1章ー① 青年、再就職早々困難を極める。

 体力ぐらいしか取り柄がないと自身を評価していた公太は、クビを宣告されたその日に新たな就職先を見つけるというミラクルを果たした。しかも、その再就職先は世界にその名を轟かせる天月コーポレーション。大金星と言っても過言ではない。

 その実態は殆ど恐喝によるものであるが、それを知るのは当人である公太、そして社長令嬢である天月千尋、そしてその千尋の従順なる僕である室井沙耶香の3人のみ。


 そんな邪道な再就職を果たした公太は室井の運転する車の助手席にて、天月コーポレーション本社ビルへと向かっている。これから、天月コーポレーションのトップであり、千尋の実父である天月昭仁あまつきあきひとに挨拶しに行く。


 この車には千尋は乗っていない。千尋を更生させようとしているプロジェクトの一員として入社する人材である公太を連れてくる際に同乗していたらスパイを疑われるだろうということである。つまり、この後公太は千尋と対面を果たす時には初対面のようなリアクションを取らなければならない。


 更に言えば、この車には現在公太と室井の2人きり。年上好きである公太からすれば非常に喜ばしい場面であるが、現在は気まずさに耐え忍んでいる。そう、この室井沙耶香という女、美女なのは間違いないがクールなのである。つまり、会話が弾まない。あの千尋へのデレデレっぷりがウソのようである。


 この車に乗る時に「よろしくお願いします」、「はい、シートベルトを着けてくださいね」、「あ、はい……」というやり取りを交わして以降はただ無言の時間が10分は続いた。

 ――お、落ち着け! 花巻公太! これからこの人は職場の先輩になるんだぞ。何とか良好な関係を築くんだ!


 普段ならこの美女とねんごろな関係になることを夢想して鼻の下を伸ばすところだが、今の公太は違う。この室井は自身の弱みとなる写真を持つ人物。つまり、機嫌を損ねたりすれば自分の生命の危機に直結する。だから少しでも機嫌を取らねばならない。

 自身の目的を確認した公太は意を決して声を絞り出す。

 「あのぉ、室井さんって俺が今回参加するハメに――いや、参加させていただくプロジェクトの最高責任者なんですよね?」

 室井は前方に注意を向けながら軽く頷く。

 「はい、そうですよ」

 「それってすごいことですよね? だって社長直々の一大プロジェクトですし」

 「……私の場合、実力とかではなく、完全にコネですね」

 「コネって……」


 そう聞くとさっきの聞き捨てならない自己紹介の中にあった〈社長の愛人〉という言葉を連想してしまう。

 「ちなみに、今花巻様が想像されたような破廉恥なものではありませんよ」

 「……」破廉恥な想像をしていた公太は黙り込むほかない。

 「私の父と千尋様のお父様――つまり、昭仁様は高校時代の同級生で悪友だったそうで、私は幼い頃から千尋様と時間を共にしてきました」

 「ははあ、なるほど。だから千尋もあんなに気安い感じなんですね」

 「ええ、中には大変そうだとか言う人もいましたが、千尋様の愛らしさと美しさを考えれば、完全にご褒美です……うふッ」

 「?」なんだか雲行きが……

 「今でもあの頃の出来事は鮮明に覚えています。一緒にしたお勉強、一緒に観に行ったサッカー。……そして、一緒に入ったプールにお風呂」

 「ちょっと、室井さん鼻血鼻血!」

 「……おっと、これは失礼いたしました」


 破廉恥な想像をした室井は鼻血を流しながらも、幸せそうである。登場時から怪しい雰囲気はあったが、この室井沙耶香という女も相当な曲者だ。運転しながら鼻血を拭いているので公太は事故を起こさないかと気が気でない。


 「……とまあそんな具合で私は千尋様とは長いお付き合いなんです。だから、天月コーポレーションに入社したのも、そして例のプロジェクトの最高責任者に選ばれたのもそういう背景があったからかと」

 公太の心配をよそに室井は軽快なハンドル捌きを見せる。

 「でも室井さんが千尋と仲良しなのは社長も知っているんですよね? スパイとか疑われてないんですか?」

 「そこのところは正直に申し上げると何とも言えません。だからこそ、花巻様の力が必要だって千尋様も考えたんじゃないでしょうか」

 確かにスパイも2人になれば、色々とやりやすくなるだろう。例えば室井が昭仁氏側の方に動きながらも公太が千尋側に回って行動すれば、こちら側の目的を果たしながらも昭仁氏に疑われる可能性は下げることができる。


 ここで公太は1つ気になっていたことを聞いてみることにした。

 「室井さんはずっと千尋をつけていたんですよね? 千尋がナンパされているところも見ていたんですか?」

 ファミレスで初めてその姿を現したが、あんな写真を撮っている以上はその前からもつけていたことは容易に想像できる。

 「ええ、そうです」

 その回答を聞いて公太は背中にうすら寒いものを感じた。

 「ま、まさか! ナンパされている千尋を餌にして俺を釣ったということですか!?」

 そもそも室井がいるのであれば、千尋が公太のもとに来るよりも早く助けに入れたはずだ。そう考えると、あのナンパ自体やらせだったという疑惑が公太の中で膨らんでくる。

 「いえ、あれは完全に偶然です。私はナンパされて戸惑う千尋様が大変可愛らしくて思わず出遅れてしまいました。気が付いたらあのような場面を偶然パシャリと撮ってしまいました」

 「そ、そうですか……」

 室井の整った顔がまたもふにゃりと崩れていることからこの話は信用しても大丈夫そうだ。


 「あのような場面も男手があると回避しやすくなりますしね。もしかしたら千尋様はそういったところも計算に入れてるのかもしれません」

 「えぇ……もうああいう荒事は嫌ですよ……」

 できれば頭を使う仕事もしたくない公太だが、そんなワガママは弱みを握られている以上は言えない。

 そんな公太に対して室井は微かに微笑む。

 「大丈夫です。いくら千尋様が可愛くてプリティーでキュートでも草食男子やら絶食系男子という言葉が流行るくらいのこのご時世にそこまでナンパされることはないでしょう。それに、基本的には指示は私が出します。花巻様には千尋様のために全身全霊を賭けて身を粉にしていただければ、私は他に何も望みません」

 要は命を賭けて働けということだが、今は渋々頷くほかない。

 公太は車窓からの景色を眺めながら小さくため息をついた。



 天月コーポレーションの本社ビルは50階建ての高層ビル。驚いたことにこのビル全体が天月コーポレーションの所有物とのこと。

 公太は目の前にそびえ立つビルを見上げながら、ようやく自分がこのようなバカデカい企業で勤めることを実感した。


 「こっちです」

 もう散々見慣れたのであろう室井は車から降りるや否やサッサと歩いて行ってしまう。公太は慌ててそのパンツスーツの背中を追いかける。

 受付前を通り過ぎて、エレベーターに乗り込むと室井は最上階である50階のボタンを押す。

 ガラス張りのエレベーターから見える地上からどんどんと遠ざかり、あっという間に目的の50階へ。


 エレベーターから降りるとすぐ目の前に社長室と彫られているプレートのある扉が目の前に現れた。

 室井は扉を数回ノックしたのちに「室井です」と中にいる人物へ呼び掛ける。


 「入りたまえ」

 中から重低音ボイスで返答あり。この数時間若い女性とばかり話していた公太には俄かに緊張が走る。しかし、室井はとくには気に留めず、「失礼します」という声と共に入室。公太はそれに続く。


 社長室なるものに入ったことがないので公太は何とも言えないが、多くの人間が社長室と聞いてイメージするであろう様子とそう大差はないように思える。天月コーポレーションほどの大企業となるともっと奇抜なものか、とびぬけてラグジュアリーなものなのかもと勝手に期待を寄せていた公太は肩透かしを食らった気分となった。


 そして、所謂社長席に座っている人物にも同様に驚かされた。

 あの威厳のある重低音ボイスとはギャップを感じる、ゆで卵のような体型につぶらな瞳は何となくゆるキャラを想起させる。お腹の肉が邪魔なのか、ジャケットのボタンを留めていない。体型は全く似ていないが、瞳から千尋との血の繋がりを確かに感じる。

 「キミが室井が拾ってきた花巻公太君か」

 まるで捨てられた子犬の様な物言いである。

 「はじめまして、室井さんに脅さ――いえ、拾われた花巻公太です」

 若干の皮肉を込めた挨拶にも昭仁氏は全く動じた様子は見せない。うむ、と公太を値踏みするように視線を走らせる。その瞳はつぶらなままだが、確かな経験をもとに色々と見抜かれてしまうような気がして、どうも落ち着かない。


 「ふむ、流石室井君。一見粗忽そうだが、何だか何かを隠しているようなそんな底知れない雰囲気をこの花巻君からは感じるよ」

 「ぎくッ」底知れないかはともかく色々と的中しているその指摘に思わず公太は身を強張らせる。――このおっさんただ者じゃないぜ!


 「ん? どうしたかね?」

 「い、いえ! 何でもないです!」

 そんな怪しすぎる公太の態度を特段気に留めた様子もなく、そうかね、と昭仁氏は立派な髭を撫でる。やっぱりこのおっさんはただ者かもしれない。


 「では、早速話を始めようか。室井君からも聞いているだろうが、花巻君、キミには我が愛娘千尋の更生を手伝ってもらいたい」


 「【千尋ちゃんをパパのもとへ】ですね」

 公太のその受け答えに昭仁氏は頷くが、表情を険しくする。

 「うむ、よろしい。千尋は妻である千代と、私に似て大変可愛らしい。しかし、社長の一人娘として色々と思うところがあるのだろうが、家出を繰り返しているのだ」

 「ええ」

 きっと千尋は母親似なのだろう。

 「まあ、最初は年頃なのだろうと軽く考えていたのだが、ついには大学まで辞めてしまったのだ。今までは小さな家出をしながらもそこまでのことはしでかさなかっただけにこれを重く受け止めている。このままでは千尋の将来が不安なのだ。そこで、このプロジェクトを立ち上げたのだ」

 「その辺の話も大体伺っておりますが、このプロジェクトのゴールはどこなんですか?」


 「それは千尋が社会復帰したうえで、理想的な結婚相手を見つけて結婚。そして、子供を産み、天寿を全うするまでだな」

 「え」――それって、俺死ぬまでここで働かないといけないってこと?


 いつの間にやら公太の意思とは関係なくライフプランが設計されていた。このままでは普通に公太は生涯を賭けてこのアホみたいなプロジェクトに付き合わされる羽目になる。

 公太は思わず室井の方を見るが、彼女はおもむろに目を逸らし、既に日が落ち始めているのにも関わらず「いい天気ですねえ」等と訳の分からないことを抜かしている。

 ――畜生、ここに俺の味方は誰もいないのか!


 「この天月の血は必ず次に繋げなけらばならないのだ」

 そう言った昭仁氏の表情は本気と書いてマジである。逆らった日には実験室に連れて行かれたうえにマシンガンでハチの巣か、バズーカで木っ端微塵にされかねない。

 どっちみち公太に断る選択肢はない。千尋にもこの昭仁氏にもこき使われるであろうことが確定した。公太は小さくため息をつく。

 「わかりました。でも更生させるって具体的に何をするんですか?」

 「え」

 不意を突かれたかのようにそのつぶらな瞳をパチクリさせる昭人氏。そんな昭人氏の様子に公太は嫌な予感。

 「え、ちょっと待ってください。まさかプロジェクトを発案した当人が何も考えなしってことはないですよね?」

 問い詰める公太に対して威厳を保つために昭人氏は「ウオッホンッ!」と大きく咳払い。

 「花巻君、私は仕事をしていくうえで心掛けていることがあるんだよ」

 「? は、はあ……」

 なんか急に始まったぞ。

 「ただ上から指示をするだけでは、される側も待っているだけじゃあダメだって」

 「…………」つまり、何も考えていないってことですね?

 しかし、公太もあまり強くは出れない以上はこれ以上は何も言うまいと諦める。

 「分かりました。俺も社長を見習って自主的に考えたうえで様々なアプローチを試みます」

 「うむ! その意気だ! 頼んだぞ!」

 嗚呼、先行きが不安である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る