奏と進撃の責任感と その4

 キキーーーーー!

 勢いよく両手でガッチリと急ブレーキをかけ、職場に着いた奏。

 鍵を掛けるのも忘れて、再び事務所へ向かって駆け出す。

 さながらトライアスロンの選手のようだ。

 体力の限界を忘れるほど、必死に爆走してきた。汗だくになった顔を拭く余裕も、明日は筋肉痛だぞと思う余裕もない。

 事務所前には、施設専用の車がエンジンも掛かった状態で、準備されている。丁度、松岡さんが利用者さんを乗車介助させてくれているところだった。

『すみません! ありがとうございます!』

 息も絶え絶えに必死に挨拶をする。

 奏は、自分のミスを考え過ぎるほど悔やむし、いつまでも引き摺ってしまう。だからこその進撃だったし、この第一声には、精一杯、謝罪の想いが籠められていた。

「おはよー。珍しいねぇ大月さんが」

『すいません・・・』

 肩が大きく上下運動しているし、頬は赤いが顔面蒼白。それでも何度も何度も頭を下げる。

 松岡さんは、奏のイレギュラーすらも想定の範囲内だと、そう言わんばかりに物ともせず対応してくれていた。そして何も言わず酌んでくれるほど出来た御人おひとだった。

 13時には来るだろうと踏んでいたし、奏が普段から真面目にコツコツと職務に専念し、積み重ねてきた一部始終を、近くで見てくれていたのも松岡さん。

 こんな上司もまた、他を探してもなかなか見つからないだろう。なのになんで田中なんだ!

『ハッ! 筒井さん、おはようございます!』

「おはよう大月さん」

 決して存在を忘れていた訳ではないが、もう頭が一杯で、突然思い出したように挨拶をする。

 そんな奏に、素敵な笑顔で返事をしてくれた筒井さんは、本日付き添う施設の利用者さんだ。

「大月さん、筒井さんの荷物だけ私じゃわからないから、いける?」

『はい! すぐに持ってきます!』

「あぁ、走らんでいいよぉ・・・行っちゃいましたね。ふふ」

 再び全速力で走りだす巨人。大慌てで事務所へ入り、その進撃は衰えを知らない。

『おはようございます!』

「あ、おはよぅ・・・ございま・・・」

 入り口の扉を開けるなり、まるでF1マシーンのように事務所内を横切る奏。

 返事をする間を与えてもらえなかったのは、同僚の久保さん。奏のお気に入り先輩の一人で、例えるならば白い兎。

 小さくて可愛くて、それでいて仕事中は笑顔も見せないくらいキビキビ動く。尊くてたまらない小さくて可愛い久保先輩。

 彼女の後ろには「うんうんうんうん」と小刻みに首を縦に振る夜勤明けの恵川さんがいた。2つ年下の口下手な男性で、あまり会話を交わしたことはない。

 目が合う度に「うんうん」と張子の虎みたいに首を縦に振る。おそらくそれで、挨拶をしてくれているであろう恵川さんを、不思議ちゃんだなぁと奏はいつも思う。

 そんな事務所の同僚たちに、返事をする間も与えず廊下へと飛び出す奏。と「ほぇー」と目で追う久保さん。


 ドタバタドタバタドタバタ!


 ・・・・・・


 ダダダダダダダダダダ!


 戻ってくる頃には「何事か?」と施設内の従業員たち数名が集まってきていた。だが奏の視野は、目の前に敷かれたレール一本分にまで狭まっている。

『いってきます!』

「いってらっしゃ・・・」


 バタンッ!


「い」

 二度に渡り、返事を完結させる間を与えてもらえなかった。そんな久保さんの後ろで、張り子運動が止まらない恵川さん。

『全部、持ちました』

「うぃ、ほんじゃ行きますかぁ」

 後部座席に乗り込み、待ち構えていた筒井さんの左手にハイタッチ。

『間に合いますか?』

「大丈夫。丁度くらいには着くよ」

 顔面蒼白で時折生唾を飲み込みながら、急ぎ持ち出した荷物に抜けがないか確認をする。

 隣の筒井さんは、そんな奏を見ているだけで嬉しそうだ。

『ほら、これ飲んで落ち着いて。今のまま病院行ったら、どっちが診察を受けるのか分かんないよ』

『ありがとうございます』

 疲れ果てた声でお礼を伝え、キンキンに冷えたアクエリアスを受け取り一口含む。

 まだゴクゴク飲めるほど息は整っていなかった。蓋を閉め、おでこや首筋に当てて少しばかりほっとする。

 施設から筒井さんが通う病院までは、車で10分もあれば着く距離だったことも幸いした。

 予約表や保険証は間違いなく持ってきている。少し落ち着きを取り戻した奏は、追い討ちで大量に噴き出し始めた汗を拭った。

『すみません、心配掛けちゃって』

 と筒井さんに声を掛け、一瞬少し泣きそうになった感情をグッと押し殺した。松岡さんが運転してくれている後姿を見て、また泣き出しそうな感情を再びグッと押し殺す。

 病院に着くまでの時間。息を整え、平常心を取り戻すことに専念した。隣に座る筒井さんに、余計な心配を掛けないようにと、必死に仕事モードに切り替え話しかける。

 だが、ようやく通常運転しかけてきた頃には、真っ白だった頭の中は、自分のミスに対する後悔と、松岡さんに迷惑をかけたという想いで一杯になっていた。

「うぃぃ、着いた、よっと」

『ありがとうございます! 』

 決して時計が気になって視線を落としたわけではない。12時58分を指す新しい相棒が目に入ったのは、自然とうつむいてしまっていた証拠。

 車から降りて反対側へ回り、筒井さんの降車介助をする。切り替えなきゃ。

『あの・・・松岡さん・・・』

「いいから、行っといで。話は後で」

 最後の一言は、感情を押し殺し切れずに涙声になっていた。

『ありがとうございました!』

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