第43話 六月二十九日②
「いやー、びっくりしたね。久しぶりに帰ってきた日本で偶然寄に会うんだから」
そう言って笑うちー兄ちゃんは大人びて、そしてあの頃とは変わって見えた。見えるだけではない。僕の心の中のちー兄ちゃんはいつも関西弁のイメージだ。そういう意味では聴覚でも変化を受け止められた。
頭では把握していた七年と言う時間は、実際に会って五感で捉え、感じてしまうととてつもなく残酷だった。
その感情とは裏腹にちー兄ちゃんのほうは楽しそうだった。
色々聞きたいことがあるのにいざ目の前にすると、あの日の面影とのギャップがのどに詰まった。
「寄は今いくつだっけ?えっとー、俺と八つ違いだから十七歳、か。じゃあ、高校二年生じゃん。一番楽しい時期ってやつだ」
現状を知らないからこそ『一番楽しい時期』という普遍的な感覚が僕を襲った。
心の痛みはマイナスを超えていてもはや分からなくなってきている。
「まあぼちぼちかな」
とそっけない返答を自らの質問で上書きする。
「そんなことより、この七年間何処にいたの?おばあちゃんも心配してた」
「あー、ばあちゃんには悪いことをしたと思ってる。まあ、親父が何も言わないで出てきたって言うし、訳を聞いても『ただ世界を見たくなっただけだ』っていうもんだから、頑固者貫いちゃって俺も母さんも、連絡を取らないように言われてたんだよね」
「二番目に聞きたいことを先に答えてくれてありがたいんだけど、結局何処にいたの?」
「おー、悪い悪い。ドイツにいたんだよ、ついこの間まで」
純粋に日本国内のどこかだろうという考えていた僕はかなりミクロな視野だったらしく、改めて考えると国外では七年会えなくとも不思議ではなかった。
「ま、今回帰ってきたのは俺だけなんだけどね。親父は今あっちで漁師やってて、今は何か忙しそうだったし、母さんも日本語学校の教師だし父さんが残るなら行かないって」
次々に入ってくる情報に圧倒されながらも生存が確認できたことでおばあちゃんに一方的に交わした約束を実現の可能性が出て少し安心できた。
「そうなんだ。何はともあれ、生きててよかったよ」
「大袈裟だよ、流石に人間、簡単に死んだりしないよ」
もう一つ、聞いておかなければいけないことがある。
「と言うかさ、叔父さんとうちの父さん、喧嘩したままなんだよね?まだ、怒ってるのかな」
「え、喧嘩してたの?まじで?全然知らなかった。いわれてみれば確かに移住したての頃はおじさんのおの字も出さなかったけど、最近では二日に一回は『兄貴は昔……』って兄弟自慢してたけど」
重量感のある話題だと思い覚悟を決めて聞いた質問だったのに、拍子抜けするほど軋轢が自然消滅していて、困惑する。ちーにいちゃんもその件について知らなかったことも相まっていた。
それなら。
僕は何で。何をもって苦悩していたのだろうか。自我を失うほど僕を攪拌した原因はひとりでに終わっていたというのは、滑稽もいいところだ。
頑固に引きずっていたのは父の方だけで、そんな既に不毛で不問であった問題に固執して考えを巡らしていたのは僕だった。
この親にしてこの子ありだ。
返答に困っている僕の顔を覗きこんできたちーにいちゃんは
「なあ、寄。俺がこれまで学んだ学問、何かわかるか?」と突然聞いてきた。
何も思いつかず、もたつく。
「まあ、無理に答えなくてもいいよ。学問と言えど無数にあるからそれを当てるのは天文学的だろうし。
「まあ、正解は精神科学と哲学さ。二つもあったから、当選確率は二倍とも言えたけれど一つだけで回答した場合は不正解のジャッジをしようと思ってたんだけどね。
「でも、今の寄の様子っていうのは精神科学的には非常に不安定と言うか、苦悩が見て取れる。
「そこで、だよ。俺にその心のしこり教えてくれないか?きっと何か力になれることはあるだろうし、人に話すことで楽になる人も多い」
僕は、今できる精一杯で言葉を紡ぐことにした。
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