第18話 恩返し

日本各地には数々の狐の妖怪にまつわる伝承が残されている…。


阿久羅王の身体から分離した七十五体の狐や、美しい人間の女性に化けて多くの権力者達を誑かした九尾の狐等がそれだ…


そして、ここ倉敷にも狐の伝説が幾つか残されている…


その一つがこのお話…


後に日本三大稲荷に数えられる、心優しい狐の伝説…





目を開けていられない程の激しい白光が収まった…


皆の視力が徐々に回復していく…


そして…


桃太郎達がやっと直視する事ができた、その場所に姿を現したのは…


白く美しい毛並みの妖狐だった…。


両目の上に殿上眉のような斑点が二つ。


その特徴的な見た目を!桃太郎が間違えるはずがなかった。


この狐は…


桃太郎が昼間、食事を恵んだ白狐だ…。


彼女は妖の術を用いて人に化け、桃太郎に会いに来たのだ。


それにしても恐ろしきは人に化ける術の精度。


同じ妖怪である夜叉丸の目さえ欺いた。


ここまでの変化の術を使える者は そうはいない。


見事に騙された桃太郎達…。


その場にいた全員が、自分達が化かされた事が信じられずに動揺していた。


静まり返る店内…。


桃太郎達がどうしたら良いのか分からないでいた時、それまで桃太郎の後ろに隠れていた少年が元の姿へと戻った母狐に駆け寄った。


心配そうに母狐の全身を見回す少年。


その瞳には涙が滲み、その全身は微かに震えていた。


少年

「…お母さん…!」


それまで一言も喋らなかった少年が初めて発した言葉。


その弱々しい声が、何故か桃太郎の胸の奥を少しだけ傷付けた。


…何か声を掛けなくては…


そんな気持ちになってしまった桃太郎が、一歩…二歩と狐の親子に歩み寄る。


桃太郎

「…あのさ…」


まだ言いたい事はまとまっていない。


しかし、それでも何かを伝えようとした…


…その時…


物音に気付いて駆け付けた店主が、そこに姿を現した。


そこで彼が目にしたのは、桜と白狐の戦闘で散らかった、自分の店とは思えない様子の店内。


その様子に驚いた店主は、まず何から言えばいいのかも分からず、数秒の間は呆然とその様子を確認していた。


店主

「…いったい…何があったのですか?

…その狐は…?」


狼狽える店主。


明らかに困惑しているその様子を見て、桃太郎は店主と狐の親子の間に割って入った。


桃太郎

「すいません!

違うんです!

これはオイラが…」


何とか店主の怒りを鎮めようとして、自分の中にある言葉を探す桃太郎。


あたふたとしながら、それでも狐の親子のせいではないと、何とか言い逃れしたくて、身振り素振りを入れながら店主の機嫌を取ろうとしていた。


…すると…


突然、店の外へと走り出した狐の親子。


呼び止めようとする桃太郎の言葉も聞かずに…


その姿は、夜の闇の中へと溶けていった…


唐突に守るべき相手がいなくなって、唖然としてしまう桃太郎。


そんな桃太郎の様子を見て、何かを隠している事に気が付く店主。


彼は怒ってなどいなかった。


ただ、何が起きてどうしようとしたのか…


それが知りたいだけだったのだ…。


店主

「…何があったのか…

…説明してもらえますかな…?」


その優しい声に…


理解を示そうとしてくれているその様子に…


警戒しながらも真実を語り始めた桃太郎…。


店主は覚悟を決めた桃太郎の態度に誠実に応え、その言葉に耳を傾けてくれた…。




子狐

『…やっぱり人間は嫌いだ…


…いつもいつも、僕達の事を迷惑そうに追い払う…


…大きな声で怒鳴ったり…


…石を投げたり…


…僕達 親子は、いつでもそんな惨めな扱いに耐えてきた…


…人間が森の木を切って、住む場所を追われた時も…


…僕達は耐えて来たんだ…


…あの時…


…お父さんも…友達も…


…いっぱい死んだ…


…僕達の目の前で…


…だから僕達は復讐を誓ったんだ…


…お前達からも、大切な存在を奪ってやる…


…僕達と同じ痛みを味あわせてやると…


…だけど…


…お前だけは違った…


…ご飯をくれた…


…優しい声…


…無闇に僕達に近付こうともしない…


…あのご飯のお陰で、お母さんも少し元気になった…


…嬉しかった…


…また会いたいと思った…


…何かお礼がしたいと思った…


…そう思ったのに…


…今度は何だ…?


…何だその目は…?


…何でそんな迷惑そうな目で僕達を見るんだ…?


…お前が力を求めたから、だから力のある存在に化けたんだ…


…お前が辛そうだったから、僕達は力になりたいと思ったんだ…


…それなのに…


…今度はお前まで僕達の事を傷付けるのか…?


…今度はお前が僕達の居場所を追い奪うのか…?


…許せない…


…やはり人間は許せない…


…傷付けてやる…


…そして後悔させてやる…


…僕達をこんなふうに扱った、その不敬なる態度を…


…崇めろ人間…


…二度と…


…我々に逆らえないようにしてやる…!!!』


小太郎

「全くだ! だがそれは直接本人に言ってやれ!」


復讐の炎をその心に灯した妖狐の少年。


今 正にその復讐を実行に移そうとしていた矢先…


その心を読んだかの如く、厚かましいとも受け取れる言葉を投げ掛けてくる者がいた。


…小太郎だ…


母と共に木陰に隠れ、その闇の中から外の世界を怨めしそうに覗く子狐の瞳…


気が付けば、その視界の上方にふわふわと姿を現した小太郎に、子狐は驚きを隠せなかった…。


子狐

『…お前は…アイツの懐に隠れていた…』


小太郎

「仮の名だが【小太郎】だ!

覚えなくてもいいぞ!

桃太郎のやつが勝手に付けた名前だしな!」


子狐は低い姿勢で構え、その唸り声で精一杯 小太郎を威嚇していた。


しかし…


攻撃しようとも逃げようともしない小太郎。


何をしようとしているのか思惑の読めないその態度に、子狐の警戒心は更に強まっていた。


子狐

『…何をしに来た!?


…あの人間に言われて来たのか!?


…愚かな…


…妖怪ともあろう者が人間の言いなりだなどと…


…恥を知れ!!!』


知りうる限りの言葉で小太郎を罵倒する子狐。


その口調はとても子供のものとは思えない程に乱暴なものだった。


今にも小太郎に飛び掛かりそうな子狐。


その全身からは、並々ならぬ【気】が放出されていた。


【術】や【身体能力】の動力源となる【気】…


まだ子供の狐が、それをとても攻撃的に放っていたのだ。


しかし…


小太郎は見抜いていた…


子狐が何故そこまで怒りを顕にするのか…


何故、【気】に目覚めたのか…


子狐が何故、夜叉丸さえも騙せる程の変化の術を身に付ける事が出来たのかを…。


母狐

『…お止めなさい…』


急激に攻撃的な気を上昇させる子狐を止めた母狐。


その瞳は何かを悟ったかのように穏やかで…


それでいて、何かを危惧しているかのようだった…。


子狐

『…お母さん…!

…だってコイツらは…!』


母狐

『…いいから止めなさい…

…あなたが今からやろうとしている事は、必ずあなたを後悔させる…

…そして…

…そこの妖怪も、その事に気付いているわ…。』


母狐の言葉に従うように気の放出を止め、目の前にいる小太郎に目を向ける子狐。


小太郎と子狐のいる空間を静寂が支配する。


沈黙が続いて数秒が経った頃…


そこへ、息をきらせて走ってくる人間の男の子が一人…


桃太郎

「狐ー!

おーい! 狐の親子ー!」


…桃太郎だ…


桃太郎は木陰に隠れる彼らにも、彼らと対話している小太郎にも まだ気付いていない。


狐達が隠れる木陰から少し離れた道沿いの草を別けて、あるいは木の上を覗いたりしながら狐の親子を探していた。


その様子を、何となしに見ていた子狐。


子狐 本人は気付いていなかったようだが…


小太郎と母狐は気付いていた…。


その表情の変化…


桃太郎から目が離せない理由…


子狐が…


本当は桃太郎が来るのを待っていた事に…。


小太郎

「…面倒なやつだろう…?」


突然 声を掛けられて小太郎に視線を移した子狐。


驚いたと言うよりは警戒したようなその反応。


しかし、小太郎には何かをする気配はない。


一先ず自分が安全である事を確認すると、子狐の視線は再び桃太郎へと向けられていた。


小太郎

「…自分から関わって来たくせに遠ざける…


…優しくしてくれたのに冷たい…


…一貫性がないように見える人間達の行動は、俺達のような妖怪にはとても分かりづらい…。


彼らにしか分からない利益があるのかもな?


…だが…


あの人間の小僧が、今までお前達親子を苦しめてきたような人間達とは違うと言う事くらいは…


何となくでも分かるだろう?」


小太郎の言っている事が少しでも理解できたのか…


子狐は少しずつ木陰から身を乗り出していた。


桃太郎

「どこに居るんだ!?

姿を見せてくれ!!

