5.みじか夜
海で泳ぐために水着に着替えた私たちは、先ほど歩いて来た道を再び港方向へ戻っていた。
2人で歩く倫太郎と夏希の背中を見ていると、自然と"お似合いだなぁ"という言葉が浮かんでくる。太陽みたいな2人だと思った。世界の祝福をその体に受け、この世に生まれ落ちた存在。生まれながらにして、自由を奪う重い使命を受けた私とは違う。
「小夜、辛いなら帰るか?別に無理して遊びに付き合う必要はねーんだぞ」
そして悠とも。
「ううん……いい機会かもしれないって」
「アイツを諦めるための?」
コクンと深く頷いた私より深く、悠は息を吐いた。色々と言いたいことがあるのだろうが、私の意思を尊重するために我慢してくれたのだろう。
海辺に着くや否や、倫太郎たちは服を脱ぎ捨て一目散に海へ走り出した。「やっべー、気持ちいー!」とはしゃいでいる男子3人を白けた目で見ているのは、女子3人だ。
「子供だね」
「ほんと、特に倫太郎ね」
「ほーんと、ハルカくんとは大違い」
夏希は友人の言葉を受けると肩をすくめ、悠を持ち上げた。
「おーい、お前らも来いよ」
こっちこっち、と倫太郎は、一向に海に入る気配のない彼女たちに向かって手招きをした。先ほどまで倫太郎のことを子供だと評していた彼女たちは途端に顔を綻ばせ、倫太郎へ向かって駆け出した。馬鹿みたい。
「あれ?小夜ちゃんとハルカくんは行かないの?」
「あー、俺らはもう少し後で」
「いいよ、悠。私たちも行こう?」
夏希は立ち止まったままの私たちを気遣った。本当に良い子なのだ。だって、倫太郎が好きになった子だもの。
せっかく遊びに来たんならいつまでも不貞腐れていてはいけない。周りの人に気を遣わせてはいけない。私は悠の心配に首を振り、大丈夫だよと笑って応えた。
ちょっと休憩、とみんなで海から上がり砂浜に座ると、倫太郎の友達の一人ーー確か草野くんが、「小夜ちゃんとハルカくんって付き合ってるの?」と素朴な疑問を口にした。それに倫太郎以外のみんなが「気になってたー」と声を揃える。
「付き合ってねーよ。俺ら3人はそんなんじゃねーから」
その疑問に答えたのは私でも悠でもなく、倫太郎だった。不自然な語気の強さに一瞬静寂が訪れたのち、そのどことなく気まずい雰囲気をかき消すように悠が「なんでお前が答えるんだよ」と茶化す言葉を発した。
「ほんとそれ。オレも思った」
「ね、アタシたちは小夜ちゃんとハルカくんに聞いてるのに〜」
友達に揶揄われ、倫太郎はタジタジな様子で「うっせー」と悪態をついた。私はと言えばそんな倫太郎の態度にまだ頭が追いつかないでいた。なんなの、さっきの……まるでヤキモチを妬いているような……いや、ないないない。倫太郎に限ってそれはない。勘違いしちゃいけないと、私は自分の気持ちを取り繕うように笑顔を貼り付けた。
「なんせ2人がお似合いすぎるよね。美男美女で、ドラマとかマンガの世界みたい」
「な、分かる。初めて見た時、オレらと住む世界が違いすぎて焦ったよな」
そんな風に褒められて、私は反応に困った。あはは、と愛想笑いを浮かべれば、こちらを見ていた倫太郎と視線が交わった。
倫太郎は先程よりもむくれた顔で、その表情からは不満がありありと伝わってくる。あぁ、倫太郎ってば仲間外れにされたみたいで寂しいのか。それはヤキモチと似た感情。しかし抱く相手が恋愛対象に限らない。嫉妬、独占欲。私が倫太郎の友達に抱いた感情と同じだ。
「倫太郎、私たちは同じ世界で生きてるよね」
彼を慰めるように微笑めば、また時が止まったような静寂が訪れた。しかしその言葉を聞いた倫太郎はそんな空気など気にもせず嬉しそうに頷き、「そそ。俺たちは3人で1つなの!」と無邪気に笑ってみせた。
▼
基準がおかしいことはとりあえず置いておくけれど、私の父は基準が明確であった。「悠と一緒にいたいから」と言えば、「避妊はしなさい」と外泊の許可が下りた。これが馬鹿正直に「倫太郎の家で」と言えば、問答無用で「帰って来なさい」になっていただろう。
