第27話 六月二十七日➄
先ほど述べたように僕は女子高生が苦手だ。かつて僕が平凡な高校生を送れていた時期であってもその事実は揺るがない。そうなってくると男子高校生はどうなのかという自問が浮かんでくるが、それについて考えてみる。確かに仲間意識の共同体で無益な流行を追うことで連帯感を作り出し、維持し、疎外感から身を守る習性については大方男子高校生も女子高生も大差ないともいえる。しかし、男子高校生は女子高生とは明確な違いがある。それは呼称だ。女子高生は俗世間ではよくJK(これはもう既に蔑称とされているという学説を風のウワサで耳にしたが聞かなかったことにしておく)と呼ばれる。男子高校生はというとDKと呼ばれているのを寡聞にして聞いたことがない。もし言われていたとしても、どこぞのゴリラとまるかぶりで、呼んだ対象の体格によってはただのあだ名と思われる可能性が高い。こう思考したところでもう一つ違いを発見した。「ジョシコウセイ」という音では通常女子の高校生を想起する。翻って「ダンシコウセイ」では男子制高校の生徒を想起するのである。女子制高校の生徒も縮めれば「ジョシコウセイ」ではあるが、第一変換候補にはなれそうにないし、同様の論理が男子制高校の生徒と男子高校生にも言える。
不思議な話だ。
とはいえ、徒然に展開されたこの思考の先に正解は期待できそうにない。
ここからは憶測と言うか推測になるが、きっと男子高校生は女子高生に比べて幾分か退路を残しているというか、(女子高生に比べて)リスクの少ない世界に生きているからだと思う。僕の記憶が正しければ、どんなクラスにも一人や二人、休み時間に本を読んだり(大抵の場合読むふりなのだが)、忙しく次の授業の準備をしたり、気づいたらいなかったりする男子は居なかっただろうか。一匹狼と言うには弱弱しく、孤独に恋し、憧憬を抱くような痛痛しさを持つ彼らは、男子高校生の最終で最低な状態と言っても過言ではない。今の僕なんてそれの最たる例だ。そんな彼らは集団に群れず、呑まれず、たった一人で高校生と言うかけがえのない付加価値のある時間を消費しているのだ。浪費しているのだ。この二度と戻ってこない、あまつさえ中断の可能性さえ提示されたのに、取り返そうという素振りも見せない。
唯一僕が彼らと一線を画す点があるとすれば、二度と戻らないことを知ったうえでこの生活を選択している点だろう。
こういった孤高な彼らは集団への無所属を認められているのだ。それ相応、いやそれ以上かもしれない代償を背負って。
そんな彼ら、生き証人がいることが僕の示した男女差の正体の一説を補強する。
大手を振ってここまで思考を続けても、一度冷静になってしまえばこの論理は風の前の塵よろしく、飛んでなくなってしまう。
なぜなら女性側の意見が一瞬たりとも出てきたりしないし、全ての論理が憶測にすぎないからだ。嘘に等しい。つまるところ、僕が女子高生を苦手に思うのは「女子高生への理解が足りない」というつまらない理由で事足りてしまう。言も足りてしまうのだ。
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