第34話 六月二十八日

 自室のベッドで目が覚める。

夢は見たような気がするが、内容を覚えていない。初めての感覚ではあるが昨日の新鮮で刺激的な交流が感動を緩和させる。

平造愛美。

彼女には最初に抱いた『嵐のような女』という印象が的を射過ぎていた。

僕の悩んだ心を素手で掴んで嵐に投げ込んでは、洗濯機みたいに洗い流した。完全に何か振り切れたかと言えば、そうではないとは言え、少しだけだけれど、気が楽になった。似たような事打ち明けてくれたからかな。

もう少しだけでもいい、自分に自信を持とうと思った。




 「貴方はもう少し現実を見るべきだわ」

学校に向かう途中、出会った美少女女子高生は昨日の主張とは逆に思えることを言った。

「あなた様は昨日『全ての人に好かれようとすることは傲慢』とおっしゃいませんでしたっけ?」

「それとこれとは話が別よ。貴方が過去の貴方の行動で人を不快にしたり、傷つけてしまったと考えていることに対しての対策はそれで間違いないけれど、今回は夢の方の話よ」

「そういうことか」

「そう、んでね、昨日私帰ってから調べたのだけど、案外人は飽き性らしくて、夢を見たあの日から二十四時間以上過ぎるとみんなそのことについてめっきり話さなくなってるのよね」

「えっとー、そうなるとどうなるんだ?」

純粋に話の実態がつかめず、困惑気味に応答する。

「世間の人は『みんなが同一の夢を見た』からと言って、『それが現実に起こる』とは思っていないということよ。

「つまり、このことを貴方が気に病む必要はないっこと」

本当にそうなのだろうか。

「その情報源は何処なんだ?」

しっかりとした根拠の無い情報と言うのはかなり危険だ。鵜呑みにすると痛い目を見るのはよく言われていることだ。

「論理自体は私が考えたというか、インターネットの掲示板や各種SNSの投稿から推測したものだけれど」

「それじゃあ、意味がないじゃないか。君の美貌は信じれても、君の情報収集力は未知数だし」

それに、そんな簡単に僕の心の問題が解決するのならば、僕も苦悩を、苦痛を味わう訳はない。

己の考察をあっさりと否定された彼女はむくれていたが、考え事をし始めてわざとらしく手を『ガッテン』させて

「それなら周りの人に聞いて回ればいいじゃない」と目を輝かせながらしたり顔で言った。

「今の僕の人間関係を知ってて言ってるのか?」

「だからこそじゃない。いつまでたっても悩んでウジウジしてる男はモテないわよ」

「・・・・・・一番モテることが難しい相手に好かれてるんだよなー」

僕は聞こえない程度の声量で言う。

「この世の生物がみなモテたいと思って生きていると思うな」

「二次元じゃないんだから、小声や後ろを向いて言ったことが相手に伝わらないと思わないことね」

「コミュニケーションが苦手なんだよ」

この女なら行間まで読んできても不思議ではないオーラを感じるのが不穏だ。

「行間を読めることを褒めているのかしら、それとも化け物扱いしているのかしら。というか昨日だってやって見せたじゃない」

「一瞬で予想を現実にするのはやめてほしいし、丁寧に事実を忘れていたことをしてきしないでほしい。心臓に悪い」

「どうしてここで現職の総理大臣が出てくるのよ」

「もう変わっただろ。タイムトラベラーなのか?ジョン・タイター?それより先に呼び捨てであることに疑問を抱けよ。三秒考えたらわかるだろ」

「執筆中に総理大臣が変わったのよ」

「メタフィジカルな展開はやめていただけませんかね・・・・・・」

「冗談に対して本気になるのは無粋よ。人間は自分自身が創作物の登場人物かもしれないと思いながら生きているわけじゃないわ」

「君に合わせてツッコミをいれるのやめようかなっ!!」

彼女とのキャッチボールは普段の倍以上体力を使う。話が脱線し過ぎて、運行ダイヤは大荒れだ。

「確かにリハビリは段階を踏まないと悪化するだけと聞くし、すぐに一人で話をするのは難しいでしょうね」

気を取り直して話を進める彼女は少し冷静になったようだった。話の分かる人間で助かった。

「でも、大丈夫!今日は私も一緒についていってあげるから」

全く冷静になっていない!?

「余計にダメだろ。君は僕の何なんだよ」

「それはあなたが決めてくれるんじゃないの」

[やめろ、そのセリフを満面の笑みで言うのは」

「えー、大事なことじゃない?まあ、そこらへんは私がフォローしといてあげるからさ、今日の放課後、貴方の教室に行くから」

そう言って彼女は校門から自分の下駄箱の方に走って行った。そしてこちらに振り返って僕だけに向けた屈託のない笑顔で「逃げんなよっ!」と叫ぶ。どこのヒロインだよ。いや、彼女は間違いなく主人公の方だ。きっと、世界を救うのもきっと彼女みたいな人材に違いない。

僕も下駄箱に到着して、上靴に履き替える。そこで気づく。昨日置いていった彼女のではない手紙が、無い。それこそ手紙をもらった本人に連れ出されたと思ったが故に、手紙を持ち出すことに意味を感じられなかったし、必要以上に急かされたのも理由だ。だから、僕は悪くない。無かったことにした。

 教室に後ろの扉から入る。直近の僕なら自分で歩くスピードを調節して予鈴のギリギリを見計らって入室するのに、今日は勝手が違った。平造愛美、ここまでがお前の作戦か?

こういう場合、多くの臆病者と言うのは気づかれないように必要以上に体を小さくして無様に入っていくものだが、今日の僕は違う。逆に堂々と入ることで、目立たない効果が期待できるのだ。

物は試しと教室に入ると

「お!佐倉、元気になったのか!いやー、ここのところ、あの夢だとかで元気なさそうだったし、あんまり話しかけちゃダメなオーラ放ってたからさ、余計なお節介かけるのもよくないよなってみんなと話してたんだけど今日は話しかけていい感じ?」

想定しうる最悪の状況を引いてしまった。今の僕に彼のようなコミュニケーションの権化と対話する術は微塵も残されていない。

「ど、どうだろう……。あんま、話して良くない感じ、かも」と精一杯の返答をしながら小さくなる。回避率が今更下がっても仕方ないけれど。というか話しかけていいかどうかを話しかけて聞くのはどうなんだ?

「あー、そうかー。まあさ、他にも色々あったのかもしれねーけどさ、お前のペースでいいからまた遊び行こうぜ」

明るい安室の優しさに胸が痛くなった。そうなのである、クラスの中心人物になるような人材の中には本当に根っからのいい奴という種族が存在する。

本当は嫌な奴くらいの性能であってくれないと劣等感でより一層こちらの心がひん曲がってしまう。でも、憎めないジレンマ。

先ほどの言葉に首を縦に振ることで返事とさせていただくと、はにかんだまま振り返る安室。

その時何故か僕は彼を呼び止めて

「あのさ、あの夢、どう思った?」

そう聞いていた。

「え、どう思ったってどういうこと?」

驚き困惑した顔を一瞬見せるものの、すぐさま普段の柔和な糸目に戻って返答した。流石と言った対応でまた委縮させられる。

「いや、なんていうか本当に起こったりしないかなとか考えたりしたかなって思って。流石にそんな非現実的な事思わなかったよな、ハハ」

コミュニケーション力に低い早口に自分で羞恥心を抱き乾いた笑いで誤魔化す。

彼女との会話では感じなかったものが冷や汗となって額を伝った。

「あ、そういうこと?んーでも、少しは思ったかな。なんていうか夢があるっていうかさー、もしそうだったら命を落としてしまうけど面白くはあるよな。夢って言っちゃうと紛らわしいけど」

真剣に答えてくれた目の前の人間を素直に素晴らしい人間だと思った。普通に考えればやっていることは尋常に思うかもしれない。でもその好意ある行為は普通ではなく、尋常ではない僕にとっては温かいものだった。

「もう一つ、言うとすれば俺自身も周囲の人も『同じ夢を見ることでさえ異常な事なのに、それが現実になるような異常現象が起きるはず無い』って思ったからだと思う。これは逆も然りだけど、どっちかと言えば起きないほうが現実的だろ?」

「そうだな」

思ったより真っ当な考察で少し安室の思考が理解できたような気がした。こうやって人と人は分かりあっていくのかと、心にすとんと入ってきた。

 予鈴がなる。今日はいつもより教室の居心地がいいような気がした。

 放課後になってクラスメイトが各々教室の掃除や同じ方向に変える人の元、部活などに向かう中で、僕にはいくつかの選択肢があった。

その一、ほとんど彼女の言っていた世論調査は出来たようなものなので気分よく帰る。

その二、理由はないが、人間は自由な生き物なので図書室に行く。

その三、仕方がない、彼女を待つ。

このごろは授業終了のチャイムと同時かその数フレーム前に席を立つという言わば自分との戦いの日々を送っていたが、改めて他人に左右される生活に戻ってきていると思うとまだ少し抵抗がある。彼女は不安定な今の僕の手を引っ張ってくれるような特異な存在で、新たな僕の形成に助力してくれる稀有な存在だ。昨日交わした言葉は、昨日貰った言葉は僕の回復の一助になったことは間違いない。感謝の気持ちはある。でもそれと同じくらい、自分自身で悩んで答えを見つけることも重要だと思う心もある。

誰かからもらった言葉も自分の中で消化させることができないのならば、何も得ていないのと変わりはない。

彼女の言葉で全ての悩みが解決するわけではもちろんなくて、処方箋を貰っただけに過ぎない。薬も用法を間違えば毒になり、薬を飲んでも安静にしていなければ楽にはならない。

僕はその一を選び、帰宅のために荷物を整える。荷物の重さはいつもと変わらなかった。

誰に聞こえるわけでもない独り言で「さよなら」と言う。

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