1章ー② 青年、再就職早々困難を極める。

 昭仁氏との対面を果たした公太は途方に暮れた思いで天月コーポレーション本社ビルを後にする。

 まさかプロジェクト発案者がノープランだとは……思っていた以上に過酷な労働環境なのかもしれない。しかも強制終身雇用という悪魔の契約と言っても過言ではないオプション付きだ。


 もう空は暗くなり始めている。思えば長い1日だった。

 昼過ぎにブラついていたらたまたま助けることになった人物が社長令嬢で、その会社の訳の分からないプロジェクトに巻き込まれることになるとは。

 幸か不幸か、フクロウ銀行には入社して間もなかったから荷物は少なくもう今日の時点で全て持ち帰ってしまっているし、「もう顔見せるな! この野蛮人!」と言われ、その場で諸々の手続きを済ませてしまっているので顔を見せるつもりもないので身軽なものである。つまり、明日からいきなり例の【千尋ちゃんをパパのもとへ】というアホみたいなプロジェクトに参加せねばならない。


 ビルの入り口まで見送ってくれた室井には別れ際に「これはかえって好都合です。いくらでも誤魔化しがききます」と言ったが、色々と考えなければならないことが多いことも確か。

 そこまで考えたところで、学生の時からお世話になっているボロアパートに到着。

 そうだ、とりあえず両親にはこの近況を報告しておかねば。そう思って、公太は風呂を沸かしている間にLINEを送る。


 『フク銀クビになった。なんか天月コーポレーションに入ることになった』


 細かい事情は説明するわけにはいかないので、何とも簡潔な文章になった。20時過ぎは花巻家では夕飯直後の時間。すぐに既読が付いた。


 『公太、一度実家に帰ってきなさい。きっと疲れているのよ。母さんあれから評判の良い心療内科探したのよ』と母。

 『おい、いつになったら俺に催眠術教えてくれるんだよッ』と父。

 やれやれ、この両親は本当に息子のことをなんだと思っているのか。父に至ってはあれから母にシバき倒されただろうにまだ凝りていない。


 まあ、父はともかく母の疑いは尤もだと言えるのかもしれない。公太の取り柄が身体の丈夫さのみということは母が一番分かっている。そんな息子が仕事をクビになったならともかく(そう思われるのは癪であるが)、世界的な大企業である天月コーポレーションに入ったと言い始めたのだ。自分の周りの友人がそんなことを言った日には架空の作り話を疑うだろう。 


 『とりあえず明日から働くからしばらくは帰れない。あと父さんがまた催眠術のやり方聞いてきたぞ』

 自分の身を案じてくれた母に大丈夫だという代わりに返信を送り終えると、風呂が沸いたので入浴を済ませ、簡単な夕食を終えて、シバかれたであろう父に向けて合掌をしてから床に就いた。余程疲れていたのかあっさりと深い眠りについた。



 公太が目を開けると目の前には小動物を思わせる女性の姿が。その姿には見覚えがある。

 公太の元職場であるフクロウ銀行の窓口にてクレーマーに絡まれていた同期である新倉瑞希にいくらみずきだ。顔立ちが童顔なうえ、華奢な身体付きのため大学生、いや下手したら高校生にも見える。

 そんな彼女はベッドで眠る公太に対して馬乗りの姿勢になっている。

 新倉とは同期で同じ配属だったとはいえ、仲が良かったわけではない。むしろちょっと頑固だとすら感じるくらいに真面目な彼女のことは公太はちょっぴり苦手だったし、大雑把で呑気な公太のことを彼女も苦手としていたと思える。そんな彼女が何故公太に跨っているのか。しかもフクロウ銀行の制服姿で。

 「〈お礼〉、しにきたの……」

 公太の頭の中などお見通しかと言う様に彼女は艶っぽく微笑む。

 「お、お礼……!?」

 昨日からよく聞くが、一度もしっかりと受け取った記憶のないそれに公太は強く反応を示す。公太の反応に対して、新倉は恥ずかしげに顔を赤くして俯く。

 「花巻君に助けられて私、すごく嬉しかったの……だから……」

 そう言うと新倉は制服のボタンを一つ一つゆっくりと外し、上着を脱ぐ。

 ――こ、これはもしかしてもしかすると!?

