6.走馬灯

 小夜と悠が去ったことで、みんなの緊張が一気に解れたようだ。


「なんなん、この島。危ない系?」

「倫太郎、お前早くこの島出た方がいーぞ」


 千葉と草野が恐怖に顔を歪ませながら、俺のことを本気で心配している。


「宗教は他人がどうこう言えるもんじゃねーからな」


 と無難に返した俺に、不安そうな夏希が「倫太郎は違うよね?」と腕をそっと絡ませた。


「俺?俺は違うよ、宗教は信じてない。ただ、」

「よかったぁ〜!」

「良かったよ、マジで。なんか小夜ちゃん怖かったもん」


 ただ、小夜とハルカは本当にいい奴だから。俺はアイツらのことが大切なんだ。

 俺がその言葉を口にすることなく話が流れていく。そのことがアイツらに対しての裏切りのようで、心がズシリと重くなった。


「てかさ、『子種を受け入れる』って、祭りの後にヤるってこと?」

「ちょっと、千葉!それみんな分かってて敢えて言ってなかったんだから!」

「いや、だってなぁ?気になるじゃん。そゆことだろ?」

「まーなぁ?ハルカくんと小夜ちゃんの中出しセックスかぁ……」

「……草野?あんたもっと最低だからね?」


 何も言わない俺の代わりだとでも言うように、生々しい想像をした草野を夏希が叱った。しかし俺たちは性に興味津々なお年頃の高校生。ちょっとやそっとのお叱りでは、そういった類の話の火は消えないのだ。


「でも絶対そういうことだよね?」

「えー?宗教の為に好きでもない人としなくちゃなんないの?小夜ちゃん可哀想」

「いやー、でもハルカくんだぜ?あの顔面なら喜んで股開くだろ」

「ちょっと待て!つまり俺も信者になれば、小夜ちゃんと中出しセックスできるってこと?」

「…………千葉サイテー」


 大切な大切な幼馴染を、俺の一番辛かったときに心の支えになってくれた2人を、そんな風に馬鹿にされて、卑猥な妄想の対象にされて、腹が立っている。それは間違いないのに、俺は怒りに任せて言い返すより、その会話を止めるより、ただ一つのことばかりを考えていた。

 疎外感。俺だけ蚊帳の外で、小夜とハルカは2人の時間を共有している。寂しい。俺だけを置いてどこに行くと言うのだ。そんなの嫌だ。俺を一人にしないで。





 神社の離れ座敷をあてがわれ、私はそこに一人で住んでいた。それは初潮がきた日からで、それはつまり、身籠るまでは誰にも邪魔をされずにこの離れで子作りに励めということなのだ。


「いよいよ決心がついたのか?」


 私の正面に腰を下ろした悠はそう聞きながらも呆れ顔だ。


「ついた。悠、私のこと抱いてくれる?」

「俺は元々そのつもりだったから……だけど、倫太郎のことは本当にいいんだな?」


 その問いに頷くことしかできなかった。言葉を発すれば「倫太郎と離れたくない」と、無様にも泣き喚いてしまいそうだった。悠はそれさえも分かったように、私の髪を優しく梳いた。


「じゃあ、幸尽祭の夜にまたここに来るよ」

「ダメ、今すぐ抱いて」

「え?いや、それは……」

「悠は私としたくない?本番で上手にできるように練習しとかなきゃ」


 それは完全なる建前だった。いや、完全なると言えば語弊がある。ほぼ建前というのが正確だ。

 一刻も早く悠に抱いてもらえれば、倫太郎が私の心のど真ん中からいなくなると思った。心の中から彼が出て行くことはない。ならばせめて中心ではなく、隅の隅の方で埃をかぶっていてほしい。

 そしてあともう一つ。私は本当に子供を身籠りたかった。そうしてその子供を生贄に差し出して、この島から悠と2人で逃げ出したい。子供を道具として使うことがどれほど非道なことか、それは世間知らずな私でも理解している。しかしそうでもしなければ、私の人生は搾取されて終わってしまう。

 と、そんなことを本気で考えてしまうほどこの時の私は幼く未熟であった。実際に子を腹に宿し、この世に産み落とせば、子を差し出すことにどれほどの罪悪感がのしかかるのか。未成年2人でどこに逃げられるというのか。私の思惑は余りにも非現実的であった。


 そんな私の考えなど露知らず、悠は覚悟を決めた顔つきで私を抱きしめた。


「俺は神に感謝をするよ」

「?はるか?」

「喜多家に生まれ、小夜の伴侶となる赦しを得た。その運命に感謝する」


 悠はそう言うと瞼を閉じた。薄い瞼の先で長いまつ毛が微かに震えている。だけど合わさった唇は震えていなかった。


「唇って気持ちいいね」

「……だからもっともっとって、何度もしたくなるんだろ」


 くすりと笑った悠はその言葉を体現するように口づけを繰り返した。






 夏希たちが帰ったその日の夜、俺は小夜に会おうと上月神社の離れを訪れた。母家の正面玄関からは入れない俺に、小夜は離れの合鍵を預けてくれていた。だから小夜に会いたいとき、俺はいつだってここに自由に出入りできたのだ。


 年代物の家の廊下は、歩くたびにぎしりと音を立て軋む。いつもならそんなこと気にせず歩くのに、今日はやたらと音が響く気がしてそろりそろりと足を進めた。

 どうして今日は何をするにもこうして緊張してしまうのだろう。いつも変わらず俺を受け入れてくれる小夜の住む離れが、今日はどことなく俺を拒絶している気がするせいだろうか。そんな些細な予感を気のせいだと一蹴し、小夜がいるだろう寝室の障子に手をかけた。

