4.朝凪
今日から2泊、倫太郎の友達が島に遊びにくる。私が母に「遊びに行ってくる」と言えば、それを聞いていた父が「凪の孫じゃないだろうな」と声を低くした。
父は、倫太郎と私が仲良くすることを良く思っていない。それは倫太郎のおじいちゃんが上月神社の氏子ではなく、ひいては幸尽教の信者ではないことが理由だ。本当にしょうもない理由で辟易する。
「……悠とだよ」
「おぉ、悠くんか!それならいいんだ」
その反対に、父は悠のことを大層気に入っている。それは勿論、……理由は言わなくても分かるよね。つまりそういうことだ。
悠の名前を聞いて、途端に気を良くした父は饒舌に語り出した。
「彼とお前はゆくゆくは夫婦となり、子を作るのだからな。今から子作りの練習に励みなさい」
「…………はい」
「しかしきちんと避妊はしなさい。お前が悠くんの子種を受け入れるのは幸尽祭の夜と決まっている」
分かったな?と念を押して、父は体を翻して私から離れる。私の返事を聞く気なんて初めからないことが良く分かる行動だ。
反論するだけ時間の無駄だと思っている私は、父の言うことを全て受け入れてきた。だから父は、私が反抗するだなんてこれっぽっちも考えていない。だから私の返事を聞く必要はないのだ。
「ほら、小夜。約束の時間はいいの?悠くんを待たせちゃ駄目よ」
「はい、行ってきます」
母も同じ。父に従うだけの人形で、私のことなど見ていない。父も母も、ついでに祖父母も、私のことは神通力を持った子を産む道具としか思っていないのだ。
家から出ると、インターホンを鳴らそうとしている悠と出会した。
「おはよ、悠」
「おはよう、小夜。タイミングばっちりだったな」
「それがバッチリじゃないの」
私の言葉を聞いた悠は「どういうことだ?」と訝しげな表情だ。
「アイツに会っちゃったもん」
「アイツって、あぁ、小夜のお父さんか。俺がもう少し早く来てたら鉢合わなくてよかったんか」
「違う違う。私がもうちょっと早く家を出ればよかったの」
私が自分の家族を嫌っていることを知っている悠は、すぐにどういうことかを理解した。
「倫太郎のことでなんか言われた?」
「んー?今日は悠とのこと」
「俺?」
「悠と子作りの練習に励みなさいって」
それを聞いた悠は苦笑いを浮かべ「強烈だな」と呟いた。本当にそれ。100%同意しかない。どこの父親が未成年の娘に、"子作りの練習"つまりセックスをしろと言うのか。
「……でもいつか、お前は誰かを選ばなきゃいけない」
「だね……そう遠くない未来、私は氏子の中の誰かと子供を作んなきゃいけない」
「その時は俺を選べよ」
悠は優しい。倫太郎と悠はいつだって私の味方だ。私は悠の申し出に首を横に振って断った。
「悠は悠の好きな人と幸せになってよ」
「……じゃあ、小夜は?小夜の幸せは?訳分かんないおっさんと結婚させられるかもしれんだろ」
確かにその通りだろう。父は悠のことを気に入っている。だからどうしても私の婿になってほしいのだ。その悠と結婚できないとなれば、次にあてがわれるのは私の一回りも二回りも年上の、熱心な幸尽教の信者だ。
そんな少しの好意さえ抱けなさそうなおじさんとの結婚生活と子作り。想像しただけで吐き気が込み上げる。
「だけど、悠の人生を犠牲にしてほしくない」
そんな私のことより、悠の人生を私のために消費してしまう方がずっと苦しい。
「小夜、お前は勘違いしてる。俺だって、オヤジに何回も何回も言われてんだよ。『巫女様と結婚できなければ勘当だ』って」
「……ふふ、それってご褒美じゃない?」
私たちの人生を私たちの元に返してほしい。
「確かに、勘当はご褒美か」
「ね?」
乾いた笑みを私たちが浮かべた頃、倫太郎との待ち合わせ場所であるフェリー乗り場に着いた。既に到着していた倫太郎は私たちを見つけて大きな動作で手を振った。
相変わらずのキラキラ笑顔が余りにも眩しくて、思わず目を細めてしまう。何にも囚われていない、自分の未来を自分の手で選び取れる倫太郎の存在は、私にとっての希望なのだ。
「お待たせ」
「おう!朝から悪かったな」
「全然。フェリーは?まだ?」
そう言いながらスマホで時間を確認した悠は、「あと5分ぐらいか」と海に視線をやった。
「で、何人来るんだっけ?」
「えーっと、5人!」
もうすぐ倫太郎の友達を乗せたフェリーが着港する。男の子が2人と女の子が3人。高校で仲良くなって、いつも同じメンバーで行動を共にしているらしかった。
「みんないい奴で、小夜とハルカに会えるのすげー楽しみにしてる」
倫太郎の友達なのだ、きっとみんな快活で友達の友達はみんな友達!みたいな人種なのだろう。別に馬鹿にしているとかそういう気持ちはない……いや、正直に言うと、この気持ちは嫉妬なのだ。私たちの倫太郎が取られちゃったな、っていうお門違いな嫉妬心。
「俺、仲良くなれなかったらごめんな」
と悠が謝ったその時、ボォ〜という音と共にフェリーが入港してきた。
「無理に仲良くする必要はねーからな。ただ俺がみんなに、小夜とハルカを自慢したいだけだから」