修学旅行の夜みたいに、ぎゅうぎゅうに敷き詰めた布団の上にみんなで寝転んだ。この頃になると倫太郎の友達とも大分打ち解けて、軽口を交わせるまでになっていた。
「小夜ちゃん、オレの隣で寝る?」
なんて笑えない冗談で私を誘った千葉くんに、女子たちから非難の声が上がる。「冗談じゃん……そんな本気で怒んなくても」と肩を落とす千葉くんが可笑しくてクスクスと笑えば、ムッとした倫太郎が話に割って入った。
「一気に心配になったわ……小夜は俺とハルカで挟んで寝させようかな」
「倫太郎、それはそれで問題発言だからね?」
そういって咎めた夏希へ、倫太郎は「どこが?」と真剣に聞き返した。
「俺らは家族みたいなもんだから、やらしいことなんてしないし」
「そうじゃなくて、倫太郎、お前彼女いるだろ?藤原さんが嫌な気分になるだろーが」
夏希の肩を持つ悠の言葉を聞いて、倫太郎と私以外のみんなが「そーだそーだ」と声を揃える。
「あ、夏希が寂しいの?なら、ハルカ、小夜、俺、夏希の順番で寝たらいーじゃん」
そういうことじゃない、と倫太郎以外の全員が心の中で突っ込んだ。当の本人は何が問題なのかが本気で分かっていないのだ。事実倫太郎は、「名案じゃん!」と1人はしゃいでいる。
こうなった倫太郎はもう誰にも止められない。「じゃ、決まりなー」と話を強制終了させて、いそいそと布団に潜り込んでしまった。
「ほら小夜、なにやってんの?早く来いよ」
そんな満面の笑みで手招きされても……と、悠に助けを求めたが、悠はすでに諦めているようで「はぁ」と短い溜息を吐いたのち、倫太郎に倣って布団に寝転んだ。
そうなればみんなも完全に諦めて、夏希は倫太郎の横へ、他の4人も男女別々に固まって布団へと入った。取り残された私はみんなの視線に急かされながら、悠と倫太郎の間に渋々横になった。……なるしかなかった。
最初はどうなることかと思ったが、今日一日遊び回ってみんな疲れていたらしい。特になんの問題もなく静かに眠りに落ちていく。私も大きな欠伸をし、もう寝ちゃいそう、という宙に浮いた心地の中でふと倫太郎の声が鼓膜に届いた。
しかしその声で意識が完全に覚醒するまでは至らない。靄がかかったあちらで薄っすらと話し声がする。倫太郎と……たぶん夏希だ……。
「ねぇ、キスして」
「ここで?みんな寝てるじゃん」
「寝てるならいいじゃん、お願い」
キス?倫太郎?キス?頭の中で単語だけが浮かんで、消えていく。
「んー、じゃあ、軽くな」
え?!キス??!
そうやって完全に脳が覚醒したときにはもう遅かった。軽くって言ったくせに、倫太郎と夏希は水音がするほどの深いキスを交わし始めたのだ。
時折、ちゅっと可愛いリップ音を挟むものの、基本的にはぴちゃぴちゃと湿り気を含んだ音が、塞ぐことのできない私の耳を襲う。
やめて、やだ、聞きたくない。今すぐ体を捩ったり、咳払いをしたりしてその行為を終わらせたいのに、胸の痛みで体が凍ったように動かない。
そんな戸惑いと失恋の痛みで傷ついた心に塩をぐりぐりと塗りつけていく行為は、一向に終わる気配を見せない。それどころかこのままもっと先まで進んでしまうんじゃないか、というような心配さえしてしまうほどだ。
もう充分にわかったから。私と倫太郎が結ばれないこと、この身に覚えたから、だからこれ以上はやめて。私はこの島で子を身籠り、巫女としての勤めを果たしますから、だからどうか許してくださいと、固く目を閉じて神様に祈った。
「倫太郎、すき」
「うん」
「倫太郎は?好きって言って」
「……好き」
酷い。ここまでしなくてもいいじゃない。神様は私にどうしても倫太郎のことを諦めさせたいらしい。好きと言った倫太郎の甘く切ない声音が、鼓膜に残って消えない。私じゃない人への愛の囁き。私は一生、この地獄を鼓膜に貼り付けて生きていかなきゃいけないの?
