4章―① お嬢様と青年、すれ違う
強盗騒ぎによって、職場見学どころではなくなってしまったので、公太達は片付けを手伝ってからフクロウ銀行を後にした。
気が付いたらなかなか良い時間になっていた。昼食がまだだったので某ファミレスチェーンで摂ることに。
昼のかき入れ時を過ぎたこの時間ならゆっくり昼食を摂っても問題ないだろう。それくらいには一行は疲弊していた。銀行強盗に遭えば無理もないことである。
公太はいつもより気持ちガッツリ食べたこともあって、英気を養えたが気になることがある。
「おい、千尋どうしたんだ? お前が一人前しか食べないなんてどこか調子悪いのか?」
字面だけ見ると微妙におかしなことを言っているが、実際におかしいのは千尋の様子。彼女は高校生の運動部男子並みによく食べるのである。その華奢な身体のどこに入っているのか。天月家の七不思議の一つである。
「千尋様、気分でも優れないのですか?」
少食な室井でも一人前は食べている。彼女も心配そうに問い掛ける。
2人に問い掛けられた千尋はハッとすると首を横に振る。
「ううん、ごめんちょっと疲れちゃって」
そう言われれば納得はできる。寺田達にも言われたようにかなり危険な目に遭っていたのだ。食欲が湧かないのも無理はないのかもしれない。寧ろ1番危険な目に遭っていた公太がガツガツ食べていることがおかしいとも言える。豆腐メンタルかと思えば、意外なところで図太い。
「あのな、さっきから何回も言ってるけど自分をそんなに責めなくても良いんだぞ? 俺もイケると思ったから千尋の作戦に乗っかったんだし」
千尋が未だに元気がないのは自分の考えた不意打ち作戦に乗っかったことで周囲を危険に晒したことが原因なのではないかと考えた公太はそう付け加える。
実際公太は千尋だけのせいだとは思っていない。もし駄目だと判断したのであればアイコンタクトを交わしたあの場で首を横に振れば良かったのだ。だから今回の責任は千尋と公太の2人で分散される。ましてやその当事者である公太の身の危険について責任を感じる必要はない。
だが、公太が色々言っても千尋はずっとこんな調子なのである。こうなっては時間が解決するのを待つしかないだろう。
公太が顔を上げると室井と目が合う。寧ろ付き合いの長い室井の方がこういった類のメンタルケアは適しているだろう。公太のその思いを感じ取ったのか室井は微かに微笑むと頷き返す。
すると、バイブ音が微かに聞こえてきた。
「失礼します」
どうやら室井のスマホが着信したらしい。彼女は相手を確認すると一言断ってから出た。
「はい、室井です。……はい、……かしこまりました。すぐに向かいます」
室井はそう言うと切電して、スマホをジャケットのポケットに戻す。
「今、社長――昭仁様からお電話があり、すぐに来る様にとのことです」
そう言う室井の顔はどこか険しかった。
*
室井の運転する車に乗り、一同は天月コーポレーション本社ビルへと向かった。
そのまま受付を素通りして、エレベーターへと乗り込み、社長室へと向かう。その間、室井の誘導以外に言葉はなかった。
そしてあっという間に社長室のある最上階へと到着し、目の前にある扉を室井はノックする。
「室井です。千尋様も花巻君もおります」
「入りたまえ」
扉越しに低い昭仁氏の声が聞こえてきた。
「失礼します」
室井はそう言うと、扉を開き、千尋と公太を招き入れる。昭仁氏は社長室のデスクに腰掛けており、その容姿通りの普段のゆるキャラ然とした態度とは打って変わって
3人並んで昭仁氏の前に並ぶと昭仁氏はゆっくりと口を開く。
「千尋の縁談が決まった」
「えっ!」
思わず公太は声をあげてしまったが、驚いたのは彼だけでない。室井も目を見開き、俯きがちな千尋の表情は伺うことができないが、肩がピクリと動いたことは確認できた。
