勝利の2Pクロス(11)

 本日幾度となく繰り返されたテレビ消し。その奇想天外な勝負の行方を、固唾を飲んで見守るギャラリー。バーロウの昭和の子供部屋を彷彿させるそこは、傾いた西日に鮮やかに彩られ、橙色に輝いている。

 そんなノスタルジーを助長する空間において再度テレビが点灯したとき、図らずも小学生に戻ったかのような興奮が高校生たちを襲った。

 消された投球によって視認を奪われた別斗は、なおも持ち前のゲームセンスを発揮して、見事一二塁間を抜くバッティングを見せたのだ。

 テレビを消したことで、守備の動作にワンテンポ遅れるバーロウ。打球がどこに飛んだのか確認する作業を経ての処理にならざるを得ないため、どうしても一歩目が遅くなる。そうこうしているうち『かとう』は二塁まで到達していた。


「ま、また打たれたんだど。ねえちゃん、おでどうしたらいいんだど……?」


 助けを乞う弟に、姉・凶子はなにも言葉をかけられない。あれほど強気だった凶子も、目の前の結果を見せつけられれば沈黙もやむなし、といった具合いに唇を噛み締めている。

 代わりに桜花が檄を飛ばした。


「落ち着きなさい! まだ2点差であなたが勝っているのよ。相手はどんな手であなたの〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を攻略しているのか知らないけど、まだあなたが有利であることに変わりはないわ!」


 だがその励ましも、バーロウの士気を高めるまでには至らず。理屈の上ではさすがのバーロウも理解してはいるのだろうが、現状では勝っている、という正論を本能が拒んでいるのだ。ゲーマーとしての本能が、このままではいけないのだと危険信号を灯しているのだった。

 だがしかし、ゲームに待ったはない。

 続いて3番『ゆたか』。走塁もさることながら3割を越える打率を誇るWチームの看板選手である。

 そんな『ゆたか』と相対し、バーロウは初球と2球目をわざと見える形でクソボールにした。そうやって以降の投球を別斗に考えさせる戦法なのだろう。そして3球目、投球モーション中にテレビの電源をオフ。瞬時に暗転するテレビ画面。

 2秒後、またしても信じられない光景が映し出された。回復した画面では、巧打者『ゆたか』が打ったボールが左中間のまん真ん中に転がっていくところだった。

 これにより『かとう』が二塁から生還、打った『ゆたか』はバックホームされた送球の間隙を突いて三塁まで陥れた。

 3-2。1点差に迫る痛快な一打に、無言を貫く別斗陣営がボウリングでストライクを取ったときのジェスチャーではしゃぐ。

 なおも同点のランナーが三塁。完全にお通夜状態な馬場上姉弟。クソやかましい姉・凶子もいよいよ切迫したのか、驚愕の表情で口をあんぐりさせるばかり。もう弟にかけるアドバイスも励ましもなく、ただただ呆然とテレビ画面を見つめるのみだった。

 そこへ意識を失いかけたバーロウ、気の抜けた失投をあろうことか4番の『ぽんせ』に投げてしまう。この力のない棒球を見逃さなかった別斗、しっかり身体の前でボールをジャストミートし、打球をスタンドまで運んだ。

 4-3。あっという間の逆転劇である。わずか数分でひっくり返る試合。

 この展開にもはや諦めがついたのか、バーロウがコントローラーを投げ出して後ろに倒れた。


「ねえちゃん、おでもうダメだどー。限界だど。もう起き上がることもできないど」


 その顔は血の気がなく、病人のように青白い。異常な発汗によって、ツインテールの髪が海中にたなびく利尻昆布のように顔に貼りついている。

 誰の目にも試合続行は不可能に思えた。バーロウの様子は、敵である別斗陣営でも気の毒に思うほど衰弱していた。

 憐れバーロウ。臭気を放つ肉の塊と化しても、ゲームの神は試合を降りること許さず。不慮の災難とでも表しようか、はたまたこれが姉弟の本質か、姉・凶子が発狂した。


「やい、バーロウ! てめえ誰が休んでいいと云ったバカヤロウ。早く起きて戦うんだよ!」


 見るからにバッド・コンディションな弟に対し、心配どころかまさかのドメスティック・アウトレイジをぶちかます。


「てめえが負けたらあたしもおまんまの食い上げだバカヤロウ。社会でクソの役にも立たねえてめえが唯一このあたしのためにできることがゲーム対戦なのに、その程度で泣き言云いやがって、てめえはこの」


 桜花がドン引きしている。『2Pカラー』という同じ組織に属する者として擁護したいものの、あまりのはっちゃけぶりに団結しかねるといった得も云われぬ表情で立ちつくす。これには別斗はじめ、一行も同情を隠せない面持ちで、遠くに眺めるばかり。


