勝利の2Pクロス(10)

 画面では『やしき』が打つ気満々で素振りしている。バーロウは完全に躊躇い、カウント2ボール1ストライクからなにを投じればいいのか考えあぐねている様子。この状況に姉の凶子がしびれを切らし、


「バーロウ、なにやってんだい! 弱い頭で考えたってしょうがないだろう。相手はハッタリでおまえの動揺を誘ってるだけなんだから、普通に裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉で投げりゃあいいのさ」


 そうすりゃボール・ストライクの判断ができずに三振するんだから。

 確かに凶子の云う通りである。テレビを消されては、打てるコースへ投げたかどうかはわからない。しかし、もし別斗が打ったら、偶然であるにせよ、投げたボールがバットに当たったら……。その疑心暗鬼が、バーロウからAボタンを押させる覚悟を削いでいるのだった。


「な、ならばこれはどうだどー」


 叫んだと同時にプツンと消えるテレビ。息を飲むギャラリーたち。

 その場の誰もがまるで時が止まったように感じられたが、それは時間にしてわずか2秒ほどのことだった。


「おい、打ったぜ」


 静まりかえった部屋に、別斗の恐ろしいほど腹に据えた声。一瞬呆気にとられていたが、ハッとなにかを思い出したように、


「バーロウ、テレビ!」


 指図する凶子。バーロウ慌ててテレビを点ければ、画面は『やしき』が快速かっ飛ばし、ダイアモンドを一周しようとしているところだった。ボールはといえば、マウンドのほんの手前、キャッチャーとピッチャーの中間地点にポツンと転がっている。


「バントだどー!?」


 バーロウ気づくも遅し。必死にマウンド駆け下り、ボールを処理してバックホームするもセーフ。ランニングホームラン。別斗が1点を返し、スコアは3-1になった。

 無言ジェスチャーで喜び合う別斗陣営に、別斗も右手でガッツポーズを送る。

 さて。

 思わぬ展開で反撃を食らい、消沈する馬場上姉弟。この状況を窮地と見たのか、今まで口を出さなかった桜花が指揮を取り出した。


「なにを落ち込んでいるの、まだ勝負はついてないのよ」

「桜花しゃん……。でも、おでの〈愚者の黒霧ブラックアウト〉が打たれたんだどー? 誰にも打たれたことがなかった裏技が破られたんだどー?」

「気をしっかり持ちなさい。まだ打たれたわけではないわ。荒巻別斗はバントしたのよ。ベース上にバットを出したままにしたの。つまりなのよ」


 なるほどこの桜花という女性、ミスターQの秘書をやるだけのことはあって聡明である。確かにその方法なら一定の確率でバットに当てることはできる。

 だがこれに対し別斗、


「それはどうかな桜花さん。おれがそんな確率論に頼ってバントしたって云うなら、もう一回試してやろうか? 今度はちゃんとスイングしてよ」

「へっ、まぐれで1点返したくらいで調子こくんじゃあないよ! バーロウ、遠慮することはない、やっておしまい!」


 次の打者は『かとう』。この選手も俊足で有名である。

 初球から〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を駆使するバーロウ。消えるテレビ。静まる部屋。

 ブラウン管に光が戻ると、カウントは1ボールになっていた。どうやらバーロウ、1球目はボール球を投げたようだ。


「ふん、振らなかったようだね。なかなか勘が働くガキだね」

「いや、勘じゃないね。おれは初球ボールから入ると確信して見逃したんだ」

「なん……だと? このクソガキ、ふかしこくんじゃないよ!」

「本当さ。その証拠に球種を当ててやろうか? フォークボールさ。初球はフォークを外目に投げたんだ。そうだろ、バーロウさん?」


 この別斗の言葉に、みるみる青ざめた顔になるバーロウ。


「まさかバーロウ、そうなのかい? このクソガキの云う通り、おまえは初球フォークを投げたのかい?」

「ねえちゃあん、おで確かにフォーク投げたど。こいつの云うように初球はフォークで様子を見たんだど……」


 返事もできず、ただただ生唾をごっくんするババア。投げる直前にテレビを消したにも関わらず、球種を云い当てられたのだ。言葉を失うのも無理はない。いったい、荒巻別斗はどうやってそれを判断したのか。よもやこの姉弟には、いやこの場にいる誰もが理解不能なことだった。


「なあに、もう一回やればわかるさ。バーロウ、ここからは〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を使いまくるんだ。ぐうの音も出ないくらいテレビを消して泡吹かしてやれ!」


 ババア勢いで心のざわつきをかき消そうとするも、当のバーロウがついてこない。額に玉の汗を浮かべ、なにやら顔色も良くない。


「ねえちゃん、おで疲れてきたど……。ちょっと〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を使いすぎたみたいだど」

「馬鹿! 踏ん張るんだよ。ここが勝負の分かれ目なんだ、ここで踏ん張らなければ負けちまうんだ。それでいいのかい? 負けちまったらミスターQから給付金もらえなくなっちまうじゃないか!」

「別にいいどー。給付金を打ち切られたら、おで働くどー。ちゃんと働いてねえちゃんのこと食べさせてやるどー」

「お馬鹿! 働いたこともねえおまえがなにやれるってんだい。いいかい、働いたってたいした金がもらえるわけじゃあねえんだ。ましておまえなんかハロワにある安月給の仕事しか就けねえんだから、このまま適当に駄菓子屋やりながら給付金もらってたほうがいいんだ。働いたら負けなんだよお!」

「でも、おで働いた方がいいと思うどー。少ない給料でもやりくりして暮らして行く方が健全だと思うんだどー」

「ハッ、なあにが健全だよ。健全の『ケ』の字もわからねえくせして、ナマ云うんじゃないよ!」


 ゴツッと鈍い音がして巨体のツインテールが傾く。ババアがバーロウにげんこつを落としたのだ。想像以上の音量に桜花がビクッとなる。


「いいかい、痛い思いしたくなかったら、ねえちゃんの云うこと聞きな」

「なにすんだよー、ねえちゃあん。おで痛いのは嫌だどー」

「そうだろお? 痛いのより気持ち良い方がいいだろ? 勝ったらねえちゃん、おちんちんシュッシュッってしてやるから、な? おちんちんいじられるの好きだろバーロウ? 勝ったら好きなだけしてやる」

「なら風俗に連れてってほしいどー。おでも相手してもらえる専門の風俗がいいどー」

「おうおう、そうかい。わかったわかった、じゃあ風俗に連れてってやる、約束だ。だから〈愚者の黒霧ブラックアウト〉でクソガキを粉砕してやるんだ」


 一連の会話。誰もひと言もツッコまなかったのは、別斗に沈黙を要求されたからではあるまい。なにか口を挟んではいけない鈍重な気配が渦巻いて、みな怖じ気づいてしまったのだ。

 この日本の片隅にある地獄のような会話を経て、息を吹き返したバーロウ。おそらく体力は限界に近いが、気力でカバーしているといったところだろう。無論、手加減してやる気はない。どんな相手だろうと全力を尽くすのがゲーマーの嗜みである。


「こい、バーロウさん。あんたの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉、破ってやるぜ」

「行くどー荒巻別斗!」


 運命の第2球。

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