 「だ、だから……?」

 動揺を全く隠しきれない公太の耳元に新倉は顔を寄せる。


 「花巻君のこと、好きになっちゃった」

 



 ――ピピピピピピッ!


 公太は6時に設定した無情なアラームの音によって現実へと引き戻される。

 目をパチリと開き、自分の上に跨る存在の有無を確認。そして、キッチンにてコーヒーの為にお湯を沸かしている人の有無、風呂場にてシャワー浴びている人の有無も確認。誰どこにもいない。朝チュン展開はなさそうである。公太は昨日1人で家に帰り、1人で寝たのだから当たり前である。


 「……うん、知ってた。夢だよな夢だよ。大体新倉さんが俺の家の住所を何故知っているのかとか、新倉さんはあんなはしたないことするはずがないとかツッコミどころ多過ぎだし、新倉さんは俺みたいな奴のこと嫌いなはず。だからあり得ない。うん、あり得ない」


 公太は内心ではすごくガッカリしながら、恐ろしいくらいの早口で誰に向かって言っているのかそれとも自分に言い聞かせているのか、夢に対する反証を連ねていく。

 文字通り、夢から目を覚まされた公太は自分の日常の変化を思い出す。窓のハンガーに掛けてあるのは昨日まで着ていた通勤用のスーツではなく、昨日支給された。天月コーポレーションの制服である。

 なんとこの制服見た目はただのスーツだが、ストレッチ性が高く、かなり丈夫らしい。まるでフリーザ一味の戦闘服である。そのうちスカウターとかも支給されるのではないだろうか。余談であるが、室井が着ていたのもこの制服の女性バージョンである。

 公太は簡単な朝食と身支度を整えるとその真新しい制服に袖を通し、ボロアパートを出る。

 

 向かうは天月コーポレーションの本社ビル。昨日までは生涯縁のない場所だと考えていたが、まさか2日連続で訪れることになるとは。

 本日の公太の予定は、昭仁氏から既に伝えられている。 

 まず千尋と対面(ここは初対面の振りをしなければならない)、そしてそこからは例のプロジェクト始動である。だが、例のプロジェクトが殆どノープランに等しいので予定はこの千尋との対面が終えれば、その後は白紙に等しい。そう、表向きは。


 実際公太は室井と共に千尋と昭仁氏を出し抜く為の今後の方針を立てていく予定だ。昨日の別れ際に室井が公太に言ったように昭仁氏がノープランであることはこちら側にとっては好都合。ただ怪しまれない為にも慎重にことを運ぶ必要がある。

 公太としては安心安全に生活を送る為にも可及的速やかにこんなスパイの様な生活からオサラバしたいところだが、現状どうにもならない。密かにチャンスを窺う次第である。

 8時過ぎに目的地に到着。あらかじめ言われていた通り、受付に向かう。 


 「えーと、天月コーポレーションの……」

 例のプロジェクト名が恥ずかしくて公太がモゴモゴとした口調になると、受付の女性は分かりますよ、と言わんばかりにニッコリと微笑む。

 「ええ、伺っております。花巻公太さんですね?」

 ――おお、流石超一流企業! 引き継ぎがしっかりしているのは勿論、こっちの心情をおもんばかってくれるとは!

