1章ー③ 青年、再就職早々困難を極める。
「あ、そういえば花巻君、キミの引っ越しが決まったから」
「ああ、そうですか。……って引っ越し!?」
まるで今日の晩御飯を告げるかのように超重要事項を伝える昭仁氏。公太の動揺など全く気に留めずに彼は続ける。
「そうだよ。キミが今着てるそれ、我々の制服だろう。キミがしてるように多くの社員もそれを着て出勤してくる。着替える手間も省けるしね」
「は、はあ……」
引っ越しから制服の話になって公太は訳が分からないがとりあえず相槌はしっかり打っておく。
「つまりその制服を着ているということは天月コーポレーションの証。誇り高き我が社に所属する人間があろうことかあのようなボロアパートに住んでるなんて、あってはいけないことなのだよ」
この社長は初めて会った時からナチュラルに失礼な人物である。
「というか、社長よく知ってますね。僕の住んでるところがボロアパートだって」
確かに何かしらの書類に住所は書いたが、自ら「ポロアパートです」等とは申告していない。
「ああ、それ調べたからね」
「え、わざわざ?」
「当然じゃないか。もしかしたらマイエンジェル千尋ちゃんに近づこうとする不逞な輩かもしれないじゃないか」
「ウッ!」
「ん、どうしたかね?」
突然胸を押さえた公太に対して昭仁氏はクエスチョンマークを浮かべる。「い、いや、仰る通りです。……天月コーポレーションに牙を剥くスパイかもしれませんしね」
まさしくスパイそのものである公太は生きた心地がしない。
「そうだろう。キミからしたらあまり気分が良くない話だろうが、分かってくれ。我々が監視――もとい管理しやすいようにと建てられた天月コーポレーション社員用の寮がある。そこに入ってくれれば家賃やその他諸々はこちらで負担する」
どうやら、調べられたとはいえ公太はシロと判断されたらしい。天月コーポレーションの目が節穴で助かった。
しかも家賃やらの負担がなくなるのはありがたい。あのボロアパートにお別れを告げる時が来たようだ。
「分かりました。そういうことでしたら引っ越しの準備進めておきます」
「ああ、いやその必要はないよ。もう始めてるから」
「え」
「キミの部屋の荷物はアマツキ運輸によって現在輸送中だ。PCもあったが念の為中身を確認させてもらったよ」
「……」何ということだ。つまり、自分の秘蔵データのあれやこれやを見られたということである。しかもサラッと掛けておいたはずのパスワードを突破してるあたりに恐怖を感じざるを得ない。……確認した輩を消すしかないか?
公太は密かに物騒な決心を固めようとする。
「まあ、そういったアレは人それぞれだが、マイエンジェルに火の粉が降りかかることがあっては良くない。消させてもらったよ」
消すどころか先に消されてしまったようだ。
「うわあああああああ!!」
思わず膝から崩れ落ちる公太をよそ「〈アレ〉ってなに?」「なんでしょうねー?」と千尋と室井がやり取りをしている。小首を傾げる無邪気な千尋を愛おしそうに見る室井は何もかも分かっていそうである。
仕事のクビを宣告された時以上にショックを受ける公太。アレに対してはなかなか思い入れが深かった。
「キミの部屋はもう決めてあるし、そちらに荷物を運ぶよう手筈は踏んである。一応その他諸々怪しいものがないかとベッドの下や本棚にカモフラしてないかも確認させてもらったよ」
一体この男は公太のこと何だと思っているのか。というかお宝の隠し場所に妙に実感がこもっているのは気のせいだろうか? まさか経験談?
しかし、公太のお宝はPCに全て置いてあったのだ。今度からリスク分散の為に他の媒体にも残しておこう。
「とりあえずその辺の引越し作業は全て行っている最中だ。キミは安心して業務に励みたまえ」
その昭仁氏の一言を聞くと、室井は未だ立ち直れない公太の肩にポンと手を置く。
「それでは花巻君、行きましょうか」
✳︎
室井の運転する車に乗せられた公太と千尋は、大きな団地のような場所へ。白い外観の建物の周りは手入れの行き届いた灌木が彩りを与えている。それに敷地面積がとにかく広い。
「ここが天月コーポレーション社員寮です」
「え! ここが!?」
なんとこの迷惑なくらい広いところが天月コーポレーションの社員寮とのこと。よく見ると引越し業者のような格好をした複数人が公太の見覚えのある荷物を運んでいた。……今、タンスを思いっきり擦っていたのは気のせいだろうか?
それはともかくとしてあのボロアパートには思い入れがあったが、家賃諸々負担してくれる上にこんな良さそうな建物に住まわせてもらえるのはありがたいかもしれない。
すると室井は公太の新しい部屋となろうとしている場所とは向かいの建物へと足を向ける。
「今から私の部屋で作戦会議をします」
「おー! それっぽくなってきた!」
「え、室井さんの部屋で?」
室井の声に右腕を突き上げる千尋。そして一方思わずアホヅラの公太。それに対して室井はさも当然と言わんばかりに頷く。
「はい。天月コーポレーション内や公共施設ですと他の人がいつ聞いてるか分かりませんからね。花巻君の部屋はまだ引越し作業中。その点を踏まえると私の部屋が適切かと」
室井は花巻様から花巻君へと呼び名を変えたが変わらず敬語。淡々とした説明には説得力があったが、公太の中で一つの不安が。
「確かにそうですけど、ここって社長が監視する為に建てたんですよね? 監視カメラとかついてるんじゃないですか?」
いくら先輩後輩の関係といえど、異性の部屋に入るシーン――ましてや千尋も一緒にとなるとそれを昭仁氏に知られた日には公太のクビは飛ぶだろう。おそらく物理的にも。
「問題ありません。ここの監視カメラは全て私が管理してますので映像を違和感なく差し替えることなど児戯と同レベルです」
サラッと恐ろしいことを言う室井。
「それに万が一見られたとしても問題ありません。寮や仕事の説明と千尋様との親交を深めるとでも言えば問題はありません。昭仁様は私の言うことは疑いませんから」
「そ、そうですか……」
1番恐ろしいのはこの室井なのかもしれない。だが、恐怖と同時に公太は胸の高鳴りを抑えられない。
公太とて今まで異性の部屋に行くことはあれど、先輩――しかも学生では出会いにくい5つ歳上の女性の部屋に行くことは初めて。――オラ、ワクワクすっぞ!
「公太の顔キモいよ」
鼻の下を伸ばしている公太にジト目を向けながら容赦ない罵声を浴びせる千尋。そのストレートな発言に公太は密かに深く傷ついた。
✳︎
室井に連れられて自室に案内される。一般的な会社の社員寮がどういったものかは知らないが、流石にこの1LDKの間取りの部屋に公太はたまげた。破格の待遇だと言えるだろう。
千尋はもう何回か来たことがあるのか「お邪魔〜」と何とも気軽に入室。そんな余裕もない公太はオドオドしながらも後に続く。
室井の部屋はテレビや姿鏡、食卓にノートパソコンやクローゼットやタンスといった必要なものは揃っているが、この部屋を見て室井沙耶香という人物像を具体的に思い描くことは難しいだろう。よく言えば整理が行き届いた部屋とも取れる。
「公太、室井の部屋ジロジロ見過ぎ」
千尋がまるで生ゴミでも見るかのような目つきを公太に向ける。
「そんな見てねーし!」
「うそ。だっていやらしい目で見てたもん」
「ち、ちげーよッ!」
先ほど胸を躍らせていたこともあり、イマイチ歯切れの悪い公太の言葉に説得力は皆無である。
「花巻君、一般的にあまり女性の部屋をジロジロ見るのはあまり宜しいことではないかと。それと、私をいやらしい目で見てもいいのは千尋様だけです。以後気をつけてください」
「ほら見てよ! わかった?」
