奏と恐怖の一滴と その4

「まだ何もしてないだろうが」

『やだ怖い』

「いいから動くな」

 グキッ

『うぉ』

 首の音が聞こえた…

 左手でおでこをロック!

 無理やり顔を上に向けたので、少し痛かったかもしれない。すまん。

 益々半べそになったが、お陰で静かになった。ようやく一滴させそうだ・・・

『うぎゃあああああああ』

 今度は何だ?

 奏が動いたお陰で、目薬は頬に落ちた。

『もうアホ! アホバカ! バカ! バカチン!』

「ん? どの口が言ってんだ。この口か? あぁん」

 親指と残り4本の指で、唇がドナルドダックになるくらい両頬をグイッと鷲掴む。

『ふみまへん ( すみません ) 』

 全ての機能を停止させ、ピクリとも動かなくなる奏。

 新発見!

 長年一緒にいるけど、こんな方法でこの座敷童を支配できるとは!

 面白い顔してんな。

「まださしてもいないのに動くから入らないでしょうが」

『ふぁい』

「どうすんだ! あぁ?」

『はひてっ!(貸してっ!)』

 前言撤回。さっと手を払い、僕の左手から目薬を奪い取り、部屋の隅へ小走りで逃げ込む。その後ろ姿は、座敷童を超越する何かだった。

「どうせ自分でさせないって」

『シャーーーッ!』

「はいはい、わかりました。どうぞやって下さい」

 左手で、そーっと目を開け、右目の上に目薬を上げていく。

 えらい高くまで上げるものだ。あれじゃ怖さが倍増するんじゃないだろうか。

 それにここからでも分かる。あいつの指に、力など入っていなかった。一滴もささないつもりだ。

「ウェール、ウェール、ウェール」

 洋画の観過ぎで、この「おやおや」表現がすっかり気に入っている。

「どうなさいました? ささないのですか?」

 嫌味たっぷりに言ってやる。

 それ言わんこっちゃない。うぅと悲し気な表情を浮かべ、とぼとぼと帰ってきた。

 んにゃっ! と少し反抗的な態度。目薬を仕方なく手渡し、再びベッドに腰掛け、大人しく右目を開き待つ奏。

 虫はまだ確認できる位置にいてくれた。

「動くなよ」

『うっ!』

 今度は力一杯、目を瞑りやがった。どうやらまだ何パターンかあるようだ。

 ここまで来ると、もう流石に感じ取れる。

 帰宅当初は本当に痛かったのか、違和感が残っていたかで泣いていたんだろう。だがしかし、それも忘れてしまうくらい、途中から快楽へとシフトチェンジされている。

 こいつはもうダメです。ダメな大人です。

 今は楽しくて仕方がないって顔に書いてある。だって隠し切れないほどの笑みが溢れ出てきている。

「わざとだろ」

『あぁ?』

「あぁっ!?」

 バシッ!

 奏のビンタが僕の左頬に炸裂した。

「おまっ! お前手ぇあげたな! お母さん! あなたの娘は今手ぇあげましたよ!」

『アハハハ、アハハハ』

 奏が芯から面白がって笑う時の笑い声は『ア』にイントネーションがあり、文字通りハッキリと笑う。マダムのオホホみたいなものだ。

 それよりも驚くことに、さすがに音が鳴るほどのビンタを喰らったのは初めてだった。こいつから水曜どうでしょうを早く没収しなくては!

「おい」

『にゃ!』

「お前、もう痛くないだろ」

 両頬を再びグイッと少し強めに鷲掴む。

『ふぁい。ほへんふぁふぁい(ごめんなさい)』

 さっきより面白い顔だ。罰として写真を一枚。

『はへほー(やめろー)』

「うるさい」

 パシャリ。

 まったく・・・

 ようやく、なんとか目薬をさせた。

『うぅ』と、うつむきながら目にあてたティッシュに、黒くて小さい虫が付着しているのを確認して、安堵する二人。

『帰りにね、焼き肉屋さんの前を通って、お腹一杯になるまで匂いを吸ってきました。って話をしたかったのに、こいつのせいで台無しだ』

「おぉ! 僕も丁度その話したかったんだ。帰りにお肉屋さんあってさぁ、食べたくなったって言おうと思ってた」

『今度の休みに焼肉行きたい! 御馳走する!って上機嫌だったのに、こいつ』

「んじゃ次の休みが合う日、焼肉千円ランチにするかー」

『おー。でも御馳走しないよ?』

「うぇ! なんで!」

『目が痛かったっつってんだ!』

「自業自得だっつってんだ!」

『あぁ?』

「ああっ!?」

 同じ攻撃を二度も喰らうか、このバカチンがぁ!

 振り上げかけた右手を押さえ、脇腹へ反撃を仕掛ける。

 大きな笑い声と、

『ごめんなさいごめんなさい』

 と、飛び交う泣き叫び声。

 今夜も明るく賑やかな我が家。

 どこかで、リア充爆発の願いを込めた

「バルス!」

 そう唱える声が、響いている気がした。

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