 障子はいつもそれほどの力を必要とせずに滑った。しかし今日はその障子を開ける俺の手が震えていたのだ。その為に覗き見できるほどの隙間しか開かなかった。

 生活に必要な物のみが置かれたこの離れで、小夜の寝室にはいつ訪れても布団だけが敷かれていたのだ。その布団の端が視界に入ったと同時に肌色が見えた。その肌色が絡み合う足だと認識できたのは、先ほどから漏れ聞こえる嬌声のお陰だ。

 ドクン、と一度大きな音を立てた俺の心臓は、そのすぐ後にドッドッドッと短く速い鼓動に姿を変えた。嫌な汗が背中を伝い、喉に絡みつく唾液を不快に思った。どうして、どうして小夜とハルカが……。いや、分かりきっていたことだ。小夜とハルカの親たちがそれを望んでいるのだ。そして昨日の朝、小夜にもそう宣言されたではないか。


 ここから離れなければいけない。こんな悪趣味な覗き見は今すぐやめなければいけない。それは充分理解しているのに、足が床に縫い付けられたように動かない。それどころか重なり合う2人を見つめる目なんて、もっともっとと彼らの細かな部分に焦点を合わせ出した。

 セックスに夢中になっている彼らは俺が覗いていることに気づかない。「はるか、はるか」と気が狂ったように愛しい人の名を呼ぶ小夜の声に、胸を掻きむしりたくなった。なんだこれ、なんだこれ。こんな気持ち知らない。


「はるかぁ、んっ、きもちいっ」

「……昨日まで処女だった奴の言うこととは思えねーな」

「んあっ、だってぇ、はるかの気持い、もん」


 いつもとなんら変わりない2人の会話みたいに自然な軽口を交わし、小夜とハルカは微笑み合って唇を重ね合わせる。なんで俺はそこにいないんだろう。どうして俺は一人寂しく廊下で硬くおっ勃ててんだろう。なんで、なんで、なんで、小夜はハルカを選んだんだろう。


「ずっりぃー」

「……っ、!」

「あ?倫太郎か、ビビったー」


 想像もしていなかった俺の登場に、小夜は驚いて目を見開いたが、ハルカは腰を振り続けている。口ではビビったと言っていたが、なんとなく気づいていたのかもしれない。


「あ、っん、はるか待って、倫太郎がいるからっ」

「うん、知ってる。倫太郎、俺らがうらやましいって」

「……ほんと、2人だけで何楽しんでるんだよ。俺だけ除け者にしないでよ」

「りんたろう……」


 するりと出た本心を聞いた小夜は、小さな子に語りかける優しい声音で俺の名前を呼んだ。ハルカは腰の動きを漸く止めて、小夜の中に入っていた物をずるりと引き抜いた。


「倫太郎……来ちゃダメじゃん」

「……小夜が合鍵渡してくれたんじゃん。それに今までそんなこと一度だって言わなかったのに……」

「倫太郎は彼女いるだろ?それに、お前と幸尽教は、」

「関係ないよ、確かに関係ないけど……俺らは関係なくないだろ?」


 どんな理論だよ、と言っている俺でさえ思う。だから小夜とハルカも呆れていると思った。だけど、俺を見つめる2人の瞳はどこまでも優しい。俺はそんな2人にどこまでも甘えてしまう。


「彼女いるのがダメってんなら、俺別れるよ」

「待って、倫太郎。自分が何を言ってるのか分かってるの?」

「……分かってるよ。俺、お前たち以上に大事なものなんてないよ」


 そう言って涙を流した俺を小夜はゆっくりと抱きしめて、「倫太郎に彼女ができて、私傷ついた」と本音をこぼした。素っ裸の小夜の肌が心地良すぎて俺は自然と目を閉じる。


「ごめん……まじでごめん。付き合おうって言われて、軽い気持ちでオッケーしたんだ」

「一昨日の夜、キスしてたし、好きって言ってたでしょ?あれも嫌だった」

「うん、ほんとごめんな。だから俺のこと仲間外れにしたの?」


 俺と小夜の会話を黙って聞いていたハルカが「ガキの喧嘩かよ」と突然笑い出した。仲間外れって……確かにそうだな、と途端に恥ずかしくなってきた俺の頭をハルカの手が撫でる。


「小夜。お前は倫太郎のことを聖人君子だと思うのをやめろよ?こいつのことちゃんと見てやれよ」

「え、俺のことそんな風に思ってくれてたの?俺なんて、仲間外れにされたってクソみたいな独占欲で拗ねちゃうクソガキなのにね?」


 本当に救いようがないね、と自嘲した俺をまだ抱きしめてくれている小夜は「それでも倫太郎は私の太陽なの」と頬を擦り寄せた。


「クソガキだけど」

「……おいっ!いや、間違ってねーけど」

「……ふっ。じゃあ、2人はお幸せにってことで、俺は帰るわ」


 小夜と俺は立ち上がった悠の腕を同時に掴んで引き止めた。


「ダメだよ、悠」

「そうだよ、次はお前が一人ぼっちになる気?」

「はぁ?」


 怪訝そうに美しい顔を歪めたハルカに「私たちは3人で一つだよ」と小夜が美しく微笑む。


「えー?それお前意味分かってんの?倫太郎も」

「もちろん分かってるわ」

「俺だって分かってるよ」


 力強く答えた俺らに苦笑いを返したハルカは、「ほんと救えねーな」と溜息を吐きながらもう一度腰を下ろした。溜息を吐きながらも薄っすらと弧を描いている口元が、ハルカの気持ちをそっくりそのまま表しているのだ。

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