第6話 意地

桃太郎

「…お前…卑怯だぞ…!」


乾闥婆

「黙れ小僧。

阿修羅の攻撃を受けて尚 生きているお前のようなガキを警戒しない訳がないだろう?

それに我らにはお前に構っている時間などは無いのだ…。

ここは最も効率の良い手段を取らせてもらう…。」


女の子を人質に取られ、戦う事が出来なくなってしまった桃太郎。


まるで魔術のような不気味な技を使う乾闥婆の爪が刃に姿を変えて、今にも女の子の柔らかい首に触れようとしている…


歯軋りを立てる桃太郎…


だが乾闥婆は、悔しそうな桃太郎の様子を見てもニコリとも笑わなかった…


そして…


どこか不満そうな表情を見せる【阿修羅】と呼ばれる女の鬼…


他の鬼達も何の反応も見せないまま、阿修羅の後ろで ただ待機していた…


桃太郎

「その娘を離せよッ!!!

こんな真似して恥ずかしくないのかッ!!?」


桃太郎に出来る精一杯の罵倒。


本来ならば真っ先に要求を受け入れるのが定石なのだろう…


しかし…


きっと女の子はこの後も利用される…


目的が何かは分からないが、彼らの目的が達成せれるまでそれは終わらないだろう…


目的を達成すれば女の子が無傷で解放されるとも限らない…


解放されたとしても、この女の子は一生この日の記憶を呪う事になるだろう…


ならば何としてでも助けねば…


理不尽にも自由を奪われ…


不必要な涙を流す女の子の姿を見ていたら…


桃太郎はその不条理を言葉に直さずにはいられなかった…。


その言葉を聞いて、少しでも彼らの心が揺れればと…


そんな甘い考えもあった…


…だが…


鬼達には…そんな小細工は通用しなかった…


乾闥婆

「我らは貴様に退けと言っているだけだ…。

この娘を傷付けられたくないのならば…

お前が退くべきではないのか?」


乾闥婆に返す言葉が見付からない…


恐怖に涙を流す女の子の嗚咽が今も周囲に木霊する…


目的のためには手段を選ばない鬼…乾闥婆…


そのやり方に気圧された桃太郎は、気が付けばその足をジリジリと後退させていた…。


向かってくる様子のない桃太郎を見て、一歩踏み出す乾闥婆…


その一歩に反応して桃太郎は、今度は一歩退がってしまった…


…その一歩を見て…


それまで桃太郎を無表情で睨んでいた乾闥婆の口角が僅かに上がる…


乾闥婆が笑った…


それを見たこの瞬間…


桃太郎は、自分の取った行動の意味を理解した…


桃太郎

『…やべ…!』


…押し通れる。


乾闥婆はきっとそう感じた事だろう。


戦況が劣勢に傾いて行く感覚が桃太郎を襲う…。


乾闥婆

「…そこを動くなよ? …小僧…!」


自分が失敗すれば女の子が傷付く…


最悪、命を落とす事さえ…


その重責を…


桃太郎は今更 理解していた…


桃太郎

『…オイラは今…

…誰かの命を守る戦いをしているんだ…。』


実戦に出向くには見合わない実力の桃太郎に強いられた実戦。


もしも出会うとしても、遥か未来の出来事だと思い込んでいた本当の殺意。


戦国の時代だと分かってはいても、今までどこか他人事だった事に気付かされる。


…どう戦えば良いのか分からない…


…何度も稽古で経験したはずの最初の一手が出てこない…


…思い出す事さえ…


緊張と混乱でいつもの動きさえ出来なくなってしまった桃太郎の様子を見て…


乾闥婆は、反撃は無いと判断した。


彼が他の鬼達に「行くぞ」と伝えると、鬼達は返事も無いまま歩みを再開する…。


桃太郎

『…オイラが失敗すれば…

あの娘が死ぬ…。』


徐々に桃太郎へと近付き…

そして その直ぐ隣を通り過ぎて行く鬼の集団…


桃太郎

『あの娘が死んだら…

きっと大勢が悲しむんだろうな…』


人質を取られて身動きが取れなくなった桃太郎に、興味を示す者はいなかった…


桃太郎

『…あの娘を守れなかったオイラを見て、きっと誰かが言うんだ…』


…ただ一人…


…阿修羅を除いては…


桃太郎

『…あの娘の代わりに…オイラが死ねば良かったと…』


桃太郎とすれ違う最後の瞬間まで、桃太郎に警戒を怠らなかった阿修羅…


桃太郎

『…きっと皆…凄く悲しむ…』


しかし…


すれ違った直後に、彼女は残念そうにその肩と視線を落とした…


桃太郎

『…それはいったい、どんな気分なのだろうか…?』


桃太郎が相手なら、何かが事が起こるかもしれないと感じていたのだろうか?