「……おい、うるせー。さかるなら外でやれよ」
倫太郎たちを咎める悠の声が天の助けに感じた。
「わりぃ、起こした?ごめん」
「やだ、恥ずかしい……ごめんね」
悠の舌打ちを最後に本当の夜が始まった。これでやっと安心して眠れる。悠、ありがとう。
仰向けにしていた体を横に向ける。勿論私に背を向けている倫太郎側ではなく、先程助けてくれた悠に向かってだ。そんな私に気づいたのか、悠も私の方に体を向けた。
嫌なこと、辛い現実から逃げるように悠の胸元に顔を埋めた。悠の片腕が私を抱きしめ、背中を優しくさすってくれる。この時私は決意したのだ。悠の子を宿そうと。そしてこの島の呪縛から逃げようと。
▼
翌日朝食を食べながら、会話は自然と「何して遊ぶ?」という内容になった。高校生グループが楽しく遊べるところなんて、ここには海しかない。しかしその海は昨日堪能してしまったわけで……。「山登る〜?」「山ぁ??やだー」「じゃあ、川行く?」「川ぁ?昨日海行ったじゃん」という感じで、先ほどから全く話が進んでいない。
「あ、私は今日家に帰るね」
「え?!小夜ちゃん帰っちゃうの?寂しい〜」
どこまで本気か分からない話し方で、千葉くんが「もっと一緒にいたかったのに〜」と残念がった。
「なんで?小夜、なんか用事?」
「もうすぐ幸尽祭だからな」
倫太郎の疑問に悠が的確に答えた。
「あぁ、巫女神楽の練習か」
「なにそれ、"みこかぐら"?」
聞き慣れない単語にみんなは興味津々で、先程までの「何して遊ぶ?」という会話は忘れ去ってしまったようだ。
「幸尽祭っていう島の祭りで、小夜が舞うんだよ」
「ん?どういうこと?小夜ちゃんが踊るの?」
「そう、私、巫女だから。その舞で幸せを長引かせるために妖術返しをしてるの」
宗教的な話とは縁がなかった千葉くんたちは、頭にハテナマークをたくさん浮かべたような顔で「ちょっとよく分かんない」と正直な感想を述べた。
上月神社の直系血族の巫女が教祖となり、この島で栄えてきた"幸尽教"の教えは"身に余るほどの幸せは破滅をもたらす"というものだ。理想は幸せではないけれど、不幸や病がない世界。その世界を実現するためには直系血族の巫女が産む、神通力ーーこの場合は予知能力ーーを持った子が必要、という考えなのだ。
そこまでを説明すれば、倫太郎と悠以外のみんなが「なんだそれ?」とでも言いたげに顔を見合わせた。まぁそれが一般的な反応だろう。宗教というセンシティブな話題には触れない、ということが暗黙の了解である日本で話せば、こういった反応が返ってくることは予想できた。
しかし私はこれを望んでいた。私の世界と倫太郎の世界とを断絶することが目的なのだ。その思惑を知ってか知らずか、悠は何も言わずに私の言葉を待っている。倫太郎は対照的に「小夜、」と、嗜めるように私の名前を呼んだ。
「だから私は神通力を持った子を、この身に宿さなければいけない。それが私の使命なの」
「小夜、その話はもういいから」
私を制止する倫太郎に薄っすらと微笑みを向ける。もうその唇で私の名前を形取ってほしくはなかった。決意が揺らぎそうになるのだ。
「そして、子種を受け入れるのは幸尽祭の夜だと決まっている。だから私はその為に、神に捧げる舞をせっせと練習してるのよ」
シン……と張り詰めた空気を壊すように倫太郎が「小夜!」と大きな声を出した。怒っているんだ。大事な友達に変な事を言って、嫌な気持ちにさせてしまった私のこと。
いいよね、倫太郎は。出身が島外だから縛られるものがない。いつかは必ず私の元から去って行く人。倫太郎、どうか幸せになって。
「行こう、悠。それじゃあね、倫太郎」
「あぁ、行こうか、小夜」
悠だけは私を置いてかないでね、と、悠の腕にするりと自分の腕を絡ませた。
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