「オラ、早く起きろこのウンコ垂れが! またてめえの糞てめえの胃袋で処理させるぞ?」


 ババア、誰も止めないのをいいことにさらにエスカレート。バーロウようよう巨体を揺り起こすと、まるで後期高齢者のごとくもったりした動作で座椅子に座り直す。


「よーしよーしよーし、良い子だバーロウ。さあ、コントローラーを握るんだ。いいか? てめえは逆転された。このまま同じやり方やってたんじゃあ勝てねえ。だから掟破りのアレをやるんだ」


 それはまるで催眠術師が術を施すがごとく。そっと耳傍で優しく囁くようにバーロウを懐柔する。顔は恐怖に引きつり、コントローラーを持つ手がブルブルと震え出すもバーロウ、


「わ、わかったど。おでやるど……」


 もはや従順な下僕になり下がった弟・バーロウ。なんとなく見え隠れしていた主従関係が、徐々に露骨で醜悪なものへと変化していく。ババアにはもはや精神的余裕もないのだろう。

 とはいえ、


「ちょっと~おばさん、それはないんじゃないの~? いくらゲームに負けそうだからって、自分の弟さんなんだからもうちょっと優しくしてあげなよ~」


 優等生を発揮するジャレ子。彼女は馬鹿だが、曲がったことを見過ごせるほど意気地なしではないのだ。


「やかましいわ、このおっぱいおばけが。ひとンちの事情に口出すんじゃねえよ。てめえみてえな中流家庭の脳天気なちょうどいい巨乳にゃああたしら一家の気持ちなんてわかんねえだろうよ。こいつはね、駄目な野郎なんだよ。ひとりで役所も床屋も行けねえようなグズなのさ。仕事も覚えらんねえから金も稼げねえ、電話もかけらんねえ、当然友達も女も出来ねえ。こうやってあたしがケツ引っぱたいてやんねえと、ちゃんと糞も拭けやしねえんだ。40越えてんだぞ? これで」


 一気に捲し立てるババアに、さすがのジャレ子もひるんでしまう。なにか云い返そうと一歩前に出るも、ババアの並々ならぬ迫力に気圧されて下がってしまった。

 ここへスッとジャレ子に変わって前に出た者があった。

 なんとソソミだった。今まで事を冷静に観察していたソソミが、堰を切ったようにババアに食ってかかったのである。


「はっきりわかったわ」


 その声は普段の彼女よりオクターブ低い、肝の座った声だった。


「弟さんを駄目にしているのは、あなたよ。あなたの毒姉ぶりが、弟さんをなんにもできない赤ん坊にしてしまってるの」

「なんだァ? てめえ……」


 ババアもスッと背筋を伸ばし、ソソミと対峙する。

 いまにもブレイキング・ダウンしそうな雰囲気に、別斗が間に入ってソソミを宥めた。


「先輩、相手がギブアップするまではまだゲーム対戦中っす。ここはおれに任せて、ひとまず堪えてください」

「でも別斗くん、相手が戦意喪失しているのは明らかよ。TKO入ってもおかしくないわ」

「それはそうですけど、肝心の『2Pカラー』側がタオル投入してないっすからね。ルール上は続行するしかないっす」


 しぶしぶコーナーに下がるソソミ。歯止めが利かないババアが、その背に罵声を浴びせる。


「あたしゃあんたみたいな女が一番嫌いだよ。苦労も辛酸も知らねえ圧倒的強者の身分で、一丁前に他人に説教しやがる。てめえの恵まれた境遇がそのまま社会的地位だと勘違いしてやがんだ。てめえ個人だけ取り上げたら、ただのションベン臭え小娘だろうによお」


 納得のいかないソソミを、3人はなんとか抑えつける。これほどまで感情を露わにするソソミも珍しい、と別斗は思った。しかし、ソソミもひとりの女子高生であることに変わりはない。才色兼備、クールビューティ、1000年に1人の社長令嬢。どれも学校で耳にするソソミを形容した言葉だが、どれほどソソミの真実の姿を捉えているかは誰にもわからない。それは別斗も同様である。クールな様子は、彼女のほんの一面でしかないのだ。そのことは別斗を寂しくさせ、また嬉しくもさせる、不思議な感覚だった。

 それはともかく。

 『2Pカラー』はまだ対戦をやめるつもりはないらしい。見届け人であるミスターQの代理、桜花が試合終了を宣言していない以上、戦いを継続しなくてはならない。

 しかたがない。別斗も座椅子に座り直した。


「さあ、ゲームを再開しようぜ」


 いざ、決着に向かって試合は再びプレイの声がかけられた。

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