 公太は密かに感動を覚えながら大きく頷く。

 「そうです!」

 公太の反応に何故かその受付の女性も目を輝かせる、 

 「まあ、やっぱり! 粗忽で貧乏臭そうな若者が来たら案内するようにって昨日室井さんから言われていたんですぅ!」

 「……そうですか」

 超一流企業の三流以下の接客態度に憮然とする公太をよそに受付の女性は「少々お待ちくださいねぇ」と間延びした口調で言うと内線を掛け始める。

 ――案外、俺って普通なのかもしれない。

 公太は自己認識を少し改めた。


✳︎


 そこからすぐに現れた昨日と変わらぬパンツスーツ姿の室井に連れられて公太はエレベーターに乗り込み、50階――つまり社長室へ。まるで昨日のリプレイだ。

 ただそこからが違った。「入りたまえ」という室井のノックに応じた声が聞こえてきたので入るとそこにいたのはゆるキャラ似の社長である天月昭仁氏、そして今日はその娘である天月千尋がいた。昭仁氏は如何にも社長然とした高そうなスーツに身を包んでおり、千尋は白いブラウスに膝丈くらいの黒いスカート。


 「おはようございます。……ん? こちらの女性は……?」

 我ながら白々しい演技だと感じたが、公太がスパイなどと知らない昭仁氏の前では千尋とは初対面の振りをしなければならない。


 「こちらは天月千尋。私の一人娘だ」

 全く疑う素振りを見せない昭仁氏は自慢げに娘を手で指し示す。

 「へえ、例の千尋さんですね。これはこれは社長に似て大変お美しい……」

 「うむ、そうだろう、そうだろう!」

 公太の見え見えの世辞に昭仁氏は大層気を良くした様子。だが、その隣に立つ千尋はムッと不満を露わにする。

 「千尋、こちらが今日からウチで働く花巻公太君だ。見た目は粗忽で貧乏臭そうだが、先程の発言通り彼は頭が良い」

 千尋の表情に気付かずに大層機嫌を良くした昭仁氏は公太に対して大層失礼な紹介をした。公太はお世辞を述べたことを少し後悔。

 「え、頭良い……?」

 

 それ以上に失礼な言葉を漏らしながら困惑した様子の千尋。――こら! ちゃんと演技しろ! 演技!

 公太の思いが通じたのか千尋はハッとすると、すぐに金持ちのお嬢様っぽい振る舞いに戻り、スカートの裾をちょこんと摘み、頭を下げる。


 「はじめまして、天月千尋です。お父様の言う通りの第一印象ですわ。どうかよろしく」

 「ぶふッ!」

 昨日までのお転婆っぷりを見ている公太はその様なお嬢様然とした立ち振る舞いを見て、つい吹き出してしまった。に、似合わねえッ!!

 「? どうしたかね?」

 不審そうな目つきで昭仁氏が問いかけてくる。それと同時に千尋と室井の凍えるような視線を感じる。いかん、しっかり演技せねば。

 「い、いやあ、何でもないです。ち、千尋さんがあまりに美しくて……。……ぷぷッ」

 しかし、人間笑うなと言われれば言われるほど笑ってしまうもの。公太は最低レベルの演技を続ける。だが、この様な大根芝居でも親バカという色眼鏡を付けた昭仁氏には通じたようだ。彼は深く納得した様に頷く。

 「そうかそうか。確かに千尋の美しさにはついこちらも思わず笑顔になってしまうものだ。よく分かるよ」

 実のところ何も分かっていない昭仁氏はそのまま話を続ける。

 「花巻君、キミには昨日も伝えた様に室井君と共に千尋の社会復帰を手伝って欲しいのだ。天月コーポレーションのために、そして千尋の将来のために」


 天月コーポレーションを継いで欲しい、早く結婚して欲しいという願望は流石に露骨には漏らさない。

 しかし、「分かっているよな」という昭仁氏の目つきに公太は「はい」と返事をする。その公太の様子に昭仁氏は軽く頷く。

 「千尋、今日から室井君に加えてそこの花巻君も千尋のお手伝いをしてくれる。存分に頼るんだぞ」

 「はい、お父様」

 聞き分けの良い返事をする千尋。恐らく「存分に頼る」という部分は彼女の中で「好きなように扱き使う」という具合に変換されているに違いない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る