奏とスフィンクスと その2

 トイレから、二足歩行がかなわないゾンビのように這い出てきて、そのまま床にうずくまり数分。

 少し落ち着きを取り戻してきたぞ。顔色も徐々に回復してきたように感じた。

 ただし、ご飯を作ってあげる約束だったけど、これから買い物に行く元気、そんなものは削りに削られて存在していない。

 謝らなきゃ・・・

 お尻のポケットから、携帯をスッと取り出したかったけれど、この体勢ではズボンがパンッと張っていて取り出しにくかった。

 お尻でかいな私・・・嫌。

『お疲れさま』

『やっぱり昨日きてしまいました』

『ご飯ダメかも』

 LINEの文面はぶつ切りで単発。絵文字もなし。まるで、気のない相手に面倒だけど仕方なく返事をするような内容。

 生理痛に襲われる前とピーク時は、とにかくイライラして余裕がない。でも、ひとさんはこれで察してくれる。

 ひとさんと出逢って、ひとさんと同じ時間を一緒に過ごしているうちに、私は変わってきた。いやむしろ、新しい自分を発見し続けてるのかな。

 LINEスタンプも、その一つ。

 いがらしゆりさんの「愛しすぎて大好きすぎる。」を、ヘビロテ愛用してる二人。ひとさんが「僕たちみたいだね」と、新作が出る度にプレゼントしてくれるので使っている。

 スタンプなんて無料配布で充分だった。だから尚更『お金を使うな』と苦言を呈してしまう私。素直にありがとうと言えない私。嫌な女なのだ、私は。

 今となっては、にやつきながらスタンプを連打しているけどね。

 信じられないけど、気が付けばそんな私がいる。ひとさんの困った顔が、たまらないのだ・・・

 ブーーー、ブーーー

 おっ! バイブ解除せな。返事早いな。受付暇なのかにゃ?

「夜勤ご苦労さま。午前中のうちに解放されたみたいで安心。地獄だったろうけど、よく乗り切ったね。僕も現場がバラシになったから、丁度これから帰るところ。何も気にせず、ゆっくりしてなね」

「あ、それと冷蔵庫にハヤシライスの残りがあるから、食べれそうなら食べて」

 相変わらず優しい内容だと微笑む。

 そうか、今日は撮影だって言ってたっけ・・・

 出逢ってから、少しずつ私のことを知ってくれた。決して急がず少しずつ。

 真向から否定してきたのは、職場の勤務スタイルだけ。それ以外は、私が何を言っても一度肯定して、呑み込んでくれた。

 生理痛への理解も早かった。流石に、私並みに重たい女性は初めてだったみたいだけど、それならばと凄い調べて色々としてくれる。

 食事の改善に始まり、ホウレンソウのお浸しなんかは味付けのレパートリーが多い。痛みに襲われている時に限り、帰宅が遅くても「肉を食え」とお肉料理を用意してくれる。

 最近じゃ、前兆を察した段階から、食卓にマグロが並ぶようになった。これがまた美味しいのだ。

 さらにはハーブティー、ココア、豆乳。飲み物まで色々と試行錯誤してくれた。だけど、全て私の嫌いなものばかりで受け付けなかった。

 私の反応が酷かったのはローズヒップ。ハーブティーが苦手だと知った彼は、さらに色々と調べてくれる。

 日頃から少しづつ飲んで体質改善してみようよと、少しでも飲み易いものを選んでくれたのがローズヒップだった。

 でも一度口にしただけで、その後は一切飲まなかった。いつの間にか箱ごとゴミ箱に捨てられてたみたいだけど、それすら知らない私。

 後日、ふと気になって周辺の店舗を歩き回って探してみたけれど、取り扱っている店舗は、5件のうち1件だけだった。

 ひとさんにしたら、溜め息ものですよきっと。

 そして最終的に辿り着いたのが「トロピカーナの鉄分」ってやつ。これなら飲めた。

 職場で、量が多すぎて漏れて大変だった時には、本気で着替えを届けようとしてくれた。それに、薬局に生理用品を買いに走ってくれる男性なんているんだろうかと考えていたら、ここにいた。

 こういう時、ひとさんのアンテナは感度が凄くて、ありとあらゆる情報を収集する。

 私に合った整理用品を、通販で購入してくれる神の粋にまで達している。なんて人だろうか。

 そういえば、一緒に暮らし始めて合鍵を作ってくれた頃。ひとさんが仕事に出掛けるのを私が見送ったばっかりに、鍵を持ち忘れちゃって「ごめん、そっちに貰いに行っていい?」って連絡がきたことがあった。

 夕方は忙しくてバタバタしてんのに、私が最寄り駅まで自転車かっ飛ばしたんだよね。

 当時は凄い腹が立ったけど、今思えばあんなの全然だった。今では、彼が家を出て鍵を掛けた音で、初めて寝惚けながら目を覚ます。私って女は・・・

『ありがと、ごめんね』

 返事をうって、少しでも落ち着いてきた今のうちにやることやっておこうと体を動かす。

 リュックの中身を整理して、水筒だとか洗えるものは洗っておく。シャワーも浴びておこう。

 アルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」に負けないくらい、お風呂場を鮮血に染めるのである・・・

 排水口へと流れていく大量の血は、本当にホラーだ。温かいお湯に、ゆっくりと浸かりたいところだけど、今日もまだシャワーだけ。

うぉぉ、温泉に行きたい。

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