「この仕事は出来る」という多少の自信というか、見込みを持っていた。


 手紙は大事にふところに入れ、さっさと西へ向かって歩く。基本、街道を道なりに進むだけなので迷うことは無い。


 ナオミは結構律儀に、


「ここはグレンツユーバーガング村。あと一リーグ行くとパーント村だよ」


などと道案内をしてくれる。


「ナオミってこの世界へ来てからまだ半年くらいなんだろ? その割にはこのあたりの地理をよく知ってるね」


「でしょ。店の仕事の手伝いで、食糧や薬草を採りに郊外まで何度か出かけたことがあるからよ」


 ナオミは鼻の頭に汗をかきつつ、笑顔で答える。


 ついでにオレはナオミからこの世界の貨幣価値について簡単に教えてもらった。ナオミの説明にオレが頭の中で計算したことを加えて簡単に説明するとこうなる。


 労働者一日分の賃金が一デナリオ。元の世界の貨幣に換算すると、最低賃金が時給千円、八時間労働として一デナリオ=前世の日本円で八千円=銀貨一枚。


 一デナリオ=六四コドラント。つまり一コドラント=一二五円=銅貨一枚(これが貨幣の最低額)。


 そして、一〇〇デナリオ=一ミナ=八〇万円=金貨一枚。


 この仕事の報酬は三デナリオだから、ナオミに言わせれば、


「まあ、妥当なんじゃないの?」


ということになる。


 しばらくして、オレは気がついた。


 前にも後ろにも人影が無い。


「ナオミ、街道というからにはもっと旅人がいてもいいと思うんだけど……?」


「目的地はもともと寂れた村だし、最近は峠に山賊が出るというので、なおさら人が通りたがらないんだってさ」


「さんぞくぅ? それを早く言ってよ……」


「大丈夫よ、リン。あなたの剣術の腕前ならそこら辺の山賊なんて簡単に叩き斬れるわよ」


「山賊とはいえ、人をあまり叩き斬りたくはないよ」


「リンて優しいのね。そういうとこ好きだよ」


と言いながら、ナオミは腕を組んできた。


 積極的というか、何というか……。


 ふと、前世の山本真里のことを思った。


 別につきあってたわけじゃないけど……今頃、どうしているかなぁ?


「あ~っ、リン、今、違う女の子のこと考えてたでしょ?!」


と横でいきなりナオミが大声を上げた。


「なんだよ、悪い?」


 オレはわざと開き直って言ってみた。


 すると、ナオミは今までの反応とは違って、声のトーンを落として寂しげに、


「やっぱり、元の世界の方が良いんだね……」


と言った。


 あ、何だか悪いこと言っちゃったかなぁ。


 その後、ナオミの口数は目に見えて減った。


 上り坂が辛いだけではないだろう。


 ちょうど太陽が一番高くなる頃、峠の道ばたでオレたちはナオミが用意してくれた昼食を食べた。午後は下り坂となる。


  ◇   ◇   ◇


 第一〇話まで読んでいただきありがとうございました。


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