2章ー① お嬢様、世界を見る

 「千尋様の社会見学を進めるにあたって花巻君にお願いがあります」

 「俺にですか?」

 でれっと緩んだ表情から一転真剣そのものの表情で見られると緊張感が増す。公太が問うと室井は首肯。


 「花巻君のご友人の中の誰かに千尋様の社会見学のことを伝えて、見学を依頼してほしいんです」

 「ははあ、なるほど。……でも俺の友達で良いんですか? こういうのって普通に会社説明会に参加するのが良いんじゃないですか?」

 公太が割とまともな意見を述べたものの、室井は首を横に振る。


 「いや、ああいった類のものは危険です。甘言をぶら下げて新入社員を釣る催し――すなわち罠と考えてもいいでしょう」

 「さ、流石にそれは言い過ぎじゃあ……」

 「いえ、間違いないですッ!」


 室井にしては強い言葉に後ずさる公太にそっと千尋は顔を寄せた。

 「室井は電話で他の企業に就職した友達の愚痴聞いてるから……」

 なるほど、道理で実感がこもっているわけだ。


 公太も自分の就活時の記憶を呼び起こしてみると、会社説明会では“働き甲斐”だの“OJT”だの耳障りの良い言葉しか話さない企業も確かにあった。その会社のOBが梟大学にいたので、会ってみようとメールを送ったら『悪いことは言わない。やめておけ』とだけ返ってきた。それっきり音信不通だが、あの先輩は元気だろうか?


 「とにかく。そういうオフィシャルなものですと、生の声は聞けないものです。それよりかは個別で依頼して話を聞きに行ったり、実際に働いている現場を見せてもらえる方が情報の良し悪しは別として、精度の高いものが得られるでしょう」

 公太が記憶を辿っていると、室井がそのように結論付けた。

 確かにもっともな意見である。仮に断られても、それはそれでこっちでそういうことかと判断できる。


 しかし、公太の中では1つ懸念点があった。

 「でも俺の友達だとまだ新入社員ですよ。上司から強く口止めされたり、そもそもそんなこと頼むの難しいんじゃないですかね?」

 「……え? 花巻君の友達ならそんなの関係ないでしょう?」

 何を馬鹿なことをと言わんばかりに室井はキョトン。

 ……確かに言われてみれば、そうかもしれない。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったもので、公太の友人はどいつもこいつもよく言えば精神的にタフで、悪く言えば馬鹿――もとい少々……いや、かなり社会的な常識が欠如している者ばかり。今回の依頼をするのに適した人材だと言える。

 「確かに室井さんの言う通りですね。それじゃあ、連絡してみます」

 公太は頭の中で候補者をリストアップしながら、スマホを弄りだす。


 

 2日後の11:00頃。公太は千尋と室井を連れ立って、駅前のアーケード街を歩いていた。その目的はもちろん千尋の社会見学先である。

 平日の昼間なので、賑わいはそこそこ。箱入り娘として育てられた千尋をこういったところに連れてくることは少し不安はあったが、それは杞憂であった。冷静に考えれば、彼女は何度も家出をしていたのだし、そもそも公太と出会ったのも人が行き交う繁華街であった。


 なので千尋は見慣れない景色に目を輝かせるということもなく、公太に対して「まだ着かないの?」と不満を訴える始末。全く可愛くない。

 「千尋様、おんぶしましょうか? それとも抱っこ?」

 隙あらば千尋とスキンシップを試みようとする室井。それに対して、千尋は「や、流石に恥ずかしい」と素っ気なく断られて室井はしょんぼりと肩を落とす。動機は不純だが、こっちの方がまだ可愛げがある。


 そんな若干男子禁制感漂うやり取りを公太が微笑ましい気持ちで見ていると、見覚えのある姿をした男を前方で捉えた。

 その人物は公太の姿を認めると、小走りで駆けよってくる。

 「よお、花巻。久しぶり……でもないな」

 「大学卒業ぶりだしな」

 快活に声を掛けてきたその男は公太と共にいる千尋と室井を見ると一瞬目を丸くし、今度は気持ち丁寧にペコリと頭を下げた。


 「はじめまして。僕は花巻と小学校から大学までの同級生の立花恭一たちばなきょういちです。よろしくお願いします」

 2人もそれに倣って同じように挨拶をする。

 「はじめまして。天月コーポレーションの秘書課所属の室井沙耶香です。本日はお忙しい中、お時間をいただき、誠にありがとうございます」

 「天月千尋です。本日は色々と勉強させていただきます」

 室井はともかく、千尋の丁寧な挨拶には違和感がある。まあ立花とは初対面だから一応は気を遣っているのだろう。しかし、公太に対しては初っ端から無礼だったのに何だか釈然としない。