室井という援護射撃を得た千尋は得意げにふふーんと胸を張る。幸か不幸か室井の失言には全く気がついてない様子。
しかも状況は1対2。数は力である。公太は釈然としないながらも「す、すみませんでした……」と素直な謝罪。謝ることは昔から得意なのである。
玄関に入ってすぐのフローリングの上の食卓を3人で囲う。
「では、これから作戦会議を始めます」
室井は3人分の紅茶と手作りと思われるクッキーを用意するとそう声を掛ける。
「まず、昭仁様の目的は千尋様に天月コーポレーションに入ってもらって、それから自分の目にかなった人物と結婚させること。もしくは別のところに勤めたとしてもいずれは昭仁様の目にかなった人物と結婚させること。結婚はいずれも相手を婿養子として迎え入れるということです」
室井はホワイトボードを引っ張り出し、そこにマーカーで文字を綴る。
「それはまた何というか……随分古典的ですね」
要は政略結婚というやつだ。自分で古典的とは言ったもののもしかしたら上流階級では割とよくあることなのかもしれない。だが、公太は妙な引っ掛かりを覚える。
「社長は千尋のこと相当溺愛してますよね?」
「公太いきなり気持ち悪いこと言わないでくれる?」
もし昭仁氏が聞いていたら泣き崩れかねないほどの暴言である。
「まあ、そう言うなよ。……一つ気になるんですけど、社長はあそこまで千尋のこと溺愛してるのにも関わらず、そこだけ頑ななんですね」
「……」公太の何気ない誰でも思いつくような質問に対して僅かながら沈黙が訪れる。
「それは――」
「お父さんは自分の会社を護りたいだけなんだよ」
何かを言いかけた室井の言葉に被せるように千尋は吐き捨てる。その表情はさっきまでとは異なり完全に無である。
それに室井は何も言わず、クールな表情の中に僅かな陰りを見せる。
「そんなお父さんのエゴに付き合わされるなんてこっちからしたら真平ごめんだね」
語気を強める千尋に圧倒されているとそれに気が付いた千尋は普段のあっけらかんとした様子へと戻る。
どうやら天月親子の関係は拗れているようだ。何となくではあるが、公太の中では千尋が昭仁氏を避けているように見えた。
しかし、今はそれ以前に取り掛からなければならないことがある。
「そうは言ってもこのままこんなプロジェクトまで勝手に立ち上げるくらいに社長が力入れている以上は千尋の方からも何かしら動かなきゃならないだろ」
公太の言葉に室井も首肯。
「その通りです。恐らくこのまま何もしなければ何時の間にやら婚約者が決められていたなんてことにもなりかねません。可及的速やかな行動が求められます。なので、私からの提案はこれです。千尋様には社会見学をして頂きます」
「社会見学? 何それ?」
可愛らしく小首を傾げる千尋に公太は驚きを隠せない。
「え、中学の時とかやらなかったのか?」
公太にとっては授業を合法的に休めるうえに、働く年上のお姉さんと話せるという素敵な行事だった。そのお姉さんの左薬指に指輪を発見して出会って数分で失恋したのも今となっては良い思い出だ。
「そんなのなかったよ。私の通ってた学校大体親の会社継ぐって人多かったし」
唇を尖らせる千尋。なるほど、たしかにアレは決してナンパの場ではなく、将来を考える為の行事だった。将来が決まっている者にとってはあまり意味がないのかもしれない。
「厳密に言うとあそこまでしっかりはやるつもりはありません。ただアポを取って実際の現場を見るくらいはやるべきかと。千尋様には現在やりたいことがないという状態です。このままでは『まあまあやればそのうちやり甲斐が出てくるから』等とブラック企業に説き伏せられることは自明の理。だから、やりたいことを見つける為に色々な仕事をその目で見てみるのはいかがでしょうか?」
「なるほど、それいいね! さっすが室井!」
目を輝かせた千尋は手放しで室井を褒め称える。
「い、いえ……それほどのことでもございません。……えへ」
顔を赤くして俯く室井の様子から室井が今の仕事にどんなやり甲斐を見出していることはなんとなく分かった。
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