「ど、どういうことでしょうか」
動揺を露わにしながらも問い掛けた室井に昭仁氏は残念そうに首を横に振るう。
「どうもこうもないよ。キミ達に任せながらも私は私で動いていた」
「そんな、僕達に任せておけないということですか」
公太も室井に加勢するが昭仁氏の態度は全く変わらない。
「そういうわけではない。……とさっきまでは思っていた」
そう言う昭仁氏の目つきが鋭くなる。
「今日、フクロウ銀行にて強盗が発生したらしいね。銀行員だけでなく、お客も何人かロビーに居たとか。その中にまさか千尋を含めてキミ達3人がいたとはね」
昭仁氏はタブレットをデスクの上に置く。その画面上には、【銀行強盗発生。現場には天月コーポレーションの令嬢も!?】という節操のないタイトルの写真付き記事が表示されている。
「そ、それはそうですが……」
公太達が銀行を退去する時にはマスコミの姿が見えた。もしかしたらあの中に例のSNS等を見た者がいたのかもしれない。別に報告しないつもりはなかった。もう少し落ち着いてからするつもりであったが、先に言われるとなんとも落ち着かない。
口ごもる公太を意に介さずに昭仁氏は話し続ける。
「私なりにキミ達のことは信頼していた。だが、キミ達がありながらもこのような危険な目に遭うくらいなら私は千尋を自分の目に届く範囲で、そして確かな家柄の者と結婚してもらって普通の幸せを築いてもらいたいのだよ」
そう言われた時、確かに千尋が反応を示したが何かを口にすることはない。代わりに室井が口を開く。
「その件につきましては私達のミスです。申し訳ありませんでした」
そこまで言うと一度深く頭を下げる。公太もそれに倣って慌てて頭を下げる。
「ただもう一度、チャンスを頂けないでしょうか? 正直あまりに話が急です。千尋様もそんな大事な話を今ここでされても判断しかねるかと思います」
付き合いの長い室井からの
「私は良いよ。その話前向きに検討してみる」
「は?」
今までずっと黙っていた千尋が発した言葉の意味が分からなくて、公太は思わず素の反応。室井も目を見開き、昭仁氏も驚きの表情を浮かべている。
ここにいた誰もが千尋はこの場で猛反発するだろうと思っていた筈だ。
「だから、お父さんの言った通りだよ。私、もう危険な目に遭いたくないもの。だからお父さんの言う通りにした方がいいかもと思ってる」
その声にはいつもの千尋の色がなかった。
「おい、どういうことだよ!」
昭仁氏の前だということを忘れて公太はつい千尋を問い詰める。千尋は一瞬それにビックリしたような顔をしたが、すぐに口の端を持ち上げる。無理矢理嘲るようなそんな表情。
「意味分からなかった? 公太達のこと信用できなくなったの。だからもっと力もお金もある人と結婚して安心安全に暮らしたいの、ここまで言えば分かる?」
その話し方は無理矢理相手を怒らせようとしているのは明らか。だが、公太は見逃さなかった。付き合いは短いが、この天月千尋という女は相手を怒らせるためにはもっと憎らしい表情をする筈だ。それなのに、なんでこんな何かを押さえ込んだような哀しげな表情を浮かべているのか。
公太がその答えに行き着くのに、少しもかからなかった。その答えに対してどうしたものかと考えているうちに娘の返答に安心したような表情を浮かべた昭仁氏が自身の中で進めていた話の中身を説明し始める。
「千尋、分かってくれてありがとう。もちろん、千尋が今までの様な束縛を好んでいないのは分かっている。その辺のことも今後はなるべく考慮していくよ」
なるべく考慮する、検討しておく、目上の人間のこの辺の言葉の信用できなさは異常。千尋もそれを分かっているのか、その言葉に特に反応は示さない。
千尋の沈黙を肯定と取り、昭仁氏は公太と室井の2人に気遣わしげな視線を向ける。