 2人の自己紹介を聞いた立花は改めて驚愕によるものか目を見開いた。そして、再度「よろしくお願いします」と頭を下げた後、「ちょっと失礼」と一言言うや否や公太の首根っこを掴み、ハテナマークを浮かべる千尋と室井から少し距離を取る。


 「おい、何だよ」

 「花巻。俺とお前は幼馴染。……つまり親友だよな?」

 「……まあ、時と場合による」幼馴染というだけで親友かどうかは別な気がするが、ここで否定してもやかましくなることは目に見えるので公太は諦めて首肯。

 「だよな? だったらさ、教えてくれよ」

 「何をだよ?」

 「お前でも天月コーポレーションに入社したり、あんな美女と近づけたんだ。何かしらの催眠術やマインドコントロール術使ったんだろ?」

 「どいつもこいつも人のことなんだと思ってやがるんだ……」

 自分は両親からも幼馴染からもどれだけ信用がないのか。しまいにはグレるぞ。

 「……なんだ違うのか。…はッ! それならまさかお前脅迫しているのか!?」

 「『はッ!』じゃねーよ! 誰が脅迫なんかするか!」

 むしろ脅迫されているのは自分だという言葉を飲み込んだ公太は褒められても良いだろう。

 「大体そんなことできる知能が俺にあると思うか?」

 「むぅ……確かにそう言われると納得せざるを得ないな。それにしてもなんだこの説得力」

 自分で言ってて悲しくなる説得術である。公太は自尊心を対価に幼馴染からの疑いを晴らすことに成功した。

 「花巻君はしっかり社長である昭仁様とも面接をしたうえで入社を果たしたんですよ?」

 声が大きかったのか、室井が助け舟を出してくれた。

 「そうだよ。大体公太が私達を脅すことなんてできないもんね?」

 ニッコリと何ともまあ素敵な笑顔を向ける千尋。――畜生、あの写真さえなければ!

 「そうか、まあお二人がそう言うなら信じましょう。……それじゃ早速案内しますね。こっちです」

 公太の時の何倍もあっさり信じると、立花はすぐ正面にある建物を指し示す。

 「……Cafe Off Side?」

 アーケード街の中では異質なレトロな木造の建物の看板の文字を公太が読み上げると、立花は「おお、よく読めたな」と本気で感心の声をあげる。一体どれだけ馬鹿だと思われているのか。


 「Off Side……オフサイドってサッカーのですか?」

 室井がそう言うと立花は少し得意げな表情を浮かべる。

 「そうですね。ウチの店長サッカー好きで、こんな名前にしたみたいです」

 「でもなんかオフサイドってお店の名前としてはどうなんだ? どうせならハットトリックとかそんな名前のが縁起が良くないか?」


 オフサイドとはサッカーにおける反則の名称。一方ハットトリックは一人の選手が一試合に3得点を挙げることである。反則の名称より栄誉的な意味合いの名前の方が良いだろうという公太の発言は的を得ていると言える。

 「それについては俺も同感だが、こればかりは店長の拘りでな。オフサイドのように複雑な味わいを届けたいってことと、あとサッカー用語の中でアルファベットで書けそうだったのがオフサイドだけだったらしい」

 成る程。確かにオフサイドはルールがコロコロ変わるうえに分かりにくいから納得である。それにしても1つ目はともかく2つ目の拘りが残念過ぎる。公太がげんなりしていると千尋がジトっとした目線を送ってくる。


 「っていうか、公太は店名すら知らないで私をここに連れてきたの?」

 「いやー、女子ってカフェとか好きかなーって思って」

 「女子が皆そうだとは限りませんがね……」

 公太の言い訳に室井も苦笑いを浮かべている。え、そうなの? 1回目のデートは映画からのお洒落なカフェで観た映画の感想を語り合うのがベストってネットに書いてあったのに!

 「とりあえず、お店に入ってください。マスター、戻りました」

 立花がカランコロンと扉を開けると、一同の前には外観と同様の茶を中心とした落ち着いた雰囲気の店内の様子が広がる。そして、キッチンらしきところから厳つい体型の男性が姿を現す。

 「やあ、キミ達が見学希望の?」

 「はい、初めまして――」

 一同は先程と同様に挨拶をする。

 「初めまして。僕はマスターの田中だ。田中という字はあの田中碧と同じ字だよ。まあ、マスターと呼んでくれると嬉しいかな」

 田中という字でそんな丁寧な説明をする必要はないと思うが、サッカー日本代表経験の選手を引き合いに出すくらいサッカーが好きらしい。よく見ると壁にはサッカーのレプリカユニフォームが飾られている。

 一同は案内されるがまま、4人掛けの席に座って注文を取られる。お昼時であるのでそのまま昼食とすべく、それぞれパスタやらサンドイッチやらを頼んだ。

 注文待ちの間、千尋は余程興味深いのか店内をキョロキョロと見回している。千尋のそんな動作が浮いて見える程に店内は静かだ。レトロ調な音楽をBGMに、静謐な空気が形成されており、勉強や何かしらの作業をするのに適した空間という印象を受ける。……それにしても静かすぎないだろうか?

