奏と舞台公演と その4

 ガラガラガラガラ

 晴れて良かった。駅徒歩20分のせいで、公演の日はいつもそう思いながら、劇場のゲートを開ける。歩いて来てもらうのに雨じゃね。



 コツコツコツコツ

 晴れて良かった。駅徒歩20分のせいで、公演の日はいつもそう思いながら、劇場へ向かう。うっぷ。おにぎりバカ美味しかったなぁ。



「照明チェックOKでぇす」

「は~い。とりあえず客電も全部点けといてぇ」

「もうロビーに冷房効かせときます?」

「うん頼むわぁ 」

「はい」



「大月さん、おはようございます」

『あ、おはようございます。眠れました?』

「はい、でもなんか緊張してきました」

『私も本番前は緊張しますよぉ。でも積み重ねた稽古量は、嘘をつかないから大丈夫です。始まったら楽しいですから、安心してください』



 一通りチェックし終えた照明スタッフに、本番まで仕事はない。

 受付があるエントランス。そこを抜けた先にあるロビーも、劇団スタッフたちで賑やかになってきていた。

 基本的には、任された仕事以外のことに、気を配って手を出してはいけない世界。指示がなければ、自分の仕事だけを間違いなく遂行していれば問題ない。

 独りでマイペースにこなせる照明スタッフに就けたことは、ありがたかった。

 新人俳優さんたちも、この時間になる頃には全員が小屋に顔を揃え、狸おやじのありがた~いお言葉を聞き、各々の最終準備に取り掛かる。

 舞台上では、大道具さん小道具さんたちがバタバタとしながら、癖のある舞台監督に絞られている。本番当日だと言うのに、バタバタと騒がしいのは、この舞台監督が大体の原因だ。

 先輩方とのごちゃごちゃイライラする作業は、準備期間中だけで充分です。面倒くさいから、どうかお呼びが掛かりませんように・・・

 トントン

 ん? 誰かが扉を叩いてる。

「どうぞー」

『おはようございます。よろしくお願いします』

「あい、よろしくでーす」

 隣に音響スタッフさんもいるとはいえ、照明スタッフが僕であっても、しっかり挨拶して回る奏。少し緊張してるようにも見えたけど、扉を閉める直前に見せた笑顔は安心の合図。

 今回の抜擢は重荷だったろうけど、僕の心配も、あんな稽古を見せられたら、吹っ飛んでったよ。



『ぷはー』

 控室で心落ち着かせる奏。

 ストローでも飲めるように、ぬるくしてペットボトルに入れて貰った静岡茶を飲む頃には、新人たちのケアや、自分の衣装もメイクも全て完了していた。

 これまでなら、舞台監督である先輩やお局様たちに挟まれ、あれやこれやと言われながらハァハァ走り回っていた時間。いつもとは違う100%安心してお届けする大月先輩。

「大月っ! 大月ぃぃ!」

 控え室の外から、舞台監督の嫌な声が響き渡る。

『はいっ!』

 この人から発せられる荒げた声は、何度聞いても慣れることはなく、ビクッと慌てて通路へ飛び出した。

「動線、空けろって教えてないんかっ! なんとかしろ!」

『あ、はい! すいません!』

 舞監にペコペコ。少しだけいつもの大月先輩。

 動線とは、人が行き来する為に、最低限確保しておかなければいけない道幅のこと。そこを遮るように、人が立ち止まっていたり、物を置いたりしてはいけない暗黙の了解が、この業界には必ずある。

 教えてはいたけれど、そこは新人さんたち。自分たちのことで気持ちも頭も一杯で、周りなんか見えやしない。

「大月さん、円陣を組んでもらえませんか?」

『え? あ、はい。良いですよぉ。皆、控室。控室入って』

 もうすっかり大月歌劇団になってしまった大月座長と75期生たち。ここまでの完成度となると、お局様たちも認めるしかなくて、未だ一部が陰でヒソヒソとダメ出ししているものの、皆が温かく見守っている。

『えっとぉぉぉ・・・』

「・・・・・」

『楽しんで下さいっ!』

「おーーーーーっ!」

『あ、それと動線、気をつけて下さいね』

「はい!!!」

 控え室からは、気持ちがいいほどの気合いと笑い声が響いていた。



 客席は、ほぼ満席。

 新人公演で、これだけのお客さんを集められたことも凄いと感じた。僕たちの時なんて、この半分じゃなかったかな・・・

 400人近い後頭部を見下ろしながら熱気を感じ、慣れっことは言うものの、足元からペットボトルを拾い上げ、渇いた喉に水分を流し込む。

「あとは任せたぁ。好きにやって」

 舞監からのシーバーが、僕の左耳に飛んでくる。

 舞台上の地明かりを全て落とし、客席の電気を軽く落とす。ちなみに、この「好きにやって」は絶対に信じちゃいけない。笑。

 舞台袖にいる時も、今こうして裏で支え役に回っている時も、客席のざわつきが静まり返るこの一瞬が大好きだ。僕も音響さんも、さすがに緊張で少しピリつく。


 真っ暗になる舞台袖。


 舞台中央を真っ直ぐ見つめ、気を落ち着かせて出番のタイミングを計る者。心の中でぶつぶつと台詞を唱える者。天井を見つめ、静かに大きく息を吐く者。足踏みは出来ないけれど、交互に膝を曲げてそわそわする者。静寂の中、生唾を飲む舞台スタッフたち。舞監だけが、大きくあくびをしている。


「ただいまより、第75回・・・」


 客電を7秒ほどでゆっくりとフェードアウトし、暗闇と静寂が支配する中を緞帳どんちょうが上がり、青暗い照明と融合して、ボレロが静かに小気味よくフェードインしてくる・・・


 さぁ、新人舞台俳優さんたち。

 お客さん。

 そして奏。


 皆さん楽しんで下さい。


 幕開けだ!!!

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