「キミ達には今まで頼ってきただけに、突然で悪いことをしたと思っているよ。ただ、我々の未来には替えられない。分かって欲しい。それにキミ達の仕事がなくなることもない。特に室井くんとは長い付き合いだしね。なるべく希望に応える形にしよう」
この昭仁氏は決して悪い人間でない。今回建前上は千尋を昭仁氏の思う人生のレールに戻すために採用した公太のことなど気にせずに解雇してしまっても問題ない。それこそ公太1人が声をあげたところで天月コーポレーションという大きな会社に与える影響などないに等しい。それなのにも関わらず、選択の余地は与えてくれているのだ。
だが、それが必ずしも公太の意向に沿うかどうかは別の話である。
公太は20余年という短い人生の中でも一応学んできてはいる。
目の前で何かを抱えて悲しんでいる人を前に何もしなければ後悔することを。
たとえ、その裏にどんな感情があり、仮に騙されていたとしても自分が後悔だけはしないようにしたい。これは千尋の為ではない。自分が後悔しない為、ただの自己満足だ。
公太は自分の中でこれからとる行動に対して一通りの言い訳を終えると昭仁氏の顔をしっかりと見据え、首を横に振る。
「社長の用意するものの中に僕の希望はありません」
公太がそう言うと昭仁氏の眉がひそめられる。千尋も驚愕に目を見開き、室井は何かを期待するかのように公太を見つめる。
「まだ何も言っていないが、何故それが分かるんだい?」
「僕の希望は――……」
「希望は?」
「僕の希望は……希望は……………………ちょっと60秒ほど待ってもらってもいいですか?」
急に勇気がしぼんでしまった。
「引きがやたら強いバラエティか!」
思わず昭仁氏は声をあげる。
お金持ちもそういうの見るのかと密かに親近感を覚えながらもシャイな若者の気持ちも分かって欲しいと不満を感じる公太。これから言うことはまだ20余年しか生きていない者にとって、いや、もっと長く生きた者でも恥ずかしく緊張することなのだ。
「ほら、いいから言いたまえ! 何言っても怒らないから! 笑わないから!」
何故か言われる側の昭仁氏に強く励まされる。――よ、よーし、今怒らないし笑わないって言質も取ったぞ!
単純な公太はその言葉に確かに背中を押される思いだった。
「千尋をどこの馬の骨とも分からん奴と結婚させる訳にはいきません。何故なら、僕が千尋と結婚するんだから!!!」
だから――……から――……ら――……とエコーが社長室内に響き渡る。
室内にいる公太以外の3人は公太の発した言葉の意味が理解できないとばかりに目をパチクリ。
「は、え……うぇ? ……公太が私と……」
千尋の目が凄まじい勢いで泳いでいる。
自分で言ったものの、求婚など初めての行為で無性に恥ずかしくなる公太。
室井は公太の意図が理解できたのか、すぐに冷静な表情と戻る。しかし、
「な、な、な、貴様! 今何て言っ――――――。いや、私は怒らないと発言したな。少し落ち着かせてもらおう」
怒りの勢いで立ち上がった昭仁氏は律儀なことに一度公太達に背を向けるとスーハーと大きく深呼吸。
怒りは6秒経てば落ち着くという言葉はよく聞くがそれは案外本当らしい。しっかり6秒深呼吸をした昭仁氏は大きく咳払いをすると公太の方をジロっと見据える。
「ごほん、失礼。……それで? 私は聞きたいのだが、花巻君、私の聞き違いでなければ君は千尋と結婚したいと言ったかね?」
「ええ、聞き間違いではありません」
公太がそう言うと昭仁氏は公太を殴りかからんばかりに拳を強く握った。どうやら一度落ち着いた怒りが再燃したようだ。
しかし、また昭仁氏は背を向けて深呼吸を繰り返す。そしてきっかり6秒後、
「私の聞き間違いでなければ君は千尋と結婚したいと言ったかね?」
さっきのやり取りなどなかったかのように同じ問いを繰り返してきた。
「……」え、何これ? 無限ループ?
