ユア・ストーリー


 クルクル、クルクル、クルクルクルクル……


 二ひきのハムスターが、まわし車の上を走っています。


 この二ひきは兄と弟で、仲のよい兄弟です。


「にいちゃ〜ん! 人間たちが見ているよ。おいらたちを見て、笑っているよ。」


 そう、弟ハムスターは兄に言いました。


 見上げると、小屋の外では人々が足を止めて、愛らしい二ひきの姿を笑顔で見ています。


「にいちゃ〜ん! きっとアイツらは、おいらたちを見てバカにしているよ。」


「なぜだ? 弟よ。」


「だって、アイツら笑っているよ。」


「それはわからないさ、弟よ。笑っているからとバカにしているとは限らない。笑顔だからと幸福だとは限らない。」


 ほほえむ人、あざける人、めでる人……人々の笑顔は様々です。


 みんな同じように見えますが、みんな違う心で二ひきを見ては、みんな違う想いを持って、みんな違う方向へと歩いてゆきます。



 カタカタ、カタカタ、カタカタカタカタ……


 兄にさとされて、弟ハムスターは拗ねてしまい、ぷくりとをふくらませます。


 それでも二ひきは仲良くて、回るまわし車のその上で、その会話は続いてゆくのです。


「にいちゃ〜ん!」


「どうした? 弟よ。」


「にいちゃん、これさ、意味なくね?」


 元気よく走りながら、弟ハムスターがそんなことを言い出します。


 その時、美しい法衣をまとった老人がやって来て、えさ箱にひまわりのタネを入れました。


「にいちゃ〜ん! ごはんだよ、ごはん!」


 老人はタネを入れ終わると、深々と二ひきに向かって頭を下げます。


「食べに行っておいで、弟よ。」


 兄がそう言えば弟ハムスターはうれしそうに、ごはんを食べに走ってゆくのでした。



 ガタッ……、カタッ、カタカタカタカタ。


 タネでを大きくふくらませて、弟ハムスターは戻ってきました。


 また、まわし車に乗って走りながら、兄ハムスターにおはなしします。


「にいちゃ〜ん! あれはきっと神様だよ!」


「どうしてそう思う? 弟よ。」


「だって、ごはんをくれたし、ほかの人間みたいに見下さないで、頭を下げていたよ。」


「弟よ、あれは神に見えるが悪魔だよ。」


「え!? だって……」


「ごはんをくれたのは、俺たちが死んだら困るからさ。頭を下げたのは、俺たちがまわし車を走るのをやめたら困るからさ。」


 兄にそう言われても、弟ハムスターは意味がわかりません。


 弟ハムスターはまた拗ねてしまって、ぷくりとをふくらませます。


 そんな弟に兄ハムスターは、優しくおはなしするのです。


「弟よ、お前はこのまわし車を意味が無いと言う。だが、このまわし車には意味がある。なぜなら、このまわし車を回すということは、この世界を回すということだからだ。」


「ウソだ!」と弟ハムスターは言いましたが、兄ハムスターは構わずに、おはなしを続けます。


「――もちろん、俺たちだけの力では無いさ。

 世界にある幾つものまわし車が、世界にある俺たちと同じような存在に回されて、そうして世界は回っている。それが半分も止まれば世界は止まる……だから、あの悪魔はああして俺たちにエサをやり、ああして俺たちに頭を下げるのさ。」


「そんな〜!」と、弟ハムスターは言いました。


 それから彼は兄の言葉を疑い、まわし車のじくの方を向いてみて、それがどこに繋がっているのかを見てみました。


 軸はおりと繋がっている……はずでしたが、見ると、そこにはまっくらなやみがあり、まわし車の軸はどこか遠くまで伸びていて、その先を見ることはできません。


「え! え! え? にいちゃ〜ん!」


「弟よ、見ることは大切だ。――だが気をつけろ。深淵しんえんをのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている……。」


「どゆこと、どゆこと? どうなってるのさ!?」


 戸惑う弟に、兄ハムスターは言いました。


「弟よ。おまえが今まで気づかなかっただけで、最初からそうなのだよ。

 おまえが見た人間も、神と讃えた老人も、隣を走るこの俺も、世界そのものが、おまえがそう見ているからそう見えているだけなのさ。

 ――さあ、弟よ。小屋の外を見るがいい!」


 兄の声に弟ハムスターは、まわし車を降りて小屋のはしっこまで走っていきました。


 そうしてそこで小屋の外を見れば、そこにあったはずの檻は無くなっていて、広い草原が星空の下に広がっています。


「に、にいちゃ〜ん!? こ、これって?」


 きょろきょろと、外と兄の方を交互に見ては、弟ハムスターは戸惑います。


 そんな弟に、兄ハムスターは言うのです。


「弟よ、今、おまえは自由になった。

 世界の在り方に気づいた時……いや、最初からおまえは、ずっと自由なのだ。」


 それからまわし車を走ったままで、兄ハムスターは大きな声で言いました!


