第3話 お前等、ホント、うんこだな
空を仰ぐと、灰色の雲が折り重なる天蓋の隙間から、星々が錆びた銀のような光を静かに落としていた。夜気は重たく湿り、帝都の喧騒を包み込んで反響させる。歓楽街は魔道灯が昼間の太陽のような白光を放ち、石畳は熱を孕んだ空気をゆらゆらと漂わせている。酒の甘い匂い、焦げた肉の香ばしい匂い、そして人々の笑い声や口喧嘩の声が、層を成して空へ積み上がっていく。
大通りには人が溢れ、酔いに足取りを狂わせながらも、ぶつかれば舌打ちをし、しかし器用に避けながら流れていく。混沌そのものだ。
私が勇者を土下座させるため、帝都外縁の森林エリアに存在するお屋敷街――その奥まった場所に建つ魔術士邸へ向かったところから、すべてが始まっていた。
そこでは、美人賢者と猫族の爆乳剣士、そして狼族の幼女へ手を出していたロリコン変態魔術士に対し、「処刑せよ」という神託が降りてきたのであるが…
そう。問題はその後だ。スキル『アビスカーズ』の効果で私のステータスが80%以上も削られたまま戦闘に突入したせいで、動きが鈍っていた。音速で射られた矢を人狼少女に撃ち落とされるという予期せぬ事態となったのち、私はいったん戦略的撤退を選ぶこととしたのであった。
その後、いつもの酒場へ戻ってきたところである。
酒場の扉を押し開くと、むわりとした熱気が体の芯までぶち抜いてくる。これは人からにじみ出るただの熱量。冒険者達が酒を煽りながら陽気に叫び散らし、その声がホール全体へ跳ね返って混沌の大河をつくっていた。
席は400超。だが、今日も漏れなく満席だ。
ここに集う連中は、毎晩のように狂乱じみた騒ぎを繰り返すが、他にやることが無いほど暇を持てあましているのだろうか。そう考えると、少し可哀想……いや、やっぱり可哀想じゃない気もする。
派手な十字架が刻まれた衣装を揺らしながら、私は店内奥のいつものテーブルへ向かう。鬼可愛い宿命なのだろう。女の子にかまってほしい酔っ払いからひやかす声が飛んでくるものの、いつものように無視をする。既に席には勇者が一人、うなだれた姿勢で酒をちびちび飲んでいた。
おいおい。さっきまで一緒に魔術士邸にいたはずなのに、どうやって私より早く戻っているのだ。逃げ足だけは世界最速なのかしら。逃げ足一筋で生きる勇者に需要なんて、果たしてあるのだろうか。
酒場へ来る途中で、スキル『アビスカーズ』の効果は完全に消えていた。魔術士邸から離れたてなしばらくの間、ステータスダウンが続いていたが、どうやら持続時間に制限があるらしい。
そして重要なのは、あれがフィールド全域に及ぶ無差別効果ではなく、“視認した対象へのみ発動するタイプ”だという点だ。
というものの、私は『自己再生』を所持していて異常効果へ強い耐性を持つはずなのに、それでも喰らった。はい、油断していましたよ。
————つまり、姿さえ見られなければ『アビスカーズ』の効果を受けることがないということだ。
魔術士ゾロアの攻略になりえるような障害は全くない。
ノープレプレムだろ。
暗殺系スキルを山ほど所持する聖女――それが私だ。遠隔攻撃もできるため、魔術士からすれば最悪の相性となるだろう。
勇者はずっと俯いたまま。私は断りなく向かいの席に腰を下ろと、どこからともなく強斥候が影のように現れ、勇者の隣へ滑り込んできた。
「三華月様。お疲れさまんさっす。
勇者はその言葉に少しだけ反応してきたが、またすぐに死んだ魚のような目を伏せた。仕方ない。
美人賢者が魔術士のハーレム嬢の一人にされていた――その事実を知ってしまったのだから。
強斥候に黙っておくのも変だし、ここは私が説明するしかないだろう。
「魔術士はハーレムを作り、ウアウアしていました。」
「え。ハーレムですか!」
「はい。
「確認なんすけど……アメリアがゾロアのハーレム嬢になってたってことっすか。」
「そうです。俗に言う、都合のいい“やるだけの女扱い”って奴ですよ。」
「な、なんですって!」
「さらに付け加えると、魔術士には“やるだけの都合のいい爆乳の姫達”が何人もいました。」
強斥候の顔から血の気が抜け、次の瞬間には逆に紅潮し、こわばった表情へ変わる。
勇者も手で目元をこすり、現実逃避しようとしている。うむ、いい反応だ。こういう表情が見たくて、あえて生々しい言葉を選んだのだ。
案の定、強斥候が食いついてきた。椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、怒声を放つ。
⸻
「
「
「謳歌……まじっすか。それ本当に?」
「はい。エロ魔術士は、奴隷プレイなどを楽しんでいるのではないかと思われます。」
「奴隷プレイ……って。マジっすか。羨まし過ぎる。上記が保てないっす! うわぁぁぁ! 僕もアメリアの奴隷になりたいんすよ!!」
強斥候の目がぎらつき、血走った光を帯びていた。
――なるほど。
奴隷役の方をやりたかったというわけか。
彼の苛烈な声が飛ぶと、周囲の客達も騒ぎを止め、こちらへ耳を向け始める。酒場の喧騒が一瞬だけ薄皮のように剥がれ、その下から好奇と下世話な興味を孕んだ静けさが滲み出る。
ここまで注目が集まってしまっては仕方がない。
もう少しだけ遊んでやろうか――うんこ達を。
「
「はい。羨まし過ぎて、許せないっす。」
「それは、まじで、羨ましい!」
今まで黙って飲んでいた勇者が、なぜか急に会話へ混ざってきた。
酒場全体は冒険者達の笑い声とテーブルを叩く音に満たされているというのに、私達の席だけ異世界のように空気が重い。
裸にエプロンというのは半ば思いつきの妄想だったが、ロリコン変態魔術士なら普通にやっていそうなのが怖い。
そして美人賢者の受け身な性格も考えると、容易に想像できてしまうから困る。
勇者と強斥候は顔を真っ赤にし、羨望と怒りを半々に混ぜた複雑な表情を浮かべていた。
よしよし。もう少し煽って、うんこ達を転がしてやるとしよう。
「巨乳プレイとか、ロリコンプレイなんかも楽しんでいるかもしれませんね。」
「僕の野望を現実化しているなんて…。ありえない。先を越された。」
「俺の浪漫が……。」
「野望と浪漫ですか。いいでしょう。それを叶えるための解決方法がありますが、お二人に教えて差し上げましょう。」
「教えて下さい!」
「教えてくれ!」
「魔術士パーティーへ加入させてもらったらいいのですよ。」
「そうだ。その手があったっす。」
「
「だが、実際のところは頼んでも、パーティーには加えてもらえないでしょうね。」
「やっぱり駄目っすか!」
「絶対に俺達は、その輪に入れてもらえないのか!」
「私はそんなクソ虫の魔術士を処刑しようと思っております。
「僕は三華月様を手伝うっす。」
「俺も手伝うぜ。」
魔術士ほどの変態ではないにしても、この2人も立派なうんこ野郎であることに変わりはない。
さて本題だ――魔術士を仕留める件だが、私からすれば難易度は低い。正直、余裕で簡単な部類へ入ってくるだろう。
とはいえ、魔術士側もそのことは理解しているはず。
ならば、こちらの狙撃を警戒し、魔術障壁を張れる奴隷を増やす可能性は大いにある。
「魔術士は、次の戦いに備えて、奴隷の数を増やしてくるかもしれませんね。」
「もっと奴隷を増やすって、絶倫過ぎるだろ!」
「
勇者と強斥候の顔がこれまで以上にひきつり、声が震えていた。
周囲の冒険者達のテーブルからも、どよめきが漏れる。
……まったく、お前達は何を想像しているのか。煽ったのは私だけれど。
「魔術士は、戦力を上げるために奴隷達を買い増ししてくるかもしれないと言ったのですよ。」
「そうか。もっとやるために奴隷を買い増しするのかと思ったぜ。」
「僕も、そう思いました。」
「でも、可愛い女の子を購入したら、その奴隷達全員とはやってしまうのでしょう。」
勇者と強斥候は、腹をすかせた獣が肉を前にしたような目をし始めた。
お前達、本当にうんこだな。
そのうんこ達が、真剣な顔で魔術士の処遇について聞いてきた。
「三華月。お前、
「定番になりますが、はりつけ獄門の刑なんかどうでしょう。」
「はりつけ獄門の刑が定番だと?」
「冗談で言っているとは思えないです。」
「はりつけ獄門の刑が気に入らないなら、どうやってブチ殺してやるか悩んでしまうではないですか。」
「俺は三華月を手伝う。だが、
「
「あなた達、まさかの良い人なのですか。」
「いや、普通、人殺しは駄目だろ。」
「人殺しは犯罪っす。」
「それでは、〇〇をチョッキンしてハーレムが出来ない状態にしてあげましょうか。」
「いや。それも駄目だろ。」
「あれをチョッキンって酷いっす。」
「となると、スキルを破壊するしか方法が無くなりますよ。やはりチョッキンでいいのではないですか。」
「いや。そのスキル破壊の方で頼むぜ。」
「
不完全燃焼ではあるが、2人の希望どおり、その方向で処理することにしよう。
面倒ではあるが、仕方がない。
ロリコン変態魔術士の『アビスカーズ』を、『SKILL_VIRUS』により破壊して差し上げましょう。
さて、魔術士を狙撃するタイミングについてだが――勇者と強斥候が珍しくまともな意見を口にしてきた。
「
「そうっすね。僕が
なるほど。
魔術士側からすれば不意打ちを仕掛ける局面だというわけか。
理にかなった考え方であるのは認めざるを得ない。
ならば私は、この酒場に近づいてくる魔術士を迎え撃てばよいということだ。
まともな戦術を語ってきた2人は、うんこであるのは違いないが、一応それなりの冒険者であるということか。
「
「「…」」
先ほどから嫌な物を見るような目で見られているが、それは美少女を見る目ではない。
まぁ、うんこ達にどう思われようが構わないがな。
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