第38話 六月二十八日④
「少しいいかしら」
平造愛美が移動した図書館で世論調査として一番最初に話しかけたのは、相田だった。いきなりこんな顔面に話しかけられて動揺したようだったが、その後ろに付いていた僕の顔を見るなり、落ち着きを取り戻し真顔に戻った。
「なんだよ、佐倉。僕に何か用があるのか?いいよな、君は可愛い彼女と仲良く乳繰り合ってて」
少し嫌味を含んだ言い草に、対応する術がなく
「そんなんじゃないよ、こいつと俺はそんな関係じゃない」
とやはり、取りつく島のない言い方になってしまう。
アトランダムに話しかけようと言い出した彼女自身が僕と相田との関係の存在に戸惑っていたものの、
「まあ、私がアタックしているってだけの関係よ。片思いってやつ」
と雰囲気に合わないパスを出す。その言葉に僕はイラつきを覚えて訂正させようと負ったところで、
「なんでもいい、本題を言ってくれよ、本題を」
と飽き飽きした様子で話に進展を促す。
彼女が話すと思ってそちらを向いたけれど、当人の首の動き的に僕が話をする役割らしい。最初からそのつもりだったような気がするが、このまま黙っていても埒が明かないので仕方がなく話す。
「あのー、えっとだな、この前のあの夢、お前も見ただろ?あの、俺が出てきた夢。あれをどう思ってるか?が知りたくて。つまり、本当に起こるかもしれないとか」
以前のような淀みのないスムーズな物言いができる訳もなく、伝わったか分からない。
「あー、あの夢か。というか、俺が夢の中でなってた男はお前だったんだな。言われてみればそうっていう感じだけど」
そう言った相田の表情は心なしか先ほどよりも不機嫌そうに見えた。
「それで、どう思ってるか?だっけ。別に全人類が見たっていう事実は愉快だけれど、夢の中でお前になっていた事実は不愉快だね。
「それに真面目に答えるのならば奇跡みたいな偶然に、奇跡みたいに現実が重なるとは思えない、かな」
「なるほど……重な意見をありがとう」
なぜだか、どんな立場からのものいいかわからなくなってしまった。リハビリはまだまだ必要らしい。
「それだけだから、じゃあ」といって、立ち去ろうとする僕に
「待てよ」と、相田が止めた。
「代わりと言うわけじゃないんだが、俺がこれからする質問に答えてくれないか?」
なんとなく、嫌な予感がした。だけど、自分の何のためかもわからない質問に回答してもらった手前、無下にできない気持ちもあって反応に困っていたところ、
「いいわよ、なんでも佐倉君がこたえるわ」と余計なことをする女がいた。
そんな言葉を真に受けて相田は
「佐倉さ、最近、一人でいるらしいじゃないか。今も会話の歯切れは悪いし、突然口下手になったように思うんだが、何かあったのか」
全く心配からくる物言いではなく、人の弱みに付け込もうとするような、真田の意地の悪い思惑が透けて見える物言いだった。
僕は正直に話すしか選択肢はなかった。
「前までの自分に嫌気がさしたんだよ。人の話を聞くのか得意であっても、全く人の気持ちは理解せず、想像する力も足りない。そんな薄っぺらで、最低な自分を変えたんだ。捨てたって言ったほうが正確なのかもしれないけれど」
「へえ、そうなのか」
淡白な返答をする相田は手に持った文庫本に目を落とし、本に挟まって少しはみ出た糸束の栞を指で遊ばせる。
「それで、納得すると思ってるのか?」
この言葉と共に相田の雰囲気がより一層とげとげしさを増した。
「今の俺の気持ちは『娘を殺した犯罪者が刑期を全うして出てきたものの、反省の色を見出すことのできない父親』と一緒だ。犯罪だけじゃなくても、子供のころのいじめの思い出っていうのは大抵の場合、被害者は鮮明に思えているけれど、加害者側は憶えていない。
「こんな気持ちに人をならせるんだな、お前は。
「憶えてるか?聞くまでもないか。憶えてないだろうな、お前は、お前らは。一年の文化祭。俺はサボったのがバレてくずみたいな扱いを受けた。でも、お前たちはバレずにその後もクラスの中心として楽しく暮らした。
「お前、あの時、俺が密告しなくてラッキーだったと思っただろ?俺が、あそこまでの仕打ちを受けてなお、お前たちのことを話さないわけないだろ。女子たちにさ、詰められてるとき、俺は言ったんだよ『でも真田や、佐倉たちにその時に会ったから同罪だ』って。
「そしたらなんて言われたと思う?『真田君たちはそんなことしないはずだし、していたとしても最低限買い出しと言う仕事を終わらせてるんだから貴方より何倍もマシよ』だってさ。
「不公平だよなー、世の中って。元々立場が上な奴が優遇されるし、声が大きいほうに耳を傾けられる。平家物語なんて嘘だろ。盛者必衰とか謳ってるくせに、盛っている真っただ中のことを考慮してないんだから。結果論で言えば、そりゃあそうかもしれないけど、結果論で語れないのがこの世界。
「でもあれか、今俺がぐちぐち言ってるのも、所詮負け犬の遠吠えってやつか。歴史は勝者が作るんだから、事実と違っていてもそれが史実となり、真実になってしまうんだな。
「でもさ、今のお前は、こっち側の人間だよな。負け犬で敗者なんだよな。じゃあ、一ついいこと教えてやるよ
「今更、いい人間になろうだなんて虫がいいんだよ。そういう奴は俺みたいな根っからの負け組に嫌われるんだ。『自分で自分を見直して変わりました』とかほざいていても何の証拠もないんだから。自己満足にすぎないんがよ。変わった自分に浸りたいだけ。
「反論できるならしろよ。できたとしても、俺はお前の仕打ちを一生許さないけどな」
そう言い切った相田に、僕が言えることは一つしかなかった。
「ごめん、ごめんなさい、許してくれとは言わない、でも俺が悪かったことをしたと思っている事実はお前の中で理解していてほしい」
相田は、返事をしなかった。ただ踵を返し、頭を下げたままの僕を残して図書室を出ていった。
言葉の剣、いやペンによって傷つけられ、しばらくの間打ちひしがれていた僕の元に、相田は何故か戻ってきた。
「これ、やるよ。たぶん、佐倉が好きな系統のものだろ。これ、口止め料ってことで。じゃ」
そういって、僕の手のひらに置かれたのは栞の糸くずだった。
これまで生きてきて「自分で分かっていることを他人に言われること」に腹を立てたことはあったが、そんなことよりも「自分が分かっていると思っていたことを他人から間違っていると言われること」の方が、心に禍根を残した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます