第49話 チェルシーの悩みとキャロルの苦悩

 そなたも我を恐れぬのだな。

 レーヌといい、ヒスイといい……まぁよい。我もそなたが気に入った。

 ヒスイからの言付けをそたなへ。


「もうすぐ、あなたに会いに行くよ」


 では、な。

 ん?

 話の続き、とな?

 我の話は先日終えたが。

 我の話ではなく、王国の話?

 そうであるな、そなたはここへは、レーヌの守護する国の話を聞きに来ておったのだったな。

 よかろう。

 では、先日のロマンス王国での出来事を話すこととする。

 チェルシー女王とキャロライン姫の話だ。

 レーヌやヒスイほど上手い語りが出来ぬこと、あらかじめ詫びておくぞ。


 ※※※※※※※※※※


「ヨーデルが来る前に、【訓練】をします。私の部屋へいらっしゃい」


 母であるロマンス国女王チェルシーにそう声をかけられた第一王女のキャロラインは、その後鬱々とした時間を過ごしていた。

 チェルシーの言う【訓練】とは、ロマンス王国の王族のみに継承されている力である、魂の闇を察知し、払う力の訓練のこと。

 今ロマンス王国・ギャグ王国内でこの力を持つ者は、チェルシーとキャロラインのみ。ただ、キャロラインはこの【訓練】を殊の外、ヨーデルとの勉強よりも苦手としていた。


「いやだな……闇に染まったお母様の魂の色、怖いし。あんな怖い色の闇なんて、触りたくない」


 小さく呟きながら、重い足取りでキャロラインはチェルシーの部屋へと向かう。

 イヤイヤながらでもキャロラインが【訓練】を続けるのは、ひとえに婚約者であるギャグ王国の第二王子ユウのためだった。


「でも、闇が払えるのは、お母様と私だけ。ユウくんの為にも、王国のためにも、私が頑張らなきゃ」


 チェルシーの部屋の前で大きな深呼吸をひとつ。

 キャロラインはチェルシーの部屋の扉をノックした。



「お母さ……キャッ」


 身の毛がよだつような闇が、部屋に入ったキャロラインの全身に襲い掛かる。


「いや……いやーっ!」

「キャロル、目を逸らしてはなりません。母をよく見るのです」


 キャロラインの【訓練】のために、チェルシーは己の魂を闇色に染める。

 魂を闇色に染めるのは、たやすいことだった。負の感情に身を任せればよいのだから。そしてその負の感情は、いつでも自分自身の中に眠っているのだ、8年前のあの日からずっと。


「これくらいの闇を払えなくて、どうするのですか」

「でも、お母様」

「泣き言はおやめなさい。闇が泣き言を聞き入れてくれるとでも?」


 チェルシーは優しい母親だ。だが、この【訓練】の時だけは別人のようだと、キャロラインは感じていた。

 闇がそうさせているのか、あるいは――


 両手で拳を握りしめ、キャロラインは母の魂を染める闇を見据えた。何度見ても、心の芯まで冷やされてしまうような色。そこに温もりは微塵も感じられない。


(魂って、本当にここまで染まってしまうものなのかしら?)


 本物の闇に染まった魂を見た事がないキャロラインは、そんな疑問を胸に抱きながらも、必死で母の生み出す闇と対峙する。


「あっ!」


 ふいに、冷たいものが胸の中に流れ込んできた気がして、キャロラインは思わず声を上げて胸をおさえた。そんなキャロラインを、冷酷な笑みを浮かべたチェルシーが黙ったまま見つめている。


(これが、闇? 私の魂まで、闇に飲まれてしまうの?!)


「お母様、お母様っ! 助け……」


 音を上げて助けを求めるキャロラインに、チェルシーは腕を伸ばした。その手が伸びたのは、キャロラインの首元。


「うっ……お母さ、ま……なにをっ……」


 薄ら笑いを浮かべたままのチェルシーの手には徐々に力が加えられる。チェルシーの目からは正気の光が消えうせているように、キャロラインには見えた。


「だめっ、お母様っ! いやぁっ!」


 キャロラインが叫ぶと同時に、体の中からまばゆい光が発せられた。その光に包まれたとたんに、チェルシーの闇が消え去った。


「キャロル……っ! あぁ、私はなんということをっ! ごめんなさい、ごめんなさいね、キャロル」


 己の手が愛する娘の首に掛けられていた事に気づいたチェルシーは、怯えたような顔をしてキャロラインから体を離すと、震える体を抱きしめながらキャロラインに詫びた。


「いいえ、お母様。私がモタモタしてしまったから……」

「あぁ、キャロル」


 腕を伸ばし、チェルシーはその腕で愛娘の体を抱きしめた。それはいつもの母の温もり。キャロラインも安堵の息を吐きながら、母に身を預ける。


「よく頑張りましたね、キャロル」


 キャロラインの頭を優しく撫でながらも、チェルシーは内心冷や汗をかいていた。


(闇に染まり過ぎたわね。キャロルの能力が上がっていなかったら、私の魂は今頃闇に染まったままだったかもしれない)




「あ、キャロルちゃん、お帰り!」

「さ、早速お勉強を始めるぞ。ほら、邪魔だ、ユウ。お前はもう帰れ」

「ひっどー! 僕の何が邪魔なのさ!」

「存在自体が邪魔だ」

「ほんと、カテキョって酷いよね! キャロルちゃんもそう思わない⁉ ……あれ? キャロルちゃん、大丈夫?」

「ん? 確かに顔色悪いな。どうした? 具合でも悪いか?」


【訓練】を終えて戻った自室に戻ったキャロルを待っていたのは、ユウ王子と家庭教師のヨーデル。

 ぐったりと疲れたキャロラインは、ヨーデルに構わずユウの胸に飛び込んだ。


「おっと……キャロルちゃん?」

「ユウくんは、結界師の力、負担に思ったこと、無い?」

「え? う~ん、特に無いけど」

「私……私は、もういや」

「なにが?」

「こんな力なんて、欲しくなかった……」


 ユウの胸に身を預けたまま、キャロラインは泣き出した。

 その姿に。

 ユウとヨーデルは、黙ったまま顔を見合わせる。

 この時2人の頭に浮かんでいたのは、同じ言葉。


『この国をあるべき姿に戻したいだけなんだ』


 ヒスイの放った言葉だった。



 ※※※※※※※※※※


 チェルシー女王の悩みもキャロライン姫の苦悩も、我がレーヌの暴走を止められさえしておれば、無かったものだ。

 申し訳なく思う。

 やはり、人ならざる力を、人は持ってはならぬ。

 我はこの度、改めてそう確信した。

 おそらくは、ユウもヨーデルも。

 ヒスイも勿論、我と同じ思いを抱いている。

 あぁ、ヒスイには語り部の責を全うせよと伝えてある。まもなくこちらへ立ち寄るだろう。

 その際には、どうかヒスイに顔をみせてやってはくれぬか。

 そなたのことを、気にかけておるようだからな。

 では、またな。

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