お前達にお礼が言いたいんだ!!」


子狐は桃太郎の言葉に反応して、更に前へと歩を進めた。


…その全身が木陰から姿を現す…


…月明かりが子狐の毛並みに反射する…


…真っ白に輝く美しい毛並み…


夜の闇の中では特に目立つその輝きは、「自分はここだ」と叫んでいるようなものだった。


桃太郎の目にも飛び込んできた、子狐が放つ白い光…


その直ぐ近くには小太郎も居る。


小太郎と目が合った桃太郎。


手も足も無い小太郎は微かに笑うと、その表情で桃太郎に合図を送った。


それは「もう大丈夫だ」と言う小太郎からの合図。


静かに子狐の方へと歩み寄る桃太郎。


母狐もそっと姿を見せて、桃太郎の方をジッと見詰めていた。


小太郎

「…行ってやれ…。

アイツはお前達が暴れて逃げた店を掃除して、店の主人を納得させてからお前達を探していたんだ。」


優しく狐の親子の背中を押す小太郎。


彼は狐の親子に、桃太郎へと歩み寄る勇気を与え…


その上でこう続けた…。


小太郎

「だが気を付けろよ?

あの小僧は直ぐに【名前】とやらを付けたがる。

アイツの事を恨んでいるのなら、そんな物は受け取ってやるな。」


…恨んでいるならと言ってはみたものの…


小太郎は既に気付いていた…


子狐も母狐も、もう心の片隅にもそんな感情は持っていない事を…


子狐

『…ねぇ…


…教えて…


…【名前】って…何…?』


子狐の表情を見て…


仕草を見て…


何かに安心を感じた小太郎…。


伝えも大丈夫だ…


そう感じると小太郎は、満足そうな笑みを浮かべながらその問いに答えた…。


小太郎

「…それは人間がそれぞれに持つ、個人を識別するための固有の呼び名だ…。


…人の世では、基本的には親が子に付けるもの…


…未来では幸せであって欲しいと願いを込めて…


…だから気を付けろ…


…一度 名前を付けられてしまえば…


…その名で呼ばれてしまえば…


…もしも名を呼ばれる事に喜びを感じてしまえば…


…お前達は一生、あの小僧の事を忘れられなくなるのだから…。」


小太郎との会話が終わると、待ちわびたかのように走り出した狐の親子。


桃太郎もその反応が嬉しくて、狐の親子に向かって走り出していた。


狐の親子に抱き付き、喜びを分かち合おうとする桃太郎。


狐の親子も桃太郎の顔を舐める事でその気持ちに応えていた。


桃太郎

「ありがとう!

オイラの事を助けようとしてくれて!

力になろうとしてくれるお前達の気持ちがオイラにも分かったよ…。

だから、ありがとう…。

心優しい、白狐の親子…!」


…後日…


桃太郎達が立ち寄った店には、見るも美しい女性とその子供が働くようになったと言う…。


【お白(おしろ)】と【桃之助(もものすけ)】を名乗るその母子は、長く美しい白銀の髪と、殿上眉のような短く丸い眉毛が特徴で…


店の仕事も店主とその奥方の身の回りの世話もしながら、いつまでも幸せそうに暮らしたそうな…


「…それで…?

子狐の名前が【桃之助】って…

桃太郎と一緒が良いって言われたからって、ちょっと安直すぎん?」


桃太郎

「し、仕方ないだろ!

オイラだって悩んだ末の事だったんだから!」


夜叉丸

「…【お白】ってもの捻りが足りないのでは?」


桃太郎

「じゃ、じゃあ一緒に考えてくれれば良かったじゃないか!!!」


その頃…


騒がしい旅を続けていた桃太郎達…。


桃太郎は狐の親子を助ける意志があると店の主人に伝えた時に、それを認めてくれた心優しい店主のために、狐の親子の居場所を作る事と、店主にとっての利益を同時に考え、狐の親子に人間の姿で店を守る事を提案した。


店主夫妻には子供がいなかったからだ。


支え合える関係…


その契約のような関係は、店主から店を守ろうとしてくれた桃太郎への…


そして、狐の親子から住みかを与えてくれた桃太郎への恩返しだった…。


小太郎

『…俺は人間が嫌いだ…


…自分達の事しか考えていないから…


…その上、立場が悪くなると全部妖怪のせいにして笑ってる…


…俺はそんな人間が大嫌いだった…


…復讐しようと思っていた…


…大して力の無い俺でもできるような復讐を…


…だけど…』


桃太郎

「なぁ! 小太郎!

お前はどう思う!?

他に良い名前 思い付くか!?」


小太郎

『…だけど…


…今はあまり気が乗らないんだ…


…何でかな…?


…バカで…グズで…何をやらせても下手くそで…


…だけど何をやらせても一生懸命なコイツを見ていると…


…復讐する事がバカらしく見えてくるんだよ…。』


小太郎

「…そうだな!

俺なら【アンジェリーナ】と【ブラッド】かな。」


桃太郎

「日本人じゃねぇじゃねぇか!!!」


その後…


店の名物であった大福は【稲荷餅】と改名され、厄除け・魔除けに効果があると噂が広がり、お店は大変繁盛したそうな…。


これが…


後に【最上稲荷】と呼ばれる稲荷大社の起源となる…。

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