 公太が違和感を抱くとほぼ同時に注文の品が来る。千尋と公太は大盛りのカルボナーラにメロンソーダとお揃いで、室井はクラブサンドにアイスティーという注文である。

 食事をぼちぼちしていると、千尋は眉をひそめる。

 「おい、どうした? 口に合わなかったか?」

 公太がそう問うと、キッチン内からパリーンと何かが割れるような音がした。

 「ううん。……まあまあ普通にぼちぼち美味しいよ。……でも、何だろう……」

 それは本当に美味しいのか? と言いたくなるくらい微妙な感想を述べた千尋はうーむと唸る。

 「そうだ! 何か静かだなーって。私の知るカフェはもっとガヤガヤというか、いっぱい人がいるイメージだったんだよ! だから想像と違うなあって」

 千尋が正直過ぎる感想を述べるとまたもパリパリパリーンとキッチンで何かが割れる音が。

 「おバカ! そういう正直な感想は人を傷付けることがあるんだぞ! いくら客が入ってないなあって思ってもそれは心の中に留めておくべきだ!」

 年上らしく千尋に説教をかます公太に室井は苦笑いを浮かべる。

 「……花巻君もかなり正直に言ってしまってると思うんですが」

 ――そうでした、いっけね!

 室井からのツッコミを受けて公太が頭をコツンとしながらテヘペロをしていると、

 「……聞いてくれるかい?」

 「うわあッ! びっくりしたあッ!」

 まるで幽霊の様にフラッと現れたマスター。その表情はどんよりと冴えない。

 「ど、どうしたんですか!?」

 「……その、お察しの通りウチはずーーーっと閑古鳥が鳴いててさ、もう今日も営業を開始してから1時間以上は経ってるのに来たお客はたったの3人」


 「……」つまり公太達以外誰も来ていないということ。かなり絶望的な状況と言える。

 「正直もうどうすれば良いか分からないんだよね。だから猫の手も借りたい状況で……」

 「…………」

 成る程。何故立花が――いや、マスターが社会見学を許可したか見えてきた。この絶望的な状況をどうにかすべく、たとえ素人の意見だろうと聞いたうえで助けて欲しいと計算があったのだろう。

 飲食店の競争はかなり厳しいと聞く。これは早くに手を打たねば早晩に潰れること間違いなしだろう。

 どのような経緯で働くようになったかは知らないが、知り合いの勤務先である以上はどうにかしてやりたいが、どうにかしようと思ってどうにかなるなら潰れる飲食店などない。……だから、マスター、そんな捨てられたチワワのような目で見ないで欲しい。年上の男にそんな目で見られてもおぞましいだけだ。寧ろその表情を見て助ける気がなくなったまである。


 「あの、大変そうですね。応援してます……。――ファイト♡ ガンバ♡」

 面倒ごとに巻き込まれる前にトンズラこくに限る。そもそも目的は千尋の社会見学だ。過去にカラオケにてモテようと習得したミックスボイスと胸の前で両手をぐっと握る激萌えポーズで誤魔化そうと試みた公太の肩は万力の如く力で何者かが掴む。

 「おいおい、逃げるなよ。俺達友達だよな……! 助けてくれよぉッ」

 立花の手だった。ついに本音を漏らした。

 ――ちぃッ、逃げられないか!

 「おい離せよ。俺達は愚痴を聞きに来たんじゃないんだよ」

 抗議の目を向ける公太に立花はまあ聞けよとばかりに一度公太の肩をポンと叩く。

 「このお店を助けることは何もそっちに悪いことばかりじゃないんだよ。助けてもらうことで俺達は大助かりで、天月さんも社会経験を積める。……違うか?」

 「ほお……」

 意外にもまともな駆け引きを繰り広げてきた。

 「しかも仮にダメだとしてもそっちはノーリスクだろ?」 

 確かにその通りである。そう言われるとそんな気がしてこないでもない。そもそもマスターのあのうるるとした目にイラっときただけで手伝わないと決めるのは早合点だったかもしれない。

 公太は意向を確認すべく千尋と室井の方へと目を向ける。

 「つまり私達が救世主ってわけね!」

 千尋はとても素敵な解釈をして得意げな表情である。室井も特に感情を出してはいないものの、軽く頷いてみせる。

 「分かった。引き受けるよ」

 初っ端の社会見学にしてはややヘビーであるが、やることは決まった。Cafe Off Sideの立て直し。この店名やら店長やら立花やら不安要素は無数にあるが、やるしかない。

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