第44話 六月二十九日③

「なるほどなるほど」

話を聞き終えたちー兄ちゃんはそう言うと、

「まず始めに聞いておきたいのは、寄自身前の自分に絶望した結果、今の零の状態になった訳だろ?と言うことは、前よりは今の自分の方が本人的にも社会的にも健全だと思ってるってことでいいか」と聞いてきた。

「僕個人としては、今の方が健全だと思う。でも社会的に見れば、人との交流は極端に減ったし、健全かと聞かれれば疑問は残るし、なんというか前までの僕のことは人との交流量やコミュニケーション力が七割、そのコミュニケーションを通じて無自覚に人を傷つけていた事実が三割だと思っていて、僕はその七割の利益よりも三割の損失を許せなかった。そんな自分でいたくなかった。だから、質問の答えとしては、今の僕は社会的には不健全になったかもしれないけれど、本心的には健全になった、っていう感じ、だと思う」

「そうか。ふむふむ」

ふむふむと口に出すところ、やはり佐倉家の血筋を感じた。そしてちー兄ちゃんの考察が始まった。

「寄の自分の変化に対する捉え方は理解できた。でも、俺が思うにもっと評価していいことだと思うんだ。心を入れ替えるきっかけが当事者の一方がすでに乗り越えた懸案であったことは別に関係なくて、きっかけは何でもよかった。

「さっきも話したように俺は精神科学と哲学を学んだけれど、この二つはなかなか相性が良くて精神の変動の理由は哲学的にも考えることができるんだ。

「今回の寄の場合、寄はきっともともと他人を対象化するのが得意だったんだと思うんだ。他人と言うのは自分とは可分なものだと深層心理で理解していて、他人を理解するために他人の気持ちになって考えると言う行為を行う発想を持っていなかった。他者の心が寄の心の中にあるという存在の証明がここに、この世界にないことが分かっていたから、他人の感情を推し量る時、己の心を媒介にすることを潜在的にしていなかった。『自分は自分

人は人』という割り切りが極端にできていて、想像で補った第三者の心が正しいかなんて詳らかにできない時点で、その行為に意義など無いと打ち止めしていた。だから、他人を傷つけてしまうこともあったし、父親の心情の機微も分からなかった。

「人は夢の中では、夢を見ている本人が夢の中にいるということを知覚する前にだって何かを考えたような素振りで導いた行動をしている。でも、それは何かの主義主張や生きる上での方針、というか、イデオロギーと言われるようなものに全く則っていない。それと君は同じ状況だったんじゃないかな。

「じゃあ、なぜこんな人間が十七歳になるまでつつがなく人間関係を築けたかと言えば……ただ幸運だったことに尽きる。他者の発言に一切の疑問を持たず、一から百まで『そういうもの』と受け取っていたことが裏目に出なかったとしか、言えない。

「とはいえ、人間の機構はうまくできていて、寄は脳内では他人の感情を考えていたことになっているように処理されていたんだよ。こういう風に考えると、そんなように思えないかい?

「そんなマイナス極まりない存在であった状況から、零まで戻って来たということは素晴らしい事なんだよ」

最後に付け加えられることと言えば、とちー兄ちゃんは続け

「高校生は何一つ考えながら日々を送っていない、という外的要因もあっただろうね」

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