桃太郎

『大切な存在と二度と会えないだなんて…

それはいったい…どれ程に人を苦しめる事だろう…』


しかし、その願い叶わなかった阿修羅は、桃太郎への警戒を解いてしまった…


桃太郎

『…きっと…

…自分も後を追って死のうと考えてしまう程に辛い…。』


桃太郎を置き去りにして行く鬼達…


桃太郎

『…そんな事をするヤツを…オイラは…

…許して良いのだろうか…?』


最後に乾闥婆が桃太郎の横を通り過ぎようとしていた時…


桃太郎の耳に届いてしまった言葉…


女の子

「お父さん…助けて…お父さん…!」


この時…


乾闥婆が桃太郎への警戒を怠らなければ、彼らは無事に通り過ぎる事が出来ただろう…


しかし…


桃太郎を嘗めきっていた乾闥婆は、この時の桃太郎の反応と変化に気付けなかった…


桃太郎

『…いいや…

…こんな事…

…許して良いはずがない!!!』


…次の瞬間…


乾闥婆の死角から、女の子に手を伸ばした桃太郎。


女の子の首と、そこに掛かった乾闥婆の爪の間に自分の腕を滑り込ませ…


自分の腕を斬らせながら…


女の子の身体に過剰な負荷を掛けないように…


それでも勢い良く…力強く…瞬間的に…


桃太郎は女の子を奪い返した…。


乾闥婆

「…このガキ…ッ!!!」


桃太郎の反応に驚きを隠せなかったのは、他の鬼達も同じ…。


彼らが見ようともしていなかった人間の子供が招いた乾闥婆の失態…


それを理解した時…


阿修羅の表情に再び闘志が宿った…


桃太郎

「大丈夫か!?