「え〜?自慢?」
突然何を言い出すのだと、ふふふ、と揶揄うように微笑めば、倫太郎は「小夜とハルカは俺の自慢の友達なの!」と少し頬を赤らめた。
「あ、出て来た!おーい、こっちこっち」
倫太郎は先ほど私と悠にしたのと同じぐらい大きく手を振って、高校の友達に"ここにいるよ"と知らせている。そんなに身振り手振りを大袈裟にしなくても、キラキラと輝いている倫太郎はただ立ってるだけで目立つのに、と、それは恋をしている欲目だろうか。
倫太郎の友達は私と悠を交互に見て声を詰まらせた。私はその反応を最近経験したな、と数ヶ月前にあった幸尽高校での入学式の日を思い出した。
島は閉鎖的な空間で、まして私たちはこの前まで中学生だった。だからこそ新たな人間関係を構築するのは本当に久しぶりだったのだ。幼い頃から見慣れた悠の外見の良さは意識の外で、私の頭からすっぽりと抜け落ちていた。
島外から幸尽高校に進学した同級生全員が悠を見た途端、時が止まったように言葉を失った。端的に言えば、見惚れたのだ。儚げな美少年に。白い肌に真っ黒な艶やかな髪が映え、冷たさを感じる上品なパーツが近寄りがたさを醸し出している。話せば間違いなくどこにでもいる普通の高校生男子なのだが、口を閉じている悠は恐ろしいほど美しい。
「紹介するよ。俺の幼馴染の小夜とハルカ!」
「上月小夜です」
「喜多悠です」
ポカンと口を開けていた倫太郎の友達は、倫太郎の大きな声に弾かれたように意識を取り戻した。そしてしどろもどろになりながら自己紹介を終えたのだ。
「とりあえず俺んちに荷物置きに行くかー!」
倫太郎が元気良く先頭を切って歩き出した。私は倫太郎の横に並びたい気持ちをグッと我慢して、一番後ろを悠と歩いた。
「ねぇ、ビックリしちゃった!」
そんな私たちの方を振り返り、明るい笑顔と共に声をかけてきたのは、確か……
「藤原さん」
「やだ!夏希でいいよ!」
キュッと悪戯に細まった目がとても魅力的な女の子だ。
「倫太郎の友達が2人とも穏やかで、しかもとびっきりの美形なんだもん」
そう言った夏希の言葉に「分かる!想像してた子たちと違って驚いたよね」「な?いつだって騒がしい倫太郎の友達が、まさかこんなお淑やかだなんてな?」と、他の友達たちが次々と賛同の声を上げた。
「お前ら、俺に失礼だし、なんなら自分たちのことを遠回しに貶してっからね?」
「うは、確かに!けどオレらは、まんま"倫太郎の友達"って感じじゃん?」
「ちょっとー、アタシらまで巻き込まないでよ」
「いやいや、見てみ?お前と小夜ちゃんは同じ女じゃねーだろ?」
キャイキャイとはしゃぐ声で、長閑な島が一気に活気付いた。私は、恐らく悠も、彼らになんと言葉を返すべきなのかが分からなかった。ただ一つ、私たちの倫太郎を分かった風に評価しないでよ、と確かな怒りを覚えたのだ。
「ちょっと、小夜ちゃんたち困ってるから!それに倫太郎はとびっきりいい奴じゃん?ね?」
そう言った夏希は跳ねるように倫太郎の横に駆け寄り、するりと腕を絡ませた。や、やだ。倫太郎に触らないで、と口をついて出そうになった言葉を咄嗟に飲み込む。ギリギリと下唇を噛み締めた私の肩を、悠の手が「落ち着けよ」と優しく叩いた。
そうだそうだ。彼らは倫太郎の大切な友達なのだ。ここで私が臍を曲げれば倫太郎が悲しむし、倫太郎の評価が下がってしまうかもしれない。たった2、3日なんだから、ニコニコと笑顔で接そう。
「うわ、惚気うっざー」
「付き合いたてのカップルうっざー」
「ねぇ?小夜ちゃんたちもそう思わない?」
そんな私の決意をあざ笑うかのような会話に、頭を鈍器で殴られたほどの衝撃が走った。え、聞き間違いだよね?と縋るように見た先の悠も、困惑の表情を浮かべている。
「あれ?もしかして倫太郎言ってなかった?」
「あー、わりぃ、小夜とハルカは知らねーんだよ」
「わっ、マジか、ごめん!てっきり知ってるもんだと……マジでごめん」
倫太郎が隠していたことを図らずも暴露してしまった彼らは、謝罪の言葉を繰り返した。それを聞くたびになんだか私は惨めになっていくのだ。
「いや、小夜とハルカには、夏希が島にいるタイミングで話そうと思ってたから」
「早く『彼女です』って紹介しなさいよ〜」
夏希の肘が急かすように倫太郎を小突く。それに突き動かされた倫太郎は耳を真っ赤にして照れながら、そんな純粋無垢な恋をしている男の顔で、私を絶望の淵へと突き落とした。
「少し前から付き合ってる。彼女の藤原夏希ちゃんです」
「えへ、彼女です。改めてよろしくね」
倫太郎も夏希も何も悪くない。ただお互いがお互いを好きになり、思いが通じ合っただけ。そうなった男女が恋人関係になるだなんて、おかしいことではない。普通のこと、普通の恋。
胸を掻きむしりたくなるような嫉妬に身を焦がし、仲良く並んで歩く2人の背中を恨めしそうに見つめる私がおかしいのだ。倫太郎の幸せを喜べない私がいらないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます