第54話 七月一日➄

 電話を切ってからの僕の行動は迅速だった。流石にあんな情報を手に入れた後、僕には照間千景、いや佐倉千景、もといちー兄ちゃんに事情聴取しない選択肢はなかった。だからこそ、姉を彼女に任せて僕はコミューターに乗らない決断をした。

姉曰く、ちー兄ちゃんは今朝起きた時には全ての荷物をまとめて置手紙で宿泊の感謝を残して出て行ってしまったらしい。それゆえ、姉宅で帰宅を待つという完全で失敗のない確実な方法を取ることはできない。しかし、夜田先生からの情報で光明は差した。

目撃されたその教授は手ぶらだったのだ。

と言うことは、どこかに荷物を預けている可能性が高い。そこで僕は一つの可能性に賭けることにした。とはいえ、少しばかりの理論や経験則はある。まずはやってみるしかない。




 「なるほどな。俺のことやから馬鹿の一つ覚えみとーにおんなじコインロッカー使うやろおもて張り込みしとったら案の定のこのこ標的がやって来たちゅうわけか。

「ほんで、どれくらい待っとったん?」

「三分だね」

「早すぎやろ、コントかいな。待つ側も早すぎて拍子抜けする記録やないかい。牛丼か」

昨日までとの口調とは違い、完全に関西弁に戻っている目の前の人物にドキドキしている。外見は昨日までと微塵も変わっていないのに、まるで別人のような印象を受ける。そう、なんというか今日のちー兄ちゃんの方が、過去の幻影を感じる。

人はこんなにも瞬間瞬間で変われる。

そんな事実を、現実を、喉笛に突きつけられているような、そんな感覚。

『お前の心の変化など、些末なことで何ら特異なことではない』

そんな指摘の声が心をフリーフォールのように揺さぶった。

 二人で入った小さいが雰囲気のある喫茶店は、僕ら以外の客が居らず、面している大通りを走行する車たちによって時折振動が伝わってくる。

「本題の前に聞いておきたいのだけど、なんで昨日まで標準語を流暢に使いこなしていたのに、懐かしさすら感じる関西弁に戻ったの?」

「そりゃな、感染したんや」

何にだろう?それこそ、彼女が言っていた接触感染するウイルスみたいなものだろうか?

そうかと聞いてみると

「あいや、そんなんちゃうよ。要はあれや、寄もとしちゃんに電話するときは、としちゃんの関西弁に引っ張られてもうて、少し関西弁っぽくしゃべってまうやろ?それと一緒や」

まさしく僕自身、祖母(下の名前をとしよという)と話すときは関西弁に引っ張られてしまう。と言うより、完全に似非関西弁をつかう。

長年日本を離れていたとしても、それまでの人生をずっぷり関西で過ごした人間と言うのはこうなってしまうということだった。

「なるほどね、腑に落ちた」

そして皆さんお待ちかね、本題である。

「で、なんでこの研究を、今発表したの?」

先ほどまでの和やかな雰囲気を消して、最大限感情を排除して聞いた。

「そんなん簡単やんか。研究がまとまったのが最近やったちゅうだけの話や。

「研究者に完成した論文をすぐに出すなって言いたいんなら、それ相応の対価は必要やろうな。なんせ今行われる研究のほとんどは、地球上にある未知の概念が対象や。それからそれを初めて解き明かしたたった一人の人間がその功績を独り占めできる。人にたたえられ、自身で誇ることが許される。聞いたことないか?IPS細胞でノーベル生理学・医学賞を取った山中っちゅう学者さんもおんなじ研究をしとった外国の研究者と一日とか寸でのところで先に論文を発表したから、賞までついてきた話。その外国の方は何にもなしや。しいて言えば今回の場合は山中さんがこういう話をしたからこそ、俺らみたいなその界隈でもない一般人がその情報を手にしとるわけや。

「寄、お前がその名声を用意できるんか?失った賞を取り戻せるんか?」

それは、できない。でも、僕はそのことを知って少し安心した。

「それは、できないよ。確かに、その点においては僕の考えが間違ってた。ごめんなさい。

「でも、僕嬉しいんだ。こんな事態になって、何となく関連性を感じざるおえないタイミングだったから、混沌を巻き起こすために意図的で、人為的で、恣意的に、悪意を持って出されたんじゃなかったことにほっとしてるんだ」

「そりゃあそうやろ。偶然話が繋がった。いや、繋がってるように見えてしまっただけやしな」

お互い、一瞬あった疑惑の念と言うか、不信感のようなものを拭えたようで冷静になれてきていた。

「言うてしまえばな、あの研究は元はと言えば俺が一から始めたわけではないねん。ドイツで夢の研究を始めた時に出会ったおっさん、いやおじいさんって表現のほうが正しいねんけど、まあその人が何代かは忘れたけど、先祖から受け継いで続けていた一子相伝の命題らしくてな。ほんまにっすごいねんで、なんて言うたって、その研究のために学校建てて生徒全員を寮生活の中で完璧に管理して、その夢を一人ずつ毎日記録させるっちゅう話や。

「それこそ、兵隊みたいにな。

「とはいえ、教育の場としてはみんな平等に管理されたからこそ、真面目で規律正しい生徒がほとんどで学校としての評価はすこぶるよかったらしい」

「でもなんで、そんな家族操業の研究を家族でもないにいちゃんが発表したわけ?」

「ほら、俺結婚したっていうたやろ?」

「あっ、じゃあ、奥さんがその家系の血筋だったってこと!?」

「いや、ちゃう。兵庫ンジョークや」

 関西人としてそのセンスはどうなんだろうか。大阪と言わないところ、関西圏でのプライドが見え隠れしている。

とはいえ、ちょっと意地悪をしてみる。

「兵庫何って言った?」

「語呂悪かったな、別のんにするわ。んー、そやなー、Germanyジョークや」

ドイツ人の国民性が国名を冠するほどユーモアがあるイメージは無いのだが、本人的には先ほどより良い感触を持っているように見受けられる。

「まあ、外国産ジョークはもうええとして、本当はこの前言ったように奥さんは完全に日本人の血しか流れてへんし、ただただそのおじいさんの跡取りが居らんかったちゅうだけの話なんよ。

「そのおじいさんも子供ん時からその学校に通ってたさかい、真面目で研究のことばーっかりしてたもんやから、結婚適齢期逃したらしくてな。ウケるやろ?笑ってやってくれよ。

「ほんでもって、もうヨボヨボで死にかけやから俺に託すってゆうて、ぽっくり逝きよった。いやー、奇麗な死目やったで。あれは上杉達也でもそう言ったやろうね」

「上杉達也って誰?」

「え、知らん?『タッチ』。うわー、マジでか。ショックやわー」

「なんでもいいけど」

若干引き離すように言う。

「でもさ、その人もにいちゃんに託すことで救われたんじゃないかな」

「まあ、そうかもしれんな。でも、そうじゃないかもしれん。死んだ人には墓の前に行ったとて、実際話せる分けちゃうし。

「なんやったら、あのじいさんがピンピンしてた時期でもう研究としては充分根拠となる実験結果は出てたんやけどな。そこは真面目さが裏目に出たっちゅうんか、不器用やったな」

「そっか」

そのおじいさんの話をする時のちーにいちゃんは、寂しげな部分もありながらどこか淡白な気もして、その人との関係性を読み取れた。

「仲、良かったんだね、その人と」

「せやな、歳は離れとったけどぎょうさん話したし、離れていたからこそぎょうさん教えてもろたわ」

だからこそ、と力強くにいちゃんは言う。

「だからこそ、俺が代わりにあの人んことを知らせて行かなあかんと思うんよ」

カッコいいと思った。そんなふうに思える関係性をうらやましいと思った。

「なんや、カッコつけてしもたわ」

へへっ、と笑ってた。

「そやけど、今回の件に関しては、俺も聞いたこともない事象ねんな。まあ、学校っちゅう範囲が、地球っちゅう範囲になった言われたらそうなんやけど。異例中の異例ってもんや。奇例ともいえるし、なんやったら綺麗な結果ともいえる。なんせ、誰もが一人残らず経験しとる訳やからな」

研究者としての見解としても、異常なことだと言われると少し不安が残る。

その感情が伝わったのか、

「一旦、もっと別の話しようや」

なんかないか?と、話を自分で区切った割にこちらに振ってきた。振って来てくれたというほうが正しいか。でも関西人なら鉄板トークの一つや二つで自分から話してほしいものだが。あつあつの鉄板たこ焼きジョーク。いや、この人の場合明石焼きジョークか。

ここでは兵庫生まれで実質関西人の僕が思いついたのでなんとかできるが。

「んーん、あ、そういえば、一昨日ちー兄ちゃんとあの博物館前であった日、僕前日にあのあたりでちー兄ちゃんとすれ違う夢を見たんだよ」

丁度よい、それに話す相手もドンピシャな話題を思いついた。

「へー、そうなんんや。そんなん、予知夢やんけ」

興味深そうにちーにいちゃんも食いついてくる。やはり夢を研究していただけある。

「完全に状況は同じやったんか?それとも違うんか?同じやったら大したもんなんやけどな」

「えーと確か夢ではもっと日が落ちてて、人も一人もいなかったし、ちー兄ちゃんは僕が最後にあった時の姿で正面から来たから大分違う部分が多いかも」

そんな僕の説明を聞いてちー兄ちゃんの目つきは変わった。

「そうなんか……。改めて確認のためにに聞くんやけど、寄はあの甥っ子ちゃんの夢は現実にならへんと思っとるんよな?」

真剣に僕の顔をまじまじと真っすぐにとらえる二つの眼は僕の水晶体の奥まで見透かすような冷たさを感じた。その様が、さっきまでとは一転、恐怖を感じさせた。

「そ、そうだよ。あんな夢はただの夢だよ。現実にはならない」

そう答えると

「ほんなら、寄の行動は矛盾しとるんちゃうか」

そう言った。

「ええか?寄は、今お前自身の敵ともいえる奴らと同じことをしたってゆうたんやで。

「夢で見た光景を真に受けて、なんとのーでその付近行きよったら、あれまびっくり『夢の通りやん』ってどんなけ都合いいねん。

「自分に利点のある夢やったら信じてええんか?不都合やったら信じんでええか?

「普通の夢やったら、それでもいいかも知らん。ほんでも、あの夢見た後寄自身が夢と言う同じ現象に対しての捉え方が別々じゃあ、示しがつかんやろ」

真っ当な指摘で、ぐうの音も出ない。まったくその通りだ。たとえあの時どれだけ僕が傷ついていて、今朝見た夢で描かれた慕っていた背中が恋しくっても、結果的にその人物に会えたとしても、僕はあの場所に行くべきではなかった。行く選択をするべきでは無かったのだ。

何も言い訳はなく、ただ下を向いて黙る。

その後はじめに口をついた言葉は

「ごめんなさい」

だけだった。謝るのが正しい状況なのかは正直分からない。でも謝罪の言葉しか出てこなかった。

それを聞いて未だ険しく恐怖心を煽っていた人物は

「反省できるなら、どれだけ間違ってもええんやで。大事なんは本番で間違えんことや」

と、少し呆れた表情も見せながらも、さながら兄のように包んでくれた。

「あの論文を書いた俺が保証したる。あの夢は正夢にならん。人もだーれも死なへんし、赤ちゃんも元気に生まれてくる。寄も死なへん。

「だって、お前がこの物語の主人公やから」

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