「――さあ、飛びだせ弟よ!

 おまえはまわし車を回す毎日よりも、人々に笑われる存在よりも、もっと違うものになりたいのだろう。

 外に出れば変わることができる! だが、何になるかはわからない。外の世界がどんななのかも、檻に囚われた俺にはわからない。だけど、おまえなら大丈夫だ。恐れずにゆくがいい!」


 弟ハムスターは兄にききます。


「に……にいちゃんは、どうするのさ?」


 すると兄ハムスターはまわし車を降りてきて、弟の隣に立ち、そっと背中を触って言うのです。


「弟よ、俺はここに残る。それは俺の自由な意思だ。俺はそれを選んだ。だけど、おまえは違うのだろう。

 俺とおまえは兄弟だけど、考えも選択も、生き方だって違っていいんだ……さあゆけ、弟よ!」


 兄ハムスターは強く、弟の背中を押しました。



 そして弟ハムスターは、外へと出ました。


 初めて触れる草の感覚は、少し痛くて、吹く風は少し冷く感じます。


「ゆけ、弟よ!」


 その強い声に背中を押され、弟ハムスターは夜の草原を走り出します。


 しかし、彼は涙した愛らしい顔で、何度も小屋の中の兄を振り返るのです。


 そんな弟に、兄ハムスターは叫びます。


「弟よ、死を恐れるな! ……生を恐れるな。

 おまえならきっと大丈夫! ――進め!」


 その声を聞いて、弟ハムスターは走ってゆきます。


 その日、兄弟が仲良く住んでいた小さな小屋は、兄ハムスターだけの、がらんとした世界になりました。




「弟よ。小さな世界を飛びだしたおまえは、もうネズミではいられない。もう、戻ることはないだろう……だがもし、ここを通ることがあったならば、俺にその姿を見せてくれ。その時、おまえにはこの小屋にいる俺は、どんな姿に見えるのだろうか?

 滑稽こっけいにまわし車を回す者か? あるいは、でて楽しむ愛玩動物か?

 でもそれは、どうだって構わない。おまえがおまえのままで生きていてくれるのならば……」




 クルクル、クルクル、クルクルクルクル……


 ――ある夏の日。


 汗だくになってまわし車を走る兄ハムスターは、ふと空を見上げます。


 雲一つない澄んだ空は、自分がちっぽけなネズミだと教えてくれているようです。


 一羽のタカが、青空を飛んでいました。


 あれは弟ではないかと兄ハムスターは思って声をかけようとしましたが、高い空を自由に舞う彼に、声を届けることなど叶いません。


 タカはどこまでも遠く高く、高く遠くに飛んでゆきました……




 カタカタ、カタカタ、カタカタカタカタ……


 ――ある雪の日。


 ただ一ぴきでまわし車を走る兄ハムスターは、ふと隣を見ました。


 そこには昔、愛らしい弟がいましたが、今は誰の姿もなく、ただ深淵がこちらを見ています。


 数ひきの、オオカミの群れが通ります。


 その中に弟がいるのならば、食べられても構わないと兄ハムスターは覚悟していました。


 でも、力強く群れるオオカミたちは彼に見向きもせずに、ただ通りすぎてゆくのでした……



 ガタッ……、カタッ、カタカタカタカタ。


 ――長い月日が過ぎ去りました。


 兄ハムスターはよろけてしまうほどに、歳をとってしまいました。


 でも今日も、彼はまわし車を走っています。


 兄ハムスターはふと外を見て、行き交う人々の中に弟を探します……だけどそこに弟はいません。


 兄ハムスターはとても寂しくなって、走るのをやめてまわし車を降りたのでした。


 そこへ、一人の老人がやって来ます。


 老人はただ、兄ハムスターを見ています……その老人の目はとても美しく、とても澄んだ瞳でした。


 兄ハムスターも見返して、その澄んだ瞳を見ていたら、そこに老人の姿はありません。


 かわりに美しい人間の女性が立っていました……いいえ、男性でしょうか?


 女性に見えたその者は、若い……美少年のようにも見えます。


 とても美しく、人間とも思えないその者を見て、兄ハムスターはその者を、自分を死の国へと迎えに来た天使ではないかと思いました。


 そう、兄ハムスターが思えた時に、その者はさらに若く幼く見えて、翼のはえた小さな子供のように見えます。――その者は嬉しそうに笑っています。


 その者はとても嬉しそうに笑い、泣き顔になって、ぷくりとをふくらませて、赤ちゃんのように叫んだのです!


「にいちゃ〜〜〜〜〜〜ん!!」


「弟よぉーーーーーーー!!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る