公太が固まっているとこの場で1番冷静な室井が助け舟を出してくれる。
「社長、残念ながら聞き間違いではありません。この花巻君は今昭仁様の前で千尋様に求婚なさいました」
「ほ、ほお……!」
昭仁氏はこめかみに青筋を走らせ、手が真っ白になるくらい強く握り拳を作っていた。……それにしても怒りすぎではないだろうか?
「……なるほど、あいわかった。まさかとは思うが、花巻君、キミが我が社に入ったのは最初っからそれが狙いだったのか?」
「ええ、もちろん(ウソ)ですとも」
そもそも天月コーポレーションに入ったのも貴方の娘さんに脅迫されて嫌々でしたからね! とは言うわけにもいかないので、如何にもそれっぽく自信満々に頷く。
「そうだったんだ……」
――おい、千尋! お前自分が俺を脅迫したのもう忘れてるのか!? 呆けたように言う千尋に内心で全力でツッコむ公太。だが、世慣れしてない娘には刺激が強かったのか、そんな公太の思いは届いている様子はない。
公太の狙いはこうだ。
今現在、どういうわけか千尋は自分の本音から目を逸らし、望まぬ結婚をしようとしていると思われる。それであるならば、自分も結婚を立候補することで場を混乱させ、時間稼ぎをしようというものだ。つまり、公太に結婚する気などサラサラない。
千尋の様子を見る限り、彼女は見事に騙されているし、そんな千尋の様子を見れば、昭仁氏だってまさか公太がウソの求婚という人として最低の行動を取っているなど思いもしないだろう。
しかし、公太の狙いとは異なり、昭仁氏は重々しく首を横に振るう。
「なるほど、キミの気持ちはよくわかった。本来ならこの場でぶっ潰す――いや、ぶっ殺すところだが、立場を顧みずに千尋へ求婚したその心意気と見る目は評価に値する。だが、その話は通らない」
「な、なんで――」
「理由はいくつかあるが、その中でも私の中で大きな2つを挙げよう。ひとつ目は、単純に花巻君、キミに“お義父さん”と呼ばれるのが気色悪いからだ」
「……」このゆるキャラ一発ぶん殴ったろか?
公太が密かに殺意をたぎらせていると、昭仁氏は注意を向けるためか、指を一本立てる。
「ふたつ目が最も大きな理由だ。さっきも言ったように既に千尋の相手は決まっている。そんな相手に対して、急に話は無かったことにしてくれなんてことは失礼だろう」
確かにその通りなのだが、逆にひとつ目の理由言う必要なくない? 公太の中でますます不満が大きくなる。
「そのお話はもう結構進んでいるんですか?」
室井の問い掛けに昭仁氏は首肯。
「ああ、以前から付き合いのある人の息子でね。向こうからアプローチを受けていたんだが、千尋の意思を尊重していたのだが、今回あんなことが起きたこともあって、話を前向きに検討しようと思ってるという旨は伝えたよ」
「次はどのような段階になるんですか?」
「この後は親同席のもと、お見合いだな。実は息子――つまり、千尋の相手となる人物は大層千尋のこと気に入っているみたいでね。正直なことを言うとあとはもう千尋が頷くだけで結婚はできるんだ」
「もうそこまで……」
状況を聞いた室井の声は萎んでいく。確かに状況は思っていた以上に早く動いている。
「花巻君、キミの気持ちは有難いが、今回は引いてもらう。千尋の幸せの為だ。分かってくれ」
そう言って昭仁氏は公太の方へ近づき、肩に手を置く。
もう、どうしようもないのか。ここまで行くともうこの場でやれることがあるようには思えない。こうなったらお見合いしている場所を襲撃するか?
「面白いじゃないですか!」
公太の物騒な思考を遮ったのは爽やかな青年の声だった。
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