ケガはないか!?」


大量の血を流す自分の腕には見向きもせず、助け出した女の子の身体を気遣う桃太郎…。


対する乾闥婆は女の子を奪い返された事に、驚愕と共に激しい怒りを顕にしていた…


…阿修羅の攻撃に耐えたとは言え、たかが人間の子供…


そんな桃太郎に自分の行動を阻害された…


その事に…


乾闥婆は動揺を隠せなかった…


見下していた存在にしてやられた…


その事実が何よりも、彼の精神を逆撫でしていたのだ…。


乾闥婆が桃太郎にゆっくりと歩み寄る…


危険を感じた桃太郎は、助けた女の子の盾になるように懐に抱き寄せた…。


乾闥婆

「…その娘を返せ…人間の子供よ…。」


先程までの乾闥婆とは違う…


女の子を取り返そうと差しのべられた悪意に満ちた手…


明らかに不機嫌となり、冷静を装う余裕も無い彼の様子は正に鬼…


眉間に寄せられたシワ…


その額に浮き上がった、力強く脈打つ血管…


先程までよりも大きく感じる角…


彼が桃太郎に放っている【それ】は…


間違いなく、桃太郎が引き摺り出した乾闥婆の本気だった…。


このままでは殺される…


それは桃太郎も良く分かっていた…


…それでも…


桃太郎が出した答えは一つだけだった…。


桃太郎

「…嫌だ…」


更に力強く女の子を引き寄せる桃太郎の腕…


懐に隠すように抱き締められた女の子の身体…


左足を女の子の前に出し、やや背中を見せるような堅牢な構え…


そこから攻撃の意思は感じ取れない…


あるのは…


女の子を守ろうとする強い意思だけだった。


桃太郎

「お前達みたいに…

人を…

誰かを傷付けても…何とも思わないヤツらに…

何でこの娘を明け渡さなきゃいけないんだッ!!!」


響き渡る桃太郎の怒号。


その叫びに、今度は乾闥婆が一歩退いた…。


自分の反応に気付き、遅れて怒りが汲み上げてくる乾闥婆…。


彼もまた気付いてしまったのだ…


か弱く、簡単に命を落とす人間達…


その中の、たかが子供に自分が気圧されてしまっていた…。


桃太郎の叫び声が周囲に木霊したあの瞬間…


ここに居る全ての者達の中で最弱のはずの桃太郎が…


確かに この中の誰よりも最強であった事に…。


乾闥婆だけではなく、他の鬼達も全員がそう判断した事だろう…。


その事実に納得出来ない怒り…


現実を受け入れられない乾闥婆の憤怒が、悪く言えば八つ当たりとして桃太郎に襲い掛かろうとしていた…。


乾闥婆

「…小僧…

…覚悟は出来ているのだろうな…!?」


不気味な構えで桃太郎に襲い掛かろうとする乾闥婆…


いつ桃太郎を殺してもおかしくない…


…そんな状態の彼を止めに入ったのは…阿修羅だった…。


何も言わずに乾闥婆と桃太郎の間へと割り込む阿修羅…。


その顔はやや俯き…


乾闥婆からは、彼女の背中しか見えなかった…。


乾闥婆

「…阿修羅…

…何をしている…?

…邪魔をするのなら先ずは貴様から…」


阿修羅

「【私から】何だ?」


突然…


乾闥婆の方へと振り向き、彼を一瞥した阿修羅…。


…ほんの一瞬の出来事…


…しかし…


その眼力は正に修羅…。


見ただけで相手を殺してしまいそうな殺気…


見られただけで心の臓を握り潰されそうな威圧感…


その眼光の直撃を受けて、同じ鬼である乾闥婆が尻込む…。


問答をやめて、更に一歩退く乾闥婆…


彼だけではない…


他の鬼達も、全員が阿修羅を止める事を躊躇った…。


無理に止めようとすれば…


彼らの身もまた危険だから…。


他の鬼達を尻目に阿修羅が歩を進める…


桃太郎の方へと向けて、ゆっくりと…ゆっくりと…


そして とうとう彼女が自分の間合いに桃太郎を捕らえた時…


俯いていた彼女の表情が、桃太郎の目にハッキリと映った…。


…殺気混じりの笑顔…


…それでいてどこか…


探していた物をやっと見つけた子供のような…


そんな表情…


触れただけで切れそうな鋭利な気配が放たれている…


それは奇しくも…


幼馴染みである金時の気配に良く似ていた…


阿修羅

「…私の名前は【阿修羅】だ…

…小僧…

…お前の名を教えろ…。」


これから我が身に何が起こるのかを理解してしまった桃太郎…。


しかし、それでも桃太郎の決意は変わらない…。


今、自分の腕の中に在る命…


それだけは…


何があっても守って見せると誓った…。


桃太郎

「…オイラは…【桃太郎】…。」


阿修羅

「…【桃太郎】…良い名だ…。」


阿修羅の口が三日月のような形に開く…。


そこから覗かせた鋭い牙が、西の空から差し込む夕日を反射する…。


阿修羅の反応を見て少ししてから、桃太郎はやっと気付いた…


阿修羅が自分と戦う事を強く望んでいる事に…


阿修羅

「…強制はしない…

…好きにしてみろ…

…そこの娘を守って死ぬも良し…

…見捨てて私と戦って死ぬも良し…

…ただ一つ…

お前がどう判断しようと、今から起こる事に全力を尽くせ…。」


阿修羅が放つ殺気が…


桃太郎の居る空間を暗い赤で支配していく…


阿修羅

「…私も…

…全力でお前を好きにする…!」


…次の瞬間…


目にも止まらぬ早さで桃太郎に襲い掛かった阿修羅…。


周囲に響き渡った打撃音が、ニ人の戦いが開始された事を告げていた…。



…同し頃…


遠く離れた場所で 桃太郎達が争う音を聞き取る事が出来た夜叉丸…


誰と誰が争っているのかまでは分からない…


…しかし…


空気を伝わって夜叉丸まで届いた覚えのある殺気…


それが阿修羅の物である事を夜叉丸は察した…。


嫌な予感が夜叉丸の背中を押す…


駆ける足に力が入る…


風の中に混じる血の香りが、夜叉丸に「急